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参加サークル:藤原佑月

文学イベント東京 参加サークル、藤原佑月様の紹介ページです。



■ 「〇一の境界」



電子書籍「リストランテ・マリオネッタ」に続く好篇「〇一の境界」

「涅色の手記」「君の声」「時のかけら」「桜散風」「君の輪郭」「銀杏色のスカート」

「こちらへおかけください」
その椅子は、以前見たのと同じ位置に同じ格好で置いてあった。小さな丸い木の座面に細い背もたれがついている。腰掛けると堅くて、とても座り心地がいいとはいえない。
はい、終わりました、と声をかけられ、目を開いても、何が変わったのか分からなかった。確か高校時代のエピソードだったような気はするけれど、思い出せない。もしかしたら、たいした思い入れはなかったのかもしれない。
銀色の紙にくるまれた飴を受け取って、私は【梟トヲリ飴店】と書かれたカウンターに背を向けた。外へ出て手のひらを開くと、木漏れ日に照らされた包み紙が虹色にかがやいた。


■ 「遥けき果ての」



 僕が生きる世界は、というのはおかしいかもしれない。

 僕は、僕の生きる世界しか知らないのだから。

 でも、何百年か時が経って、僕たちの生きた世界がひとつの「過去」になったとき、僕の思う未来はきっと今とは全然違っているのだろう。なにも変化しないとき、人はそれをあえて過去とは呼ばないから。

 この記録は、そんな近いのか遠いのかわからない未来へ向けて遺そうと思う。

 君がいるかもしれない未来のために。


 何から話そうか。
 なにしろ、この記録に触れる誰かがいる時の中と、僕の生きる今とで何がどう違うのか、僕には知りようがない。もしかしたら特別ではないことばかり話してしまうかもしれないけれど、ひとまず、僕の知っている「過去」と大きく違うところからはじめることにしようと思う。

 
 僕が生きる世界には、三種類の人間がいる。

 性別という分類があるように、それらは「伽種〈ときたね〉」と呼ばれている。同じ意味を表す別の言い方でロキイ、または略してロキというものもある。

 ジェンダーとセックスみたいに、もともとはそれぞれ固有の意味を持っていたのかもしれないし、あるいは学術名と一般名のように使われ方が分かれていたのかもしれないけれど、少なくともいま僕の生きている時代には、二つの言葉の間にそういう差はない。

 あえて言えば、伽種よりはロキの方が多少気軽なニュアンスを含んでいるかもしれないくらいの違いはあっても。


 それから、この世界に男女は半分ずつくらいいるけれど、三種類のロキの内訳はそんなに綺麗じゃない。

 たとえば、ある学校のクラスの半分がアウディーレ、あとの半分がウィデーレで、ドゥオと呼ばれるロキは残念ながらクラス内には一人もいないと思う。


 ドゥオがクラスにいない理由は二つある。

 一つは、単純に生まれる人数が圧倒的に少ないから。性別と同じように、ロキ自体は遺伝しないと言われているので、なぜドゥオだけがそんなにも少ないのか僕にはわからないけれど、アウディーレ同士の子どもがウィデーレだったり、ウィデーレとアウディーレの間にドゥオが生まれるということも起こり得る。理由のもう一つは、もう少し後で話すことにする。


 クラスの半分を占めるアウディーレというロキの語源は、古い言語で「聞く」という意味を持っているらしい。

 アウディーレは、文章の読み書きが上手にできる。それから耳も聞こえるのだけど、聞こえてくる言葉の意味は理解できない。

 たとえば歌の練習のように、発音を真似して繰り返すことはできても、それだけではうまく会話ができないから、アウディーレ同士のコミュニケーションは文章のやりとりになることが多い。ずっと昔からある言葉を借りれば「エクリチュール」というやり方だ。

 あとの半分のウィデーレと呼ばれているロキは、目は見えるけど文字列の意味を理解できないし、文章を書けないから、ウィデーレ同士は「パロール」という口頭で会話する方法をとっている。


 そして、ものすごくめずらしい存在が、ドゥオ。語源は「二」をあらわしていて、彼らは視覚でも聴覚でも言葉を理解できるし、書いたり話したりというアウトプットもできるそうだ。

 僕の生活している地域には、およそ一億人の人間が住んでいるのだけれど、いま生きているドゥオは記録上、十人にも満たない。「いま生きている」と言ったのは、彼らは三歳で言葉を話して十歳で死んでしまうと言われているからだ。

 ウィデーレの子どもはふつう、二歳までには大人の真似をしてつたない言葉を話しはじめるから、二歳を過ぎても自分の子どもが言葉を話さないとき、両親は「どうかこの子がアウディーレでありますように」と祈り続けるそうだ。もしドゥオだったとしたら、その子と永遠に引き離されてしまうから。

 彼らは何万人に一人の確率でしか生まれないので、存在が確認されるとすぐに役人がやってきて中央の特別な機関へ連れていかれる。これがさっき言った、ドゥオがクラスに一人もいない理由のもう一つだ。

 ちなみに僕もアウディーレなので、母親はとても心配したそうだ。「あなたがアウディーレとして生まれてきてくれて本当によかったわ」と、小さなころ何度も優しく頭を撫でられたのを覚えている。

 もし僕なら自分の子どもとの時間を役人に奪われるなんてまっぴらだ。たとえ一緒に暮らしていても、数年後には永久の別れを経験しなければならないのに。

 噂では、アウディーレに見せかけて必死にドゥオであることを隠す人たちもいるというから、本当のところは、ドゥオの人数は僕らが知っているよりもずっと多いのかもしれない。


 ところで、もしこの記録に触れている誰かの現実に僕たちのような分類が存在しないとしたら、いったいどうやってロキの枠を超えたコミュニケーションをとりながら暮らしているのか、きっと不思議に思うだろう。

 中には「学習してみんながドゥオの能力を身につければ解決することだ」と考える人もいるかもしれない。でも残念なことに、どんなに訓練しても自分と違うロキのことばを手に入れることはできない。つまり、僕らは誰も生まれたあとにドゥオになれないのだ。

< 続く >


「〇一の境界」600円
「遥けき果ての」600円
は、文学イベント東京 販売予定作品です。

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