雨垂れイッキュ

横浜在住の社会人。ジャズや骨董巡りが好き。

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最近の記事

大学生活を振り返って

「大学生活、君はどう過ごす?」 何気なく過ごしていた大学生活の最初のスパイス。ピリッとしたこの問いから始まり、ヒッチハイクや、海外の旅、全国の大学生との出会いや、沢山の素敵な方々とのお話。全て懐かしく、かけがえのない思い出。苦しいものも多かったが、懐かしく思える。それを懐かしく思えるのはその時の自分を今は受け入れることができるからだろう。大丈夫だよと、温かく。大切に眺めることができるから。そんなことを思いながら、自分の変遷を振り返ってみた。 初年次2016年4月ではAO

    • 最近,何か物足りないなと感じるお話

      随分と自分の考えに関して文字にしてまとめるという作業を行っていなかった。自分の書きたいという気持ちが一通り満たされて,自分の意見をこのオープンなデジタル空間に提示する感覚も掴めてきたという実感が朝日を浴びながらPCの前に座る習慣を遠ざけていった。  僕のこの一度分かった気になってその分野を後にするという癖は気をつけなければならないと思っている。なぜなら,自分がその分野に関して長い年月をかけて学んできたわけでも,誰かと議論を重ねてきたわけでもなく,つまりある意味,無知である。と

      • 大学 中国古典

        朱子によってれた「論語」「孟子」「中庸」とともに四書のひとつとされた 儒教の代表的な経典。 何千年もの歴史のフィルターに賭けられてもなお薄まることなく その、力強い教えの姿を顕にしている。そして むしろ、現代の私たちに必要な何かを示唆してくれるように思う。 いくつか、文の紹介を行う。 [原文] 大学之道、在明明徳、在親民。在止於至善      {第一章 凡そ三節} [書き下し文] 大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。 [原

        • 世の中なんてどうせ虚妄だ ~Dくんの冒険~

          世の中なんてどうせ虚妄だ。 という虚妄を言い放つのは、他でもない僕自身だった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 周知の通り、この国では義務教育なるものが行われている。そして終了後、教育を受けた子ども達は就職活動という選択を半ば強引に行わせられる。 このような選択を選べると言うこと自体は見方を変えると幸福なことだと思うが、誰かに決められたレールの上ではみ出さず、且つ従うことで最低限の生活が担保されるという魅惑的な義務に守られた子ども達

        大学生活を振り返って

          ある8月の心地よい朝に

          ここ最近は朝早く起き、読書をし、朝ご飯を食べ、大学に行き研究をするという習慣がなんとなくつき始めている。じめじめとした空気が鋭い日差しにかき消され、夏が来た。蝉の声がミシミシと聞こえる。朝窓を開けながら、本を読む僕にはいささか煩わしく聞こえるのだが、この声も7日だけのもので精一杯子孫繁栄のために頑張っているんだなと思えば、気にならなくなった。元気の良い小学生の声を聞きながら、今日も1日が始まる。自分も十年前ほどはあのように透き通った高い声で、楽しそうにしていたのかと思うと、今

          ある8月の心地よい朝に

          1 と ものさし

          1というものを考える。数学上ある特定のものを 1と規定することによって、私たちは複雑な認識を科学的に簡便化させる。 一つのリンゴを1とする。一人の人間を1とする。 福岡県を1とする。日本を1とする。何を1にしようが私の自由である。 1というものは、まぼろしのごとくに変幻自在に姿を変えていく。 ここに「1はリンゴであり、日本でもある。」が生まれる。 自由というものを、他からの強制・拘束・支配などを受けず、自らの意思で選択できるものだとするならば1は私の中で自由である。 つま

          1 と ものさし

          言葉 ~人間は社会的動物である~

          人間は社会的動物である。アリストテレスが言ったと世間一般に思われているこの言葉。 実は少々の語弊があるみたいだ。アリストテレスは著書『政治学』において、人間は「zoon politikon(ポリス的動物)である」と述べている。 「ポリス」とは、都市、都市国家、市民権または市民による政体を指すギリシャ語。古代アテナイなど、古代ギリシャに関して使用される場合は「都市国家」と訳されることが通常。 アリストテレスが言ったのは、人間は、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス

          言葉 ~人間は社会的動物である~

          昨日の事を後悔したければ後悔するがよい、いずれ今日のことを後悔しなければならなぬ明日がやってくるだろう。

          今日は、小林秀雄「人生について(私の人生観)」から心が震えた文章を抜粋。以下の文章は小林が宮本武蔵の独行道のなかの一条に「我事に於いて後悔せず」と書いてあるのを見て、その心やいかにと批評している文章である。 少し説明 「後悔してもいい」「立ち止まってゆっくり休んで」そんな穏健な言葉が飛び交う今を生きている人にとって、表題のような意表を突かれかような格言に触れることは極めて稀であるし、なんだ事へりくつ派と感じてしまう人も多いかも知れない。しかしながら、少なくとも僕は、この昔

          昨日の事を後悔したければ後悔するがよい、いずれ今日のことを後悔しなければならなぬ明日がやってくるだろう。

          放っておけば火は消えるからだ。~自分を信じることの必要性~

          ”自分自身を先ず信じられるから、私は考え始める。そういう自覚をいつも燃やしていなければらなぬ必要を私は感じている。放って置けば火は消えるからだ。” 批評の神様呼ばれる小林秀雄が書いた、この文章は、僕が自分自身を信じるということを、まるで親父にぶたれるように身にしみて体感した一文です。(あとでこの文の全体像も載せます)最も好きな文章の一文であり、このように抽象と現実を行き来し、違和感なく、ありありと、信じることに関しての深淵と人間の性質とを記し書き出している文章を僕は他に知ら

          放っておけば火は消えるからだ。~自分を信じることの必要性~

          それは、芸術?それとも娯楽?

          芸術と娯楽の違いって何だろう?ふと、そんな疑念から始まったこの問いは、普段特に気にかける問題ではないのですが、例えばなにか、絵画を見たときに、自分がこの絵を芸術と見るか、娯楽とみるかでは、大きな差があると感じます。芸術と見たときには、心になにかじ~んと形象しがたい、まるでジブリの音楽を聴いているときのような深層的回想体験を自ずと感じることができます。しかし、娯楽と見たときには、思わずふーんとこんなのもあるんだと、なにか少し自分の心の中にまで、その絵の侵入を許さないで、表層段階

          それは、芸術?それとも娯楽?

          大学生との空想的対話による考察~大学生をやる気にさせるには?~

          僕が実際にある大学生を対話をしたときの言葉のやりとりをありありと示している訳ではありません。大学生の身分である自分自身を通じて大学生である自分を、主客分離し、また自分の見ている他の大学生と会話を想起しながら行う、空想的対話です。対話と言わないかも知れませんが。笑 さて、まずなぜこのようなnoteを書こうと思ったかというと、僕は大学にいる他の仲間と単なる世知話や今はまっているゲームの話などではなく(もちろんそれも楽しいのですがもっと)、色んな物事、最近では気候変動や、審議の問

          大学生との空想的対話による考察~大学生をやる気にさせるには?~

          禅、無「本質」的分節で観ることのできる世界とは

          これは、井筒俊彦の「意識と本質」の中で示されるていることである。無「本質」的分節とは、禅の世界観を学ぶときにつかわれる。 分節(Ⅰ)→無文節→分節(Ⅱ) このとき、(Ⅰ)は「本質」的分節で、(Ⅱ)は無「本質」的文節である。彼のいう「本質」とは私たちの常識的世界を作り出しているもの、つまり、あるものを他の一切のものから区別して、まさにそのもののたらしめるものである。花を花として認知するときに、私たちは花を花たらしめる、「本質」を決定している。それが、本当にあるのか、ものを決

          禅、無「本質」的分節で観ることのできる世界とは

          片言隻句 09 ~素直に内観~

          老者にはこれを安んじ、朋友にはこれを信じ、少者はこれを懐けん →現代語訳 老人には安心されるように、友だちには信ぜられるように、 若者には慕われるように 当たり前に内包される思想的深さの絶対性 この論語の言葉は、顔淵と季路が孔子に「どうか先生の御志望をお聞かせください」とお願いした際の返答である。自分の信念を守るだのの言葉を並べるのではなく、自分の数多ある道の徳目を自分が向かい続けられているとき、周りの人がどうなっていてほしいかということを言っている。自らの思想を一貫しそ

          片言隻句 09 ~素直に内観~

          片言隻句 08 ~素直に内観~

          「曾子曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」 →現代語訳 曾子がいった、「わたしは毎日何度もわが身について反省する。人のために考えてあげてまごころからできなかったのではないか。友達と交際をして誠実ではなかったのではないか。よくおさらいもしないことを(受け売りで)人に教えたのではないかと。」 当たり前のこと当たり前にする難しさ 論語を読んでいると、本当に当たり前のことを当たり前にする難しさと

          片言隻句 08 ~素直に内観~

          片言隻句 07 ~素直に内観~

          二日酔いだけど何とか起きれた、今日も片言隻句。壁にはいつの日か掲げた 「魂力」という文字。何だかわからないけどこの言葉にはエネルギーがあるんですよね~。なんでnote書いてるのと言われたら、”魂力”と言おう。さぁ一日の始まりだ、今日もつらつらと書いていこう。 今日の隻句はこちら 「子の曰わく、巧言令色、鮮(すく)なし仁」 →現代語訳 先生がいわれた、 「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、仁の徳は。」 巧言令色な彼はカメレオン的人間だ。言わずと知れた論語の

          片言隻句 07 ~素直に内観~

          片言隻句 06 ~素直に内観~

          論語に学ぶ、現代の処世術 「子の曰わく、徳の修めざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂いなり。」 →現代語訳 先生がいわれた、道徳を修めないこと、学問を習わないこと、正義を聞きながらついてゆけないこと、善くないのに改められないこと、そんなになるのが私の心配ごとである。 時代背景古今東西、数多の書物を読み込み自分の身に生かしてきた孔子が、まだまだ学ばないといけない、実践できなければならないといったこと。それは、目指すべき、立

          片言隻句 06 ~素直に内観~