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今のコミュニケーション能力の下にたくさんの努力と犠牲があること、そんなことに皆はより気が付かなくなるのだろう。
私のたくさんの努力のおかげでASD的な要素が大きく変化してきて
表層的には多数派と同じような行動を取れるようになってきたけど
だからといってそう簡単に気が合うかというとそうではなくて
これまでしてきた経験は
多数派のものとは大きく違って
昔はあんなに難しかったのに
人の集団が顔のない怪物のように見えていたのに
なぜ今はそんなに簡単に出来てしまうの
多数派に全くなじめなかった自分の多くの努力と犠牲
リアルよりもリアルに見える未来が私の現実を食い尽くしてくれた
「リスクがあるかもしれないけどやってみる。」と言ったら、
「やれそうだからやる。向こう見ずな行動には見えない。」と言われた。
「やれそうだからやる」という言葉が私にはすごく新鮮で、でもしっくりこなかった。
思えば、これまで私はやれそうだからやるという発想で生きてこなかった。
そもそも成功体験に乏しいから、自分にできるなんて思っていない。
それに、まじまじと見ていたら凍りつくような現実ばかりだっ
創造性の高さを効率性の低さとみなさない自分でありたい
これまでの人生は、自分が心地よい範囲を大幅に超えて価値を出そうとするあり方ばかりだった。過剰に社会に適応して、いつ自分が嘘つきピエロだとばれて全てが壊れるか、びくびくしながら生きていた。
自分がどのような状態が心地よいのか、疲れているのかは、最近わかり始めた。自分が心地よい状態で能力をつみ重ねることに関しては、一からのスタートだ。
過剰に適応してきた時代に得てきた能力はそれなりにあるのかもしれ
私はなかなか言葉を発さない。
私はなかなか言葉を発さない。
一度これだと決めたら長々と、朗朗と語り始めるのだが、自分がそれがぴったりの言葉だと確信を持てるまでは、なかなか口にして人に伝えない。
そもそも私にとってものすごく言葉は大切だ。
なぜなら私にとっての現実世界は、ぼやぼやとして形のないものだからだ。特に人との会話がそうだ。現実世界で人と実際に話している最中というのは、音過敏や光過敏の影響を受けたりして、よく意味が取れな