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資料づくりでは説明の流れを作って、 その中で情報を関連付ける

専門知識は自由な発想の邪魔をするか?

 2021年10月19日朝日新聞朝刊に「専門知識は自由な発想の邪魔?」という記事(科学面)が掲載された。記事では東京大学の研究チームによる成果として科学誌ネイチャーのウェブサイトで読むことのできるレポート「知識が増えると集中的な注意配分パターンが発生し、発想のパフォーマンスが低下する(原題:More knowledge causes a focused attention deployment pattern leading to lower creative performances)」を取り上げている。
 レポートに目を通して、私が興味を引かれたのは以下の内容だ。
 200人を対象に本人が持っているスピーカーを写真に撮ってもらったところ専門知識が多い人ほど細部を大きく撮影する「集中的な注意配分パターン」を持ち、専門知識の少ない人は周辺が見えるように引いた位置から撮影する「分散的な注意配分パターン」の傾向を持つ。
 また同時にスピーカーの新機能のアイディアを考えてもらったところ、専門知識が多い人と少ない人では大きな違いが見られた。専門知識が多い人ほど新機能のアイディアを思いつかなかったり、従来型の延長で発想する傾向があるのに対して、専門知識の少ない人は専門家が相対的に高い評価をするような提案が目立ったという。 
 専門知識が多いほど特定部分に集中する傾向があり、ときに柔軟な発想をさまたげてしまうということであろう。

フレームワークが生かされない

 「集中的な注意配分パターン」は、私が行う研修で参加者が見直しのために持参してもらっている資料にもしばしば見かける。
 たとえばプレゼン資料や企画書、提案書のなかで問題を分析する部分ではフレームワークや分析ツールを駆使して緻密に分析し、感心するようなレベルのものを提示しているが、そのあとに続く提言や解決策がどの組織にもあてはまる教科書的な表現に終始していたり、ただ自社の商品やサービスを解説したりするものだったりすることは少なくない。
 また提言や解決策は精緻に表現されているが、「そもそもなぜそれを行う必要があるのか」が伝わってこなかったり、問題分析に相手の関心をひきつけるものがなかったりする。
 言うまでもなく、前者も後者もこうした説明は説得力に欠ける。説明では人は一連の流れで理解しようとするからだ。

点と点を結ぶように取り上げる情報を結びつける

 説明のなかで、それぞれの項目で取り上げている情報の関連が「なんとなく関係がありそうなんだけど、はっきりしない」といった印象を与えるようでは、説明はわかりにくいものになってしまう。このことを図で示すと次のようになる(下記「図1 近似線しか引けない説明はわかりにくい」)。この図ではドット(点)が取り上げられた情報を示す。
 相手が説明を理解しながら、これらのドットを頭のなかで結びつけようとしても近似線しかひくことができないために、内容は腑に落ちることがない。

図1 近似線しか引けない説明はわかりにくい


 わかりやすく、説得力のある説明にするには近似線ではなく、理解していくにしたがって順にドットとドットを結びつける線が引くことができる必要がある((下記「図2 わかりやすい説明はドットとドットを結ぶ付けることができる」)。

図2 わかりやすい説明はドットとドットを結ぶ付けることができる

「伏線」は回収されなければならない

 問題の分析がしっかりしているが、その内容が提言や解決策の内容に結びつけられない説明は、「伏線」が張られているが、回収されないまま終わっているのと同じだ。
 提言や解決策は充分に表現されているが、その前に「そもそもなぜそれを行う必要があるのか」といったことが伝わっていなかったり、納得のない問題分析がなかったりする説明は、「問い」のはっきりしないまま、回答を見せられているようなものだ。
 説明の流れのなかで提示された「伏線」は回収されなければならないし、解決案は「問い」を理解した上でないと意味をなさない。

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