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パリ軟禁日記 4日目 ランニングと夜の拍手

2020/3/20(金)

夕方、ランニングに出た。学生の頃に下北沢で買った、いつものジャージを着て。

霧めいた曇り空だった。直前まで小雨が降っていたような、湿り気のある空気。典型的なパリの冬空だった。昨日と同じくシャン・ド・マルス公園に向かった。昨日と違って公園には人がほとんどいなかった。蛍光色のジャージを着たランナーが2、3名いるばかりだった。このままエッフェル塔の下を通って、トロカデロ広場まで行こうと思っていた。途中で、巡回しているパトカーに乗った警官とすれ違った。警官がウィンドウを下ろしたので、身分証を出す準備をした。助手席に座っていた、薄めのアゴ髭を生やした警官はその必要はない、と手で制して言った。「今日からこの公園は立ち入り禁止になった。新しい発表がいつになるかは分からないけど、それまでの間は閉鎖。明日かはもう来ないようにしてください。」 昨日のル・モンド神の記事で既にシャン・ド・マルス公園を含む、何箇所かの場所に多くの人が出入りしていることは指摘されていた。当局は早速アクションを起こした、ということだろう。それだけ告げると、外出許可証の確認をすることもなく、警官隊は任務に戻った。きっと彼らだって、この紙切れをいちいち確認するのにうんざりしているのに違いなかった。

人も車の往来も少ない霧めいたパリを走っていると、いま何時なのかが一瞬わからなくなった。以前一度、早朝のパリを走ったときの感覚に似ていた。空気が綺麗で、静かな通り。パレ・ド・トーキョーの広場の前を通りがかった時に、黒のパーカーを着たスケボー少年が一人でトリックの練習に励んでいた。今回の外出禁止が終わった時に仲間に見せて驚かせるつもりなのだろうか、それとも本当に個人的な向上心というやつなのだろうか(スケートボーダーはいつも仲間と一緒のイメージがあるけれど、一匹狼で己を高めるためだけにやっている人っているのだろうか)。ともあれ、頑張る彼に心の中でエールを送りつつ、僕は右手に流れる川に視線をやった。いつものように緩慢でおだやかなセーヌだった。

夕食は妻が鶏の唐揚げを作ってくれた。後片付けが面倒なので揚げ物を普段しない我が家では異例の試みだった。昨夜のタルタルソース 、アボカドとミニトマトを添えたサラダ、味噌汁と白米でいただくことにする。まるで日本で食べる定食のようだった。当たり前と思っていたことは、実は当たり前でもなんでもない、ということが身にしみるここ数年。醤油で薄く下味をつけた揚げたての唐揚げは、なんだか懐かしい味がした。

20時になると街から拍手の音が聞こえてくる。テレビのニュース番組ではフランス各都市のこの拍手の大合奏を報道していた。これは、この非常時に懸命に国民のために働いてくれている医療関係者たちへの感謝の気持ちなのだそうだ。

僕もつられて拍手をした。気持ちとしては、病院関係者だけではなく、スーパーやパン屋さんなど人々の生活を支えるためにリスクをとって働き続けている人たちすべて、また、外出したい気持ちをグッと堪えて家にいることを選んだ人たちすべてへの労いをこめたつもりだった。拍手の音は向かいの建物に反射して、無人の通りによく響いた。他に何もない金曜の夜だった。

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