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本日もお風呂に入れていただき、ありがとうございました。


度々noteに出現する我が家のちょっと変わった父と母や我が家の謎ルールだが、もう1つ、どうしても解せない不思議なルールがあったのを思い出した。


幼い頃に住んでいた家は結構な古い建物で、お風呂にはシャワー水栓もなく、追い焚きもできない。
ガスか灯油(石油?)かわからないが、コンコンと鳴る窯のような装置が浴槽の隣にあって、それでお湯を沸かし、温かいお湯を使いたい時は浴槽から桶でお湯を汲むしかないというタイプだった。
浴槽の高さもかなり高く、床に浴槽がどんと置かれたタイプだったため、小さい頃は結構危険で、またいで湯船に入るのも一苦労というような感じだった。

そんなわけで、小さい頃子どもたちは母か父と一緒に入るか、兄が少し大きくなってからは兄と2人で入るという感じだったのだが、私は父とお風呂に入るのがすごく嫌だった。

というのも、特に思春期的な話ではなく、うちには父とお風呂に入る時だけ発動するある謎のルールがあったのだ。


母と兄とお風呂に入る時は、色々な話をしながら入る。それっぽいおもちゃを湯船に浮かべて遊んだりすることもある。
兄と2人の時はもっと最高だ。
親が見ていないことをいいことに普段よりたっぷりシャンプーを使って泡だらけのウルトラマンごっこ(髪の毛を立てるだけ)をしたり、どれだけ息を止めてられるかなんて競ったりしながらぎゃあぎゃあと騒いでお風呂に入っていたのだが、父とのお風呂の時間は全く違う。


普段からあまり喋らない父。
もちろんお風呂に入ったからといっていきなりおしゃべりになるわけもない。
無言の空間の中、私と兄は順番に静々と浴室へ入場し、淡々と浴槽からお湯をすくうマシーンのようになった父にお湯をかけられ、芋洗いのような流れ作業で次々に湯船に入っていく。
気まずい。

まだまだ体も小さかったとはいえ、先程述べたような小さな浴槽では3人入るとかなりギチギチの状態である。
そのギチギチの状態で、会話もなくおもちゃもないひたすらに無言の時間が続くのだ。
子供ながらに結構堪えるものがある。気まずい。

兄と2人で話せばよかったのかもしれないが、なんだかその神妙な空気におされて私たちはいつも黙りこくってその浴槽に沈んでいた。
一体何の修行なのだろうかという雰囲気だ。


そして最も解せなかったのが、お風呂を上がる時である。
子どもなのでコンコンと炊かれた熱いお湯ではすぐにのぼせてしまうため、私たちはギブアップした者から順にお風呂から上がり、母がタオルを持って待ち構える脱衣所に避難するのだが、浴室を去る時になぜか必ず「ありがとうございました。」と言わなければならなかったのだ。

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