言葉 ~人間は社会的動物である~
人間は社会的動物である。アリストテレスが言ったと世間一般に思われているこの言葉。 実は少々の語弊があるみたいだ。アリストテレスは著書『政治学』において、人間は「zoon politikon(ポリス的動物)である」と述べている。
「ポリス」とは、都市、都市国家、市民権または市民による政体を指すギリシャ語。古代アテナイなど、古代ギリシャに関して使用される場合は「都市国家」と訳されることが通常。
アリストテレスが言ったのは、人間は、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(善く生きることを目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至るということでした。これは、他の動物には見られない人間に特有の独特の自然本性であると考えたのです。そのため、アリストテレスは、けっして「人間が社会を形成している」とか「社会生活を営む一個の社会的存在である」などと言ったのではなく、ましてや「人間は社会的動物である」と言ったなどとは完全な誤解であるという説があります。
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ソクラテスが人間知性の正しい行使、厳密な思考の展開、事物の誤りない認識のために、定義の絶対必要性を説いたことに乗っ取るとすると、社会とは何か、人間とはなにか、善く生きるとは何かに関しての定義をある程度、明らかに明記しなければ、そもそも最初の人間は社会的人間であるの真意すらわからない。しかしながら、言葉が一人歩きし、次々とビジネスの場など様々なトポスで解釈を施された言葉を語弊とみなし、もう一度その真意を厳密な定義でないにしろ再編成することは言葉を扱う社会的動物としてのコミュニケーションの円滑材、救済措置として必要なことだと思う。その際に「無知を知る」から出発する。つまり、「真理が何であるかを自分は知らないと言うことは自分は知っている。」という前提に基づいて、思考の順路を編成する。そうすることによって、一種、言語の信頼性を否定しコミュニケーションに対してアイロニーばかりを言うようなことは避けつつ、何がAなのかつまり、何が真理なのかという問題に取り組んでいくことが重要になってくる。
話を戻すと、ここでは、人間は、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(善く生きることを目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る。ということの解釈のずれがこのような語弊を生む原因になっている。どうすればこの解釈のずれをなくす事が出来るのだろうか。思うに、それは無理だ。完璧にずれをなくすためには先ほど明記したとおり厳密な定義をしなければならないし、もっと言えば定義に用いる言葉さえ解釈が各々異なるかも知れない。そうしたならば、半ば無限後退的に定義をしなければならなくなってしまうからだ。そのため、ずれをどのように少なくするかとするのが適当だろう。今回示した人間は社会的動物であるという文章では、言葉が抽象的であるが故にポリス的共同体の意味も含まれているんじゃないのという様にもとらえることが出来る。そのためなんだか分かるけど、へりくつを言っているなぁ~というようなどっちつかずの状態になってしまう。
これは、明らかに文章が足りないのである。いきなりまとめを言われただけで、どういう経緯で其の結論に至ったかという、背後のストーリーが全く共有されていない。まるで、プレゼン発表のスライドのまとめの部分だけ見せられて、ということです。といわれているようなものである。なんでそう思ったのと言うことがぬけている。そうなった場合、その過程というものは各個人の解釈によって埋められる。フェイクニュースなどが盛んになってしまった昨今では誤解したデータを用いてその過程を埋めるものも出てくる。そして、誤解した解釈がまた、誤解を呼び、偉人が血肉を賭けて紡ぎ出した言葉が輝きを失っていく。そのような事態を避けるためにも普段の会話の中や、端的な言葉(まとめのような)を用いるときには定義やそれがどのような意味を持つかをなるべく丁寧に説明しようと思う。
本来、人間は社会的人間であるということの再解釈をやろうと思っていたけど、最終的に自分の心構えが出来てしまった。笑
お酒を飲んだ次の日はどうしても...ね、今日も一日頑張ろう
#言葉 #定義 #アリストテレス #ソクラテス #解釈 #社会的動物 #人間 #今日も頑張ろう
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