ひめ

カッパココナッツ🥥(母。故人。158㎝)とゴジラの息子ミニラ(父。故人。179㎝)の長…

ひめ

カッパココナッツ🥥(母。故人。158㎝)とゴジラの息子ミニラ(父。故人。179㎝)の長女(164㎝)。鬱発症した40歳を機にこれからは自分の魂に正直に生きると決めたら人生が変わった。中身も外見もイケメンな息子(魔改造ベーシストすずやん 180㎝)を「師匠」と呼んでリスペクト中。

最近の記事

すずやん人形(うさぎ付き)できました

前回のnoteに2月の立春あたりには冬眠から目覚め動き出すつもりと書いた 実は動き出すイコールすずやん人形作りに着手するということなのだった 魔改造ベーシスト鈴村英雄通称すずやん(息子)が大昔やっていたツインファルコンというバンドを今年から新しくスタートさせたのとあわせてすずやん人形を販売することは決まっていた さっそく材料をあれこれ揃えたり道具を選ぶというわくわくたのしい毎日が始まった が、いざ作り始めると毎度ものづくりというものはわたくしの場合なぜか思ってるのと実際

    • ロックな夜

      「イキって歩きやがって!」 まったく知らんオッサンから突然怒鳴られた 時は約45年前の夏、当時高校生だった私が通学に使っていた大阪市営地下鉄御堂筋線車内での出来事である (今日も学校着いたら6時間目やなぁ…)などと思いながら髪はロン毛パーマ、誰かから貰った派手な真っ黄色のローリングストーンズのバンT(おへその見えそうなぴちぴちxsサイズ)、脚ぴっちりのスリムジーンズ👖、細い8センチヒールのミュールを素足に履いて早足で車両移動してただけの化粧もしてない素朴な女子高生(わたく

      • 親子

        《すずやん》というタイトルは前にも一度使ってたことをさっき思い出したので《親子》に変えました ーーーーーーーーーーー すずやんが先日投稿したnoteを読んだ どちらもめちゃめちゃアツかった  暦の上では立秋を過ぎたとはいえまだまだうだるような暑さが続いているというのに アツい投稿を読んだせいで暑さに拍車がかかってしまった 暑さ🔥×アツさ🔥 勘弁してほしい  なんせわが鈴村家にはクーラーがない 〜生存方法〜 ※真夏バージョン ①部屋用とは別にひとり一台ずつ自

        • 一瞬の5年

          前回の投稿のつづきです。 すずやんの誕生日に関して昔の日記を開いたはいいが、前回書いた初検診の次に書いたのがあっという間の2ヶ月後だ。検診行きたくなくて2ヶ月サボってたらしい。(例によって記憶なし) 〜ここからは当時の日記の抜粋〜 ↓↓↓↓↓ 〈1988.7.26〉ちょいと前おなかの中でグリッて感じがして昨日わたしはハッキリ悟りました。それは「胎動」だったのだと!なぜならばきのうの夜クリ太郎はもうおもしろいくらいクリクリとおなかの中で動きっぱなしでわたしはあんまり元気

        すずやん人形(うさぎ付き)できました

          魔改造ベーシスト鈴村英雄爆誕🔥確認の日

          昨日12/21は、すずやん(息子。魔改造ベーシスト鈴村英雄)の誕生日。33歳になった。 29歳になった時も『29?!いつのまに?ほんまかいな?!びっくりするわー!!』と驚いたが、すずやんはすずやんで『母さんがもう57て信じられへんわ〜笑』お互いに気がつくとそんな年齢になっていたことに親子でウケまくって笑ったものだった。あれから早や4年。 森良太バンドのライブのため東京遠征中に迎えた誕生日。大好きなバンド仲間達からたくさんのタバコやら写真付きケーキやらでお祝いしてもらってる

          魔改造ベーシスト鈴村英雄爆誕🔥確認の日

          引越し

          生まれてから今までで12回の引越しをした 60年÷12回=5 何気に計算してみたら5年に1回はあちこち移動してきたことになる 転勤族でも遊牧民でもないというのに 引越しって1回もしたことないわーなんて言ってる人がいると安定したおうちなんだなぁ!すごいなぁ!と自分の波瀾万丈人生との違いに驚いたりもするが人それぞれに人生いろいろあるのだろう もちろん実際の居住年数は5年ずつではなくさまざまで長く住んだところもあれば1年足らずで移ったところもある 12回中ただの1度も引

          引越し

          自然児 釣りキチすずやん

          わたしは今まで自分は記憶力がいいとずっと思ってきましたが最近わけあって昔の日記を見ていたら前回の記事に引き続きまたまた「こんなことあったんや〜?!ぜんぜん覚えてないわー」な記述だらけでたいへん驚いております。 読むとそこには見知らぬ自分がいて新鮮な気持ち、、、 特に鬱でひきこもっていた数年間は鬱なだけにウツウツしてどんよりと過ごしてばかりいたのかと思いきやもちろんそんな日もありつつも、え?なんだか楽しそうやん?な日々もあったみたい。日記見るまですっかり忘れていました。

          自然児 釣りキチすずやん

          10年と無限

          昨日なんとなく大昔の日記をパラパラしていたら 理想の暮らしがイラストと一緒に書いてあって それは別段大それた内容ではなくとてもささやかなものだったのだけれど、いろいろ縛りのあった当時の自分にとっては夢のまた夢の 思い描くたび気持ちが軽くなってたとえば初夏の風が爽やかに心のなかにふわぁっと吹くような そんないい気分になれる(そして切実な)ねがいだった 2021年現在のいま、気づくといつのまにかそれはすべて叶っていた うわ叶ってるやん、、てか、自分はこの頃からずっとこ

          10年と無限

          60歳になりました

          10歳までのわたくし 暗かった(家の都合で小学校2回転校) 20歳までのわたくし 頑張り屋さん(期待に応えないと!) 30歳までのわたくし 頑張り屋さん(ちゃんと期待に応えないと!) 40歳までのわたくし 頑張り屋さん(しんどいけど期待に応えないと!) 頼まれごとに弱く断れない性分&期待されたら頑張らないと!というやる気とド根性のかたまりだったため(ほんとはぼーっとしてるのが好きなのに。若気の至り?)何でも頼まれたらハイ!やります。ハイ!頑張ります!と受けてい

          60歳になりました

          幼稚園

          すずやん(息子。魔改造ベーシスト)のnote『英雄誕生』に、わたしがすずやんをエリートにしたくて私立の幼稚園に入れた云々かんぬんみたいなことが書いてあったけどめんごめんごw!悪いけどそれぜんぜん違うわw! その頃わたしは超絶忙しく、とにかく親がなるたけ行かなくてもいい幼稚園というのを周りの先輩ママたちからリサーチしてその結果そこにしたというのがことの真相でございます その幼稚園は高級住宅地と昔から言われる帝◯山にあり、わたしも子供の頃よく遊びに行ってた大きな池のある公園の

          幼稚園

          知らんかったー!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

          (画像はすずやんとカラオケでバイトしてた時の) 皆さま こんにちはー 昨日と一昨日のすずやん(息子。魔改造ベーシスト)の記事が「キミは人間とんがりコーンか!」と言いたいくらい尖りに尖ってた 一昨日の記事『純粋さを求める』は読みすすめるうちわたしの体中の細胞が喜びで沸きたった。比喩で言ってるのではない。本当にわくわくして「よっしゃやるぞー!」と何に対してかはわからないけどとにかくむくむくとヤル気がみなぎったのだ 一昨日の記事というのがこれ。『純粋さを求める』 歯に衣着

          知らんかったー!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

          怪談(すずやん編)

          すずやん(息子。魔改造ベーシスト)のnoteで、バイトしてたカラオケにお化け現象が起きまくってた話を読んで思い出したことがある 当時すずやんはロードスターというデカいアメリカンバイクに乗ってた 店の前にそれが停めてある時はすずやんがいるってこと その店は駅前にあり終電で帰ってきた時とかにちょっと寄ったりするのに便利 その頃は一緒に住んでなかったのでたまに顔を見に行ってカウンターで二言三言喋ったりしてた ある日、久しぶりに店の前を通るとバイクがあった でも店内は真っ

          怪談(すずやん編)

          怪談(わたし編)

          〜プロローグ〜子どもの頃から怖い話が好きだった 血筋だと思う 夏に親戚で集まると部屋の電気を消しロウソクを立てて怪談話が始まる 風邪で学校を休んで寝てると退屈しのぎにと母から渡されるのは楳図かずおの「へび女」とか「ミイラ先生」などのホラー漫画 「あなたの知らない世界」という心霊番組を家族で見るのが夏休みの恒例 なんばにあったお化け屋敷「恐怖の蝋人形館」が母のお気に入り ドラキュラやフランケンシュタインに扮した人が働く恐怖カフェ「サタン」に連れて行かれた時は従姉妹が

          怪談(わたし編)

          すずやん

          すずやん(息子。魔改造ベーシスト)の書くnoteがおもしろいと評判だ 「一緒に始めようや」と示し合わせた訳ではないのだけどなんとなく同じタイミングで親子でnoteを始めて今日で1週間 子供の頃から読むのも書くのも好きで大の活字中毒。日記を1日に25ページも書いたり(ヒマか!)してたわたしと違い、 すずやんは生まれて1年未満くらいまでこそ「落ちついた赤ちゃんですねー!」と感心されるほどどっしりした佇まいで、じーっ。。としていましたが 大きくなるにつれ静かに家の中で本を読

          すずやん

          軽音②《再び あだ名》

          軽音①の続き 先輩たちが卒業しそれぞれ別の高校に進学、わたしは中2。13歳になった。たった13年しか生きてなくても自分のことを子どもとは思ってなかった 自宅の黒電話しか連絡手段がなかった時代だが筆まめな先輩たちは旅先からはハガキを誕生日にはカードを送ってきてくれたりして交流は続いていた(電話で最長8時間話したこともあった) そして、先述の軽音部に入ってベースを弾いてるN先輩から文化祭でライブするから見に来いやとのお誘いがあった 先輩の高校はドイツのワイマール工芸高校を

          軽音②《再び あだ名》

          軽音①《始まりは…》

          中学1年生の時のこと。ある放課後クラスメートのMちゃんに「図書室行けへん?」と誘われて行った。 小学生のときは「東海道中膝栗毛」(十返舎一九)を読んで弥次さん喜多さんが起こす旅の珍道中にワクワクしていたわたしでしたが、成長して思春期を迎えセーラー服の乙女となり(?)ヴェルレーヌの詩集に「なんてステキ…♡」と夢中になりました 秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し(上田敏 訳) うっとり、、、 けど、せっかくロマンチックな気分に浸っていたの

          軽音①《始まりは…》