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大学生との空想的対話による考察~大学生をやる気にさせるには?~

僕が実際にある大学生を対話をしたときの言葉のやりとりをありありと示している訳ではありません。大学生の身分である自分自身を通じて大学生である自分を、主客分離し、また自分の見ている他の大学生と会話を想起しながら行う、空想的対話です。対話と言わないかも知れませんが。笑

さて、まずなぜこのようなnoteを書こうと思ったかというと、僕は大学にいる他の仲間と単なる世知話や今はまっているゲームの話などではなく(もちろんそれも楽しいのですがもっと)、色んな物事、最近では気候変動や、審議の問われる温暖化、学生の情緒、テクノロジーの行く末などをお酒でも飲みながら気軽に語り合いたいという願望があって、そのためにどうしたらそのような人の絶対数を増やせるのだろうかと考えているからです。直接声高らかに伝えたら良いではないか!とも在ると思いますが、その範疇では現状の大学生の根源的問題点をうまく汲み取ってあげた上で、活動できないと思っており。そうするとたとえ少し興味を持ってくれたとしても、すぐにまた何事もない希薄だが安穏な一日に舞い戻っていくだろうと思います。また、そのように考える大学生が一人くらいいないとその根本問題に関して手つかずで放置されてしまうと思います。僕は、活発に寛容な振る舞いではなく客観的にゆっくりと大切な物を大切にしながら考えていきたいのです。つまり

「変化によって失う物は確実だが、変化によって得るものは不確実である。」「その不確実性のぶんだけ変化には注意深くあらねばならない。」
                      ~オークショット~(英)

その英国の保守思想を重々、腹の底に抱きながら、

「為せば成る為さねば成らぬ何事も  成らぬは人の為さぬなりけり」
                                                                           ~上杉鷹山~(江戸後期)

という士道の志を抱いて推進していくということです。そうした価値観のもと、今回はどうすればもっと社会に関心をもつ、大学生を増やせるだろうかということを考えていこうと思います。


井の中から大海を知るにはどうしたらいい?

僕は現在長崎大学といういわゆる地方の大学に進学しており、
そこで感じる雰囲気は、普段都会で生活している人が実家に帰ってのんびりしているときのような、なにか取り分け焦るでもなく、なにかに追われるわけでもなく、ただ大学という閉鎖的な環境で、出される課題を黙々と自ら受動的に引き受ける、繰り返しをし続ける雰囲気を感じます(もちろんそうでない人もいますが希有です)。

福岡市のようにスタートアップの企業が多く集まることによって人材が集中し、それによって活発に勉強会など若者の人材育成のためのイベントなどが行われていたとするならばもう少し開放的な雰囲気が学内に漂うことでしょう。しかしながら、人口流出と高齢化による若い人材が少ない長崎ということもあり、なかなか自分の今の現状に不満を持ったり、もっと色んな職種があって、価値観が合って、これからはそんな時代の中で生きるんだよ!また、こんな問題が世界で日本で進んでるんだよ!と、表面上だけの上っ面で教えるのではなく、その人の心に腑に落ちるように教える、もしくは教えてもらう機会を持つことはとても少ないことのように感じます。


 みんな、ある程度はこのままではやばいやろなぁ~など、なにかあたらしいことしたいなぁ~という気持ちはもっているのです。踏み出す、きっかけがないだけなのです。何に対して踏み出すかというと、実は色んなところですでに教えてもらっているのです。
・海外に旅に出かける
・青年協力隊(ボランティア)に参加する
・留学する
・サークルを立ち上げたり、ビジコンにでる
・ヒッチハイクをする
・大学のOBのひと、先輩に話を聞きに行く
・近くで行われているイベントに参加する   
などなど,,,,,,

といったようにどれも一度は目にしたり聞いたことがあることでしょう。ですが、なかなかそこに踏み出すきっかけができない。これは、とても重大な問題です。なんせ、なにかしたい、なにかしなきゃな~と思っているにも関わらず、しないという自己矛盾が生まれているからです。

僕は、その理由が根本には精神的なものであると思っています。そして、その精神的なものにアプローチするためには、知識を得ることだと考えています。その知識は、例えば自分自身の自己矛盾を知ることだったり、世界でこんな問題が起きてるやばいよねっしかもこれって明らかに論理的におかしいじゃん!て知ることだったり、他の大学生はもっと色んな事してるよって知ることだったり、そんな、自分の考え方を変化させてくれるような知識をこつこつと積み上げていくことだと思います。先ほどあげた行動群は、それを実行することで、踏み出すきっかけをさらに増大させてくれる。そして、また次の踏み出すきっかけを生み出してくれる。

ということがおおよその一般的なきっかけを得るための正の側面(助長してくれる要素)になると思いますが、ここでは少し踏み出すきっかけを得るのを妨げる、負の側面に関しても考えたいと思います。(※社会に関心を持つ人を増やすという文脈で)

例えば
・ゲーム
・長時間のYouTube
・長時間のSNS(line twitter)
・過剰なバイト
・不規則な生活習慣による倦怠感
・出会い系マッチング
・意識高い系は寒いという風潮
・サークル活動
・大学課題の提出
などなど(追記の可能性有り)

これを、~しなきゃなという各人が持っている踏み出すきっかけに対して接近する気持ちに対してどのように作用しているか整理してみると、

・ゲーム
・長時間のYouTube
・長時間のSNS(line twitter)
・過剰なバイト
→時間の浪費。群
 気持ちはあるけど、別のことしちゃうんだよタイプ
・不規則な生活習慣による倦怠感
・出会い系マッチング
・意識高い系は寒いという風潮
・メディアによる、大人達の汚職や不正報道
→関心の低下。群
 そもそもの気持ち自体が希薄になってくる
・サークル活動
・大学課題の提出
→やった気になっている。群
 自分の活動領域を広げようとせず、今いるところの中で活動し、自分はうまくやってる踏み出せたと、そこで止まってしまう 

簡単にそのように区分けできるかと思います。このように見ているとかなり多くのエッセンスがこの踏み出すきっかけを妨げていることが視覚的に認識できますし、現在の社会問題となっている携帯電派の過剰な使用(SNSやYouTubd)そして、そこから抜け出せない若者を見てもこの問題が以下に深刻化ということが分かると思います。実際に僕の友人の一日のほとんどの時間をゲームに使ったり、携帯を使用していることをよく言っていました。しかし、そういう人に限ってなにかしたいなぁ~とか、最近なにもないなぁ~(面白い体験が)などと不平をいうのです。自分自身でその面白いことに踏み出せるきっかけを潰しているということも知らずに。つまり、大半の学生の現状は、『自発性を失ったことによる、心の空洞を満たすために不平を言っているが、しかし、その不平を満足させるためには自発性がいる』という悪循環のなかを放浪としているような物だと言うことです。このことを知識を通して自覚する、させることがまず、一歩踏み出すためにとても重要だと思います。

その他にも大学の制度の問題だったり、イベントが活発に行われない地方の問題、人々がどのように生きていこうかという哲学的な問題も沢山在ると思うのでこれから考えていこうと思います。

※この要素もあるんじゃないというのがあれば教えて頂けると幸いです,,,!


#大学生 #やる気 #動機 #対話 #自己矛盾 #哲学 #保守 #武士道 #踏み出す #きっかけ

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