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翼は羽田と共に 〜羽田神社〜


✎ 2025.8.1 追記

⛩ 羽田神社

✿ 所在地

住所・・・東京都大田区本羽田3-9-12
アクセス・・・京浜急行電鉄「大鳥居駅」より徒歩5分

✿ 御祭神

須佐之男命すさのおのみこと
稲田姫命いなだひめのみこと

✿ 御由緒

羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域から現羽田空港まで広く氏子を有します。
殊に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があります。
また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝客も多いです。
御祭神は「須佐之男命すさのおのみこと」と「稲田姫命いなだひめのみこと」の二柱・ご夫婦の神様をお祀りしています。
「えんむすび」「勝負事」のご神徳でも知られています。
その由来は、約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎なめかたよじろう牛頭天王ごずてんのうを祀った事からとされます。
今日でも、羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ人がいるのは、その名残りです。
徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されました。
明治元年(1869年)、自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社として独立、明治40年に羽田神社と改称、現在に至ります。
昭和63年5月新社殿が竣工、平成18年3月・令和元年7月と2度のお塗り替え工事を完工。尚一層の神慮が深まり霊験あらたかな御社として氏子を見守っています。
明治初年に造られた「羽田富士」も見どころの一つです。
富士山に憧れた当時の人々がその姿を模倣して造った築山で、大田区文化財に指定されています。近年には一部崩落が見られ登拝禁止となっていましたが、令和2年2月富士塚修築工事が完工、再び登拝が可能となりました。

羽田神社 公式サイト

⛩ 羽田のてんのうさん

穴守稲荷神社の白狐に呼ばれ、多摩川サイクリングロードの西の終点である武蔵阿蘇神社から、東の起点である穴守稲荷神社までのエネルギーの道を繋ぎ直すためにやって来た羽田の地--。

⬇こちらの記事のつづきになります

穴守稲荷神社に参拝したわたし達は、再び京急線へと乗り込み、「大鳥居駅」で下車。
この駅名にもなっている“大鳥居”が、もともとの穴守稲荷神社の鳥居でした。

でも今回は大鳥居の方へは行かず、次の目的地である羽田神社へと向かいます。
羽田神社にはね、面白い御縁があるのですよ。わたし自身は今回が初めてなのですが、わたしの両親は毎年必ず元旦の朝に参拝に行く神社なのです。

とはいえ、うちの実家は羽田にあるわけではありません。
なのにどうしてわざわざお参りに行くのかと言うと、父のお母さんのお墓が羽田神社のお隣にある自性院にあるそうなんですよね。
だから、お墓参りをしてから羽田神社を参拝するというのが、両親の元旦の過ごし方になっているようです。それで何度か御守りをもらったことがあった。

かなり他人事のように話していますが、その辺、わたしも詳しくはないのです。母は再婚しているので。
ちなみに、母方である神尾家のお墓は青山にあるので、羽田との直接的な関係は多分ない?と思います。

こちらの羽田神社も、日野八坂神社、高麗神社、聖天院、立川諏訪神社、穴守稲荷神社に続き、「大阪での神事の前に参拝すべし。」とのメッセージが降りて来た神社のうちの一社で、こちらが下準備の最後の神社となりました。(5月に大阪での神事は無事に終えております)
この参拝の最後には、面白い形で「準備完了!」のメッセージが来ましたよー♪

✿ 手水舎

もともと牛頭天王社だったからか、手水舎は牛さん。

✿ 本殿

当社は、羽田の氏神様として羽田全域から羽田空港まで広い氏子区域を有し、運航安全・航空安全祈願に、航空関係者も多く参拝に訪れる。

長らく隣の自性院の鎮守神の牛頭天王社として祀られていましたが、明治時代の神仏分離政策により、須佐之男命と稲田姫命の夫婦神を祀る祇園信仰の八雲神社として分離独立しました。
その後、羽田神社と名を改めることになります。

1945年から1948年の間には、GHQによる東京飛行場拡張のために強制退去させられた穴守稲荷神社が合祀されていたそうです。
また、同じく強制退去となった鈴納稲荷神社は羽田神社境内社となり、玉川弁財天は兼務神社・羽田水神社境内へ遷座されているという。
なんか・・・ここが避難所みたいになっていたんだなぁ。羽田神社と穴守稲荷神社は近いだけじゃなくて、そのような繋がりもあったんだ。

✿ 羽田富士塚

 

明治初年に造られた羽田富士は、富士山に憧れた当時の人々がその姿を模して造った築山で、大田区の文化財に指定されています。

近年、崩落の危険性から一時登拝が禁止されていたようですが、令和元年から二年にかけて完全修築工事が行われ、再び登拝が可能となりました。

今年も八月頃には富士山周辺での神事を予定していますが、富士山には登らないと思います。・・・あ、でもこれで一応、登ったことにはなったか(笑)。

✿ 境内社

手前から、鈴納稲荷神社、増田稲荷神社、日枝神社、羽田稲荷神社と並びます。

✿ 御朱印

御朱印をいただきました。飛行機の形をした参拝記念の栞も付いてきた!可愛い〜♡
JALやANAとのコラボ御朱印帳も販売されています。わたしはANAの御朱印帳の方がデザイン的には好みかな。
飛行機がお好きな方は、是非チェックしてみてください!

✿ お隣の自性院

父方のお墓がどこにあるのかまったくわからなかったので、本堂に参拝させていただきました。
本堂の横には奥へと続く道があったので行ってみると、そこには牛頭天王堂がありました。
こちらは羽田神社の名残ではなく、1929年に三輪厳島神社から移築したものだそうです。

⛩ 神様の暗号

こちらの記事は最後まで無料でお読みいただけます!
これは、神様とわたしの謎解きゲーム。
神社仏閣や神様のもっと深いお話、古代史や神話、考察がお好きな方、神様からのメッセージやスピリチュアルでふしぎな話などにご興味のある方、ピースを受け取りたい方は、わたしの神事かみごとにちょこっとだけ、付き合ってくださいませんか?

✿ 大阪神事の準備完了!!

羽田の地へ向かう電車の中で、『白龍』と『黒龍』、さらに『66』というメッセージを受け取っていました。
白龍&黒龍で陰陽和合。そして以前、別の記事で『66』の意味は『覚悟』であり『慈愛』だと書きました。
東の穴守稲荷神社&羽田神社と西の武蔵阿蘇神社は陰陽関係だとして。今回の羽田の地での神事は、その関係性とエネルギーの流れの修復だったということだろうか。

そして帰りの電車では、ハリー・ポッターの衣装(マント)を来た女の子が、わたしの目の前の座席に座ったのです。
ハリー・ポッターと言えば、大阪のUSJですよ。これで、「大阪で神事をするための準備が完了した」とのわかりやすいメッセージ(笑)。
大阪でちゃんとお志事をするために、短期間で何社も回りましたからねぇ。結構がんばったと思います!
ついでに言うと、USJのハリー・ポッターのエリア周辺はなんらかのエネルギースポットになっているみたいだよ。

✿ 桔梗の花

今回、羽田の地へ来たきっかけは穴守稲荷神社ではありましたが、羽田神社に参拝することになったのは、わたしの母と再婚し、父となった人の縁があったことも一つの理由でした。
その父方の家紋が、明智光秀が使用していたことで有名な『桔梗紋』なのです。

桔梗の花には、家紋、五芒星、平将門の妾であった桔梗の前など、色々な意味やエピソードがあって一重に語ることは出来ないのですが、とりあえずここでは『明智光秀の桔梗紋』としてのお話と、とある方にお会いした時のことを忘れないように書いておきます。

明智氏のルーツですが、一般的に明智光秀は美濃の名門 土岐ときの一族とされている。
けれど厳密に言うと、光秀がいつどこで生まれて、父親が誰なのかもはっきりしていないそうです。

桔梗紋は、美濃の土岐氏とその一門の代表的な紋。
土岐氏発祥の地である『土岐』という地名は、桔梗の古語である『オカトトキ』の意味で、このトトキが咲くことが由来となり、土岐氏は桔梗を家紋にしたと言われています。
同じ桔梗紋でも明智光秀は『水色桔梗』という、白黒が主流な家紋の中では珍しい水色の家紋でした。白黒が当たり前だと思っていたけど、白黒じゃなきゃいけないという決まりはなかったんだね。

なんで父方の家紋は桔梗紋なんだろう・・・って、頭の隅っこの方でずっと引っかかっていました。明智光秀関連のお志事もするようになってからは尚のこと。
今ちゃんと調べ直したら、美濃守護代 斎藤氏の一族に関わりがある可能性が高いかも。そこにルーツがあるなら、桔梗紋を使用していることにも納得がいくような。

前にね、土岐さんという方にお会いしたことがあったんです。

わたし「土岐さんって珍しいお名前ですよねぇ。」
👤「実は、土岐というのは美濃の・・・」
わたし「えっ、もしかして、土岐って、あの土岐家ですかっ?!?」
👤「そうです。よくご存知ですねぇ。私は分家ではありますが、末裔なんですよ。」

だって、ちゃんと『麒麟がくる』も観ていたし、明智光秀のルーツは少しばかりお勉強していたし?!
というか、わたしは明智光秀のファンでも何でもないけど、お志事にも関係してくるから必然的に調べることになる。

わたしは、東京下町の一般家庭の出身なので、本家とか分家とか、そういう難しいことはよくわからないのですが。
その昔に、土岐家は遠い場所へ一族で移り住んだのだそうです。だいたいの場所も教えてくださいました。
そして今、土岐家の本家がどうなっているのかもお聞きしました・・・特定できちゃいそうなのでそれは書けないけれど!

まさか、こんなところで土岐家の末裔の方に会えるだなんて・・・・・・!!
本家の状態を考えると、土岐さんからなんらかのピースを受け取ってしまったような、お志事を託されたような氣がしている。

あ、あとね。明智光秀ついでに織田信長の最後の話も書き残しておきます。
これはバチカンとコネのある方から聞いた話ですが、織田信長は本能寺の変の後にバチカンに渡っていたようです。
明智光秀は、信長をバチカンに逃すために本能寺の変を起こしたのだと。本能寺の近くにはイエズス会の教会があって、信長は天正青年使節団の船に乗り合わせ、バチカンで天皇(法王)になりたかったという話。
バチカンにはそのような絵があるそうです。

というか、羽田神社の記事でなんで明智光秀とか織田信長について書いているのだろうか。

✎ 2025.8.1 追記
記事を読んでくださったXのフォロワーさんから情報をいただきましたのでメモ!

この自性院も真言宗智山派で総本山の智積院も桔梗紋です。これも繋がりありそうですね。

えっ・・・そうだったんですね!?
智積院ちしゃくいんの名は初めて聞きました。そこと何か関係があるから、桔梗紋の話をしたのかなぁ。
智積院のサイトを見に行ったら、確かに寺紋が桔梗紋でした。成田山新勝寺、川崎大師平間寺、え高尾山薬王院、高幡山金剛寺・・・もみんな智山派。

わたしは仏教には詳しくないし、神社や日本の神様と違って、情報を頭に入れてもなんかするすると抜け出てしまうことが多いのよね・・・向いてないのかな(笑)
でも、先に名を連ねたお寺にはお志事で全部行ってるし、空海のことも何かと追いかけることにはなるから、そういう御縁はあるんだけどね。

いずれ高野山には行くことになるとは思うけど、根来山も大事になる時があるかもしれないから覚えておこう。


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