60歳になりました

10歳までのわたくし

暗かった(家の都合で小学校2回転校)


20歳までのわたくし

頑張り屋さん(期待に応えないと!)


30歳までのわたくし

頑張り屋さん(ちゃんと期待に応えないと!)


40歳までのわたくし

頑張り屋さん(しんどいけど期待に応えないと!)


頼まれごとに弱く断れない性分&期待されたら頑張らないと!というやる気とド根性のかたまりだったため(ほんとはぼーっとしてるのが好きなのに。若気の至り?)何でも頼まれたらハイ!やります。ハイ!頑張ります!と受けていくうち10代の頃から地域で役職を任されるようになり、それにプラスして結婚してからは妻、母、自営業の夫の補佐、と数えたらいつのまにやら11個もの役割を担うようになっていた


スケジュール帳は常に真っ黒


それがうれしい自分だった


20代の時は出産10日前まで行事に出て出産後2ヶ月目からフル回転で朝昼晩休みなく息子(すずやん)を抱えて走り回っていた

あの頃は体力もあり元気だった(でもよく泣いた。。。)


根は気が弱いのでストレスがすごくて胃潰瘍で入院したり子宮にポリープが出来たりもした


そんな生活を20年以上続けてた


あっという間に40代になった

責任ある役職を任されますます多忙な生活に


「40を機に更に頑張ろうと思います!」

期待してくれてる他人へのウケがいいだけの言葉を吐く

ほんとのきもちじゃないのに心にもないことを笑顔で言う自分


(こう言っておけば安心してもらえるだろう)と。



よほど信頼できる人にしか私の本当の本当の本心なんて話す気はなかった


とにかく自分は立場上誰からもいい人と思われる存在ででいないといけないのだと信じてた

疲れた

いつも早く1人になりたかった

1人になるとホッとした



そのうち忙しくてヘトヘトなはずなのに夜 眠れなくなった


喉が詰まる(社交辞令で心にもないお世辞を言ったりするとぎゅうっと詰まって声が出なくなったりした)


悲しくもないのに突然涙が出てくる。涙腺がゆるゆるでいつも涙が溢れ出しそうな感じ


本が大好きなのに読めない(読んでも読んでも1行目から先へ進めない。内容が頭に入ってこない)


なにかおかしいとは感じだしたものの多忙な毎日をやすむことができなかった


やすみたいと言うのがこわかった

許されることではないと思い込んでた


もっとがんばらないといけない

もっともっともっとがんばらないと


わたしはもっとまだまだ頑張れるはずだから



神経が立ちまくって眠れないのが辛すぎて色々なものに手を出した


例えば、イルカの声の入ったよく眠れるCD10巻セット、やら

眺めてるうち眠くなるというキャンドルの灯りの写真集、やら


必死か!!

でもちっとも効果がなかった


いまおもえばこわいわ〜

真夜中に眉間にシワ寄せてギンギンの目でロウソクの火しか載ってない写真集を(早よ眠なれ〜早よ眠なれ〜)念じながらめくってる自分


そしてついにその時は来た



ある夜、家族で晩ごはんの最中、いつものなかなか終わらない長い打ち合わせの電話に生返事をしながら(もう嫌や、もう嫌や、、)という気持ちが心の中でどんどん大きくなって電話を切った瞬間に「今しかない、今や!」という声が聞こえた。そして私は「助けて!!」と食卓をばーんとひっくり返した。号泣。


ちーん。強制終了。

ご飯とかおかずがとっ散らかったので「なにしてんねん!」と怒られるかもしれない(泣)と思ったけど、怒るとか全然そんなことなく、当時の夫はパニックになってる私に「助けるから」と落ち着いた声で言った。そしてすずやん(本名 英雄ひでお)に「ひでくん!お母さんに毛布持ってきて!」と言って2人で私を毛布でくるんで抱きしめてくれた。

救われた

これでやっとやすめる(安堵)

ああとうとう私は逃げてしまった(自分責め)


せめぎ合う2つの気持ち。


わたしどうなるんだろう???


酔っ払いでもないただのいち主婦が家族の夕食時にお膳をひっくり返して号泣だなんてこの場面だけ見たらヤバー(汗)


でも、この時わたしの体は、長年にわたり自分を押し殺して無理しまくってたわたしのココロと命を守るため、全力でストップ!!!をかけてくれたのだと思う

「あんたほんま、ちょ!もう限界限界!休まな死ぬって!」と。

ありがとうー強制終了してくれて!!ほんまマジ感謝。。。すごいな体って!おまけに一瞬も休みなく働き続けてくれてるんやもんね。。。ありがとね


その後病院で鬱と診断され たくさんの薬が出された


飲んだら「死んで消えたい」という鬱特有のどうしようもない絶望感はなくなるけど、ものすごい吐き気とダルさが半端なくてめちゃくちゃしんどかった


ので、薬は一切飲まないことにした!!!


じゃあどうやって治すのか?


ちょうどその頃家にいたウサギが体調の悪い時はごはんを食べずにじーっと静かにしてて、何日かすると何もなかったみたいに再びごはんを食べ出すと元気に走りだすのを見てほぉーなるほどと思っていた


人間もウサギも同じ宇宙の自然界の動物やからいけるはず(?) これや!!!

名付けて、

【食べ物を消化するのに一番労力使うらしいから食べるの減らしてひたすらじーっとしてたら治る自然治癒力最強説】である


そしてわたしはこの時以来、すべての薬というものをひとっつも摂取しなくなった。症状が出てるのを抑えるのってどうなん?出てくるものは出した方が理に叶ってないかい??と思って。でもこれはもちろんあくまでわたし個人がそうしたいからしてるってだけですよ〜(美香さん)

家にはほんとになんの薬もないのですずやんは風邪ひいたりすると自分で買ったり友達にもらったりしてしのいでる。すまんのぅーー!


わたしは風邪ひけへんし。と決めて口に出すようになってからほんとに風邪ひかなくなった。不思議なものです。ちょっとやばいかな〜って時も温めるか寝るかしたら元気になるからほんまウサギに学んでよかった。感謝!



話が逸れた

鬱による引きこもりは何年か続いた

食材買うのも近所の人と会うのが怖くて夜になってから川を越えた隣の市のスーパーまで自転車で行ってた

それでもばったり会ってしまって「あらお久しぶりお元気〜?」なんて声をかけられたりしようもんならそそくさと逃げ出しショックで泣く始末だった

家族以外誰とも会いたくなかった

電話には出ない、FAX(時代)や手紙もたくさん届いたが励ましや優しい言葉や期待などもうすべてが、責められているように感じてしまって無理だった


お願いしますほっておいてくださいお願いします


が本音。(なんて、ごめんなさいあの時の皆さま!)


今のわたししか知らない人はさっきから誰の話してんの??ってくらい別次元でしょうがよければこのまま最後まで読んでくれたらうれしいです


その後、鬱の症状が大きく変化したきっかけとなったのは大好きな「山」でした。大きな自然とそこで出会った人たちのおかげでわたしは何十年かぶりにのびのびと息をして素(す)の自分で生きられるようになったのです

そのきっかけのきっかけは、当時中学生のすずやん(息子 魔改造ベーシスト)が突然パソコン欲しいと言い出してケータイさえ嫌いだったわたし(当時)はそんなん要らんやろ〜と言いつつもぶらりと2人で散歩がてらヤマ◯電機へ見に行ったわけです

で、お店の人から説明受けてるうち、パソコンってめっちゃええやん♡とわたしの方が魅力を感じてしまい無事(まんまと)我が家に初パソが。


超絶多忙人生から完全引きこもり生活に移行して早や数年。なんとなくこのままではいかん感じがしてきてもいた。体がなまって動けなくなるのも嫌やしなぁ、、昔から歩くのが好きやから手始めに山歩きとかしてみたいなぁ、、

でも一人で山いくとか何をどうしたらいいのかわからない

パソコンであちこちネットサーフィンしてるうち面白そうな山サークルを発見。

「中心メンバーは大学の山岳部出身者達。ふむふむ。安心やな。年齢層も若い人から中年層までいろいろやから馴染めそうかも、、」

たくさんの山サークルがある中でそこのサークルはHPがキレイで色々面白いことを工夫されてて過去の山行レポと写真からもいい雰囲気が伝わった

早速ネットから入会申し込みをしたらええ感じのお返事が来てますます好感度アップした


初の山行が初対面の人たちとの一泊キャンプで、その1週間前には実母が急死するというわたしが生きてきた中で一番恐ろしい出来事があった


この山サークルで仲良くなって個人的に一緒に山登りするようになった女子達はみんな美人で中身は男前!で海外登山とかソロ縦走とか山経験を積んでるのでいろいろ教えてもらった

彼女たちはわたしより一回りもそれ以上も歳下だったけどわたしのことを長女のわたしを末っ子扱いして面白がった。毎回全力で楽しむわたしに「ひめさんは子どもやからなぁ」とニコニコして言ったり、山の急な斜面で足が滑ってしまって「キャー!」と叫ぶとみんなから「ひめさんは中身おっさんゆうてるけどちゃう。乙女や。わたしらキャーなんかゆえへんもん。おっ!やもん」と美女たちは優しく微笑んで言うのであった


仲良くなって初めて山行以外で彼女たちと街で遊んだ時、山を始める1週間前に母が亡くなったことと鬱のことを話したら、みんな泣いてくれて「実はわたしは、、」「実はわたしも、、」と、サークルの他のみんなには隠してたさまざまな辛い過去を話してくれた。

「だから引きあったのかなわたしたち(笑)」泣いて笑っていろんな話ができた

痛みを知る人には深い優しさがある

この夜以降ますます仲良くなってこのメンバーだけで山に行きまくるようになった

大晦日もお正月も飽きずに一緒に登った

大雪の中で震えながら餅も焼いた

吹雪く雪山で遭難しかかったり、七輪や鍋を担いでって窓ガラスの割れた山小屋で突風に吹かれながら鍋大会もした

真夏にはカキ氷機とでかい氷やらアイスやらあんこやら担いで山頂でカキ氷作ってめちゃうまだった

テン泊(テントを張って泊まること)した時体調崩して熱出してウンウン唸ってるわたしを放置してひとりで山を登ってった時はほんまかいな!とあまりの自由さに驚いたけど、ほっとかれたおかげで存分に寝て汗かいてスッキリ治ったわたしを見て「治ってよかったよかった」と喜ぶ可愛い笑顔みたら、この自由さがスキ♡ってなった。笑

山行の道具やら細かいこと聞きまくるわたしに「普通は1ゆうたら10わかるのに、ひめさんは20ゆうて10わからへんもんな!」とか平気で言う人たちだった

でもわたしにはその扱いがとてもうれしかった

彼女たちといると飾らずいられた

好き放題アホなことやったり言ったりしてもそのまんま受け入れてニコニコ涼しい顔してる人たち

ものすごく自由だった

そうしてわたしはいつの間にか人に甘えることができるようになった

「でけへん(出来ない))。てへへ」とか「それは嫌です」とか「したくない」とか言えるようになった


生きるのがめちゃくちゃ楽になった♡♡♡


いつも(1人がいちばん楽や)と思ってたわたしがいつのまにか(みんなといても1人でいてもどっちでも楽しい)と感じるようになった

それはどんな時も素のままでいられる自分になったからだ


それができるようになったのは、山サークルで出会った彼女たちがわたしをそのまんま受けとめて心から面白がって遊んでくれたおかげだし、

その後に出会った大切な仲間や友達のおかげでもある

こんなケッタイなわたしを親として選んで生まれてきてくれて一緒に遊んでくれる世界一カッコいい息子すずやん(魔改造ベーシスト)にも心から感謝してる


60歳になっていちばんうれしかったのは映画がシニア割引で観れるようになったこと!(マジ)


そして今日まで生きてきていちばんうれしいのは、人生のいつもいつも、「今がいちばんしあわせやなぁ♡」と心から思えてること!


出会った大好きな人たちありがとうー!

これからもよろしくーーー

これから出会う人たち 楽しみだー

よろしくーーー


こんな長いのを最後まで読んでくれたあなたにもありがとう!!

じゃまたね♡

ひめ60さい







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