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それは、芸術?それとも娯楽?

芸術と娯楽の違いって何だろう?ふと、そんな疑念から始まったこの問いは、普段特に気にかける問題ではないのですが、例えばなにか、絵画を見たときに、自分がこの絵を芸術と見るか、娯楽とみるかでは、大きな差があると感じます。芸術と見たときには、心になにかじ~んと形象しがたい、まるでジブリの音楽を聴いているときのような深層的回想体験を自ずと感じることができます。しかし、娯楽と見たときには、思わずふーんとこんなのもあるんだと、なにか少し自分の心の中にまで、その絵の侵入を許さないで、表層段階で処理して、その絵に対する、いいね、悪かったね、というまるで、何も知らずに批評するテレビコメンテーターのように驕った判断をしているように感じます。

アスファルトに咲いた一輪の花に何を感じる?

この差は一つ、自分の人生を豊かにするためにも重要な違いだと思います。美しい物を美しいと思えないということは、例えば、アスファルトに咲いた一輪の花に、何も感じることできずに、美しい物を美しいと思えないということのように感じます。そのような人は、アスファルトに咲いた一輪の花に、何も感じることできずに、踏み荒らしていくという周囲の事をまるで見えていない自分中心的な人と思われても仕方が無いでしょう。そうではなく、少し立ち止まって、ただ咲いている美しい花を傍観し何か、今日も頑張ろうという気持ちを知らずと得られる心を持つ人の方が私には一つ、人生が豊かになるように思えるのです。

そもそもなんなのだろう?

私は、そのような違いをもたらすのは、心がどのようにあるもの(先ほどの例では花)に向き合っているのかということに繋がると思うのです。そして、その異なる心構えが無意識に絵画と対面したときに、芸術か、娯楽かということを世間一般的には判断させているのだと感じています。こう思ったときにそもそも辞書ではなんと言われているんだろうかと思い、調べてみました。

芸術・・・表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。旧字体では藝術。(wikipedia)
娯楽・・・一般に人間の心を楽しませ慰める活動をさす。したがって娯楽は、睡眠・食事・その他の生理的必需行動や労働・学業などの義務的行動の対極にあって、余暇時間のなかで行われることが多い。(日本大百科全書)

なるほど、芸術とは表現物に対して、自分が何か働きかけることによって生じる感動や、癒やしなどの精神的・感覚的な変動を得ようとする活動であるらしい。一方、これが面白いのですが、娯楽とは自分の心を楽しませ、慰める活動をさすらしい。ワークアンドライフバランスと一時期よく叫ばれていましたが、一種仕事によって生じたストレスを娯楽によって緩和し、癒しを得るようなようなことなのでしょう。


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さて、ここでやはり、芸術と娯楽には差がある事が分かる。芸術では、作品と自分が同じ立場(※もしくは作品の方が上)であるが、娯楽では、作品は手段で有り、作品より、自分を中心として扱っているのである。理不尽をうけて弱まったストレスの吐き口として、嫌なことを忘れるため、娯楽対象を鑑賞するのだ。なるほどこれでは、本来評価されるべき、芸術的作品も価値を失っていくだろう。一流の品は、一流の物が見なければ分からないように、例えば、悲劇的歴史の最中に感じた言い表せないような感情を決しも思いで絵画にした芸術家がいたとしても、私たちがきちんと向き合う姿勢を見識を心理的状況を準備していなければ、たれにも届かぬ悲痛の叫びとして騒音の社会の中で埋もれていくだろう。

では、どのように向き合えば良いのだろか

方法論の一つとして、作品に対して抱く価値観が娯楽的に、つまり自分中心的になっているとするならば、自分の主観的な感情を抑えて、絵画に無意識的に向き合う。ということが言えると思います。日頃の騒音を忘れるため、ストレスを癒やすため、という主観的な意識が先に来てしまうと、どうしても自分が先にきてしまう。そうではなくて、自分をなるべく小さくして、作品それ自身が何を言わんとしているか、そのものを楽しむ。この作者は何を伝えようとしているのか。この人は社会に対する言い表せない不満をこの絵画のなかで告白しているのだな。確かに、このように感じてみると社会という物は少し狂っているのかも知れない。だとすれば僕たちは少し立ち止まって考えてみる必要があるのかも知れない。というように、自分の心を波立っていく様を感じることができるかと思います。そして、そのように感じていくことで自分の中の情緒を育てて、さらに芸術の中でも、自分を奮い立たせるようなもの、有無を言わさぬ感動をもたらすもの、なにか気分を穏やかにしてくれるもの、のように区別がつくようになるのだと思います。

かの批評の神様とよばれた小林秀雄はこんなことを言っている。

神経質で、物事にすぐ感じても、いらいらしている人がある。そんな人は、優しい心を持っていない場合が多いものです。そんな人は、美しい物の姿を感ずる心を持った人ではない。ただ、びくびくしているだけなのです。ですから、感ずるということも学ばなければならないものなのです。(美を求める心)
そして、立派な芸術というものは、正しく、豊かに感ずることを、人々に何時も教えているものなのです。 (美を求める心)

立派な芸術とはなんなのかここでは、言及しませんが本来芸術とはこのような感性を育ませることができる物なのだと思います。このような情緒を育てることが人生を豊かにしてくる一つの手助けになるのでしょう。
 

このような考察は抽象度が高く、何を言っているか伝わりにくいかも知れませんが、何かを感じてもらえれば嬉しいです。また、そのそもの厳密なはなしだったり、美の話だったりということ、僕自身の体験談などはまた機会があれば頑張って書いていこうと思います。

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