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自己意識は{現象-認識-解釈}の不一致性にやどる、それゆえの苦悶

「八正道」(仏教)、「意志論」(ショーペンハウアー、他)、「接続と切断、差異と反復」(ドゥルーズ)、「無痛文明論」(森岡)、「絶対矛盾的自己同一性」(西田)の総括的所感

自由意志があるのかないのか、神がいるのかいないのか、そのような一般解のない話はここではしない。それらは「物質の動き→感覚器→神経→脳」という不連続な感覚機関が作り出した認知空間における感覚的存在にすぎないのだから。

生涯一貫して全く違和感のない自己同一性(アイデンティティー)を持って生きられる者はいないだろう。誰しも「自分とは何か。」「この人生で何をするべきか。」「今していることが正しいのか。」という疑問を抱いたことがあるはずだ。現代の社会は、このような問題を唯物論で棚に上げて気づかないふりをしたり、”思春期”という言葉で簡単に片付けてしまうことが多い。

たしかにそれが賢い”大人の対応”であり、そうするより他にこれといった解決策は存在しない。「心と体」の問題は、結局は個人で片を付けなければいけない問題である。

しかし、ずば抜けて聡明で優しい先人たちは、これらの問題とうまく付き合うための”道標”や、わかりやすい”マニュアル”を作り上げていった。それが宗教や哲学と言われるものだ。

人間が、文化人類的な脳(情報処理器官)を獲得して此の方幾星霜、広く自他について見識を深めてきた。しかしこれら"根本的"苦悶の問題は"構造的"限界として、いつまでも解決することなく生身の体を有する生物に否応なく受け継がれていくであろう


彼らの心の平穏無事を祈る。




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