知ることで、すべてのものが生きて見えてくる
信号が変わったばかりの横断歩道で、ふと振り向いたら、老舗の帽子店。テレビでも何度もみたことのあるあの店。思わず吸い込まれるように店内へ。私は出掛ける時には必ず帽子をかぶる帽子好きだが、入った瞬間、そんな「好き」レベルで手にできる雰囲気ではない、帽子を大切にされる強い愛情とこだわりと伝統と、それ故の厳しさまでもが伝わってきた。
「『本当にこれをかぶりたい』そう思わないのにこの帽子たちを気軽に手にするなんて、失礼だわ。」
そんなふうに自然と感じたその時、私の脳内を読み取られたか、
「是非、手に取ってかぶってみてください」
と声をかけられた。そしてその台詞を皮切りに話題が広がり、帽子の素材や特性、選び方、被り方、体型や髪型や頭の形とのバランス、歴史や芸能人のあれこれまであらゆる知識を教えてくださり、どんどんと話題が盛り上がった、その時間30分以上。
話はとても興味深かった。
「例えば、帽子の持ち方ひとつ取っても、本当は細かい理由故の正解がある。知識があると、どこに行っても自信をもって振舞えるよ。その専門の人は必ず見ているし、わかっている人には全部ばれる。この知識のある振る舞いができる人は、実は感心され一目置かれているもの。それから、面白いことに、街行く人たちの帽子がもっとはっきりと見えて楽しくなるものだよ。」
そして、こうもおっしゃった。
「なんでもそうだが、高級だからいいのではなくて、安くてもいい、自分というものを知って、そのモノの知識をつけて、理由をもったうえで選ばれるからこそ、そのモノの良さや意味が生きてくる。」
酷く納得する言葉だった。
これは、ファッションだけではなく、すべてのことに言えるよなぁと思う。
ジャンル問わず、「何かの教養や知識を身につける」ことは、それ自体が自分に自信を与えてくれるだけでなく、今まではなんでもなかったあらゆる景色や情報やニュースが、彩りある文字や形になってにすべてが繋がって見えてくるのだ。それこそが、毎瞬の面白さや感激になるし、日々の充実につながるし、生きている醍醐味になったりする。
ファッションの知識ひとつとってもそう。なんのこだわりもなく纏われた服は、もはやただの布にすぎず、風景の一部にも何の意味もなく、存在しているかもわからないマネキンのような人がただ風景の中にポツンといるだけ。
しかし、色合いやバランス、自分の体まで綿密に計算されて選ばれた衣装は、まるで命が宿ったかのように自らが色を放ち、自ら風に靡かれにいっているようにさえ見える。
これは、知識のない人からしてみたら、ただの景色の一コマにしか過ぎない。でも、知識をもった人には、その人間が風景から浮き出てくるだけでなく、その存在の「理由」や「意味」さえ見えてくるのである。
これは、学校で教わる勉強でも芸術でもスポーツでも、なんでもそうだろう。知識や教養は、知れば知るほどに、たんなる風景や状況に「意味」があることがはっきりと見えてくるものだ。
すべてでなくていい。何か好きな一つ事でいい。遊びでも趣味でもいい。自分が少し興味のあることの、成り立ちや歴史、あらゆる人の意見などを覗き、知ることを積み上げてみると、今までは単なる景色でしかなかった、目の前のあらゆるものには、すべて『意味』『理由』があってそうなっていたことに気づき出す。私は、これこそが生きていて楽しいことだと思うのだ。
知ることで、「すべてのものが生きている」と知ることができる。
だから人生が毎瞬おもしろいんだよね。
そんなことを感じた昼下がり。
そして、こんなに長居させてもらって、貴重な知識をありがとうございます!
また遊びに行きます。
ごきげんよう
日向早百合
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