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#18 書かない、書きすぎない

わたしは、書くことが好きです。
書いたものを読んでもらうことも好き。

だけど最近は、書かないことも大事なんだな、と感じるようになりました。
たとえば、友人が、深夜の電話でうちあけてくれたくやしい失敗とか、家族が、ぽろりとこぼしたつらい気持ちとか。
彼、もしくは彼女が、そこにわたしたちしかいない閉じた世界のなかで、ひっそりと話してくれたことは、閉じた世界のなかに、そのまま、そっと閉じ込めて守っておこう。
そんな気持ちでいます。

書くことは、とても楽しい。
そして、書いたものを、読んでもらったときのうれしさは、とてつもなく大きい。
わたしの身の丈よりも、はるかに高価なプレゼントをもらったようで、そのおどろきと、ときめきに、いつもどきどきしています。
だけど、そのときめきが欲しくて、頭の中が「書きたい!書かなくちゃ!」ということでいっぱいになってしまうことがあります。
そんなときは、いけない、いけない、と手を動かして、掃除機をかけたり、マグカップの茶渋を取ったり、ほうれんそうを湯がいて、おひたしを作ったりしています。
身の回りのすべてを、もうどうにでもなってしまえ、と投げ出して、その欲求に溺れて、ぶくぶくと深く沈んでいくように、書いて、書いて、書きつづけるには、わたしは、もう大人になりすぎていました。
でも、それは悲しいことじゃない。
わたしは、愛する誰かの、お風呂上がりの、洗いたてのほっぺたのにおいを、いつでも、胸いっぱいに吸いこめることのしあわせと、それを失うことのこわさを知るほど、人生の日々を重ねてきたのだと感じました。

書かないこと、書きすぎないこと。
うまくバランスを取りながら、これからも、書きつづけていくこと。
どれも、わたしにとって、必要なこと。

書くことが、つねに希望でありますように。

ではでは、また明日。


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