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【小説】『規格外カルテット』4/10

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(10回中4回目:約3300文字)


4 フェイクホワイトとハニービター


 指名の上で予約をもらえている以上、出来るだけ適切な指導を心がけたいとは思っているが、それでも諸々の事情から、気が合わないように感じる利用者はいる。
「ハッチィそれってキスマークゥ?」
 少し固まってしまったのは、以前咲谷先輩とそういった話をしていた時に、自分でもやけに具体例が浮かぶな、と思っていたが、そうかこの人のイメージだったかと気が付いたからだ。
「ほら首筋の、それ」
「おかしなあだ名で呼ぶのはやめて下さい。あと首筋は、虫刺されです」
「ええぇ? 虫刺されでそぉんなに赤くなっちゃうかなぁ」
「なります」
 そこは事実だから動じない。みるさんは、人目に付く所に跡を残したがるような人でもないし。
 マンツーマンでのトレーニングを希望しておきながら、やる気がほとんど感じられない。一応は男性で、本人も男性と認識しているようだが、しゃべり方にクセがある。服装も、サイズが合っていないようなゆるゆるの白Tシャツに、裾を引きずりそうなスウェットパンツで、ベンチに腰かけて自分にお手本ばかりを要求しては、それを眺めながら「やだすごぉい。カッコいいぃ」とはしゃいでくる。
「ねぇハニー、ホワイトデーは何お返しするのぉ?」
「先ほどやめて下さいと言いましたよね。あと無駄話はやめてもらえませんか」
「ええぇー、だってぇ、アタシお返しどうしよう、って今すっごく悩んでるんだもぉん」
 彼女いるのか。そしてチョコレートもらえているのか。まぁ好みは人それぞれだから何もおかしくはない。
「ハチ公カッコいいからモテんでしょ。彼女くらいいるんでしょ。お客様のお悩みに、早く答えてみせなさいよ」
「呼ばれる度にあだ名が不愉快になっていくのはどういうわけですか」
 そう言いながらその間に耳にした内容を取りまとめて、回答を考えている自分がいる。
「お返しに悩むくらいには、大切に思っている相手、という事で間違いは無いですか」
 んー、と背伸びの流れでベンチに、あお向けに寝そべり、
「そ、こ、ま、で、で、も、ないんだけどぉ」
 クスクス笑いながら背中をくねくねよじらせている。腹を立てても良いんだが、切り捨てるだけで足りるだろう。
「それなら僕が何を考える必要もありません」
「いやぁん照れちゃったんだってばハチ公。感じ取ってよぉ」
「最も不愉快なあだ名を定着させないで下さい」
「大切に」
 くねくねが止まったタイミングでふと、
「思いたいなっていうか、思えるようになれたら良いなっていうか」
 本音っぽい事を口にしてきたりもするので、油断できない。聞こえた時点で掴み取っておかないと、どうせまたすぐにどうでもいい方向へと流れ去ってしまう。
「ルミちゃんカラダものすっごくエロイからぁ」
「最低ですか」
「そばで座って見てるだけでアタシ、もうビンッビンになっちゃうんだけどぉ。お仕事で会う人たちみぃんな、よっく平気でいられるよねぇ。ねぇホントは平気じゃないんじゃないの? アタシのルミちゃん持ち帰ってオカズに」
「聞いていられないので無視していいですか」

 インストラクター達には彼に対する、妙な要望が付け足されていて、
「絶対に名前を呼ばないでほしい」
 とある。
 特殊な要望でまず見逃されるし、そこを意識すると大変にやりづらい。距離感を縮めるためやとっさに危険を知らせるために、名前を呼ぶ事は最も手っ取り早い手段になるからだ。
 しかしうっかり呼んでしまったインストラクターには、思いっきりすねた様子になって、「もう帰る」と言い出すし実際に帰ってしまう、らしい。直接見ていない話は半分で聞いておくが。
 特に変わった名前でもない。音だけならごく普通だ。しかし字面には見覚えがあり、心当たりがあった。個人的には懐かしさに、どこかホッとした気持ちと、嫌な予感まである。
 これも何かの思考のきっかけだと思って、時々の不愉快さはともかく予約される限りは担当するつもりでいるが、
 施設の地下ワンフロアを使い切った駐車場の、バイク置き場に向かって行くその途中から見えていたが、自分のレブルの隣にはその日、真っ白のロングコートが立っていた。
 近付いて行く自分の顔を、少し屈み込んで覗き込みに来る。
「これ、ハチ公ワンワンのバイク?」
「嫌な予感はしていましたけど犬扱いになっていますよね」
「カッコいいなぁ。レブル、って名前が面白ぉい。通勤に使われちゃってる、『反逆者』」
 コンクリート壁に囲まれた薄暗い中に、クスクス笑いが低く響いて、不愉快に感じそうになるけれど、意図が分からない。自分も皮肉に思いながら使っている要素ではある。
「ねぇ」
 とまっすぐ伸ばせば自分と同じくらいになる背丈で、
「後ろにアタシ、乗っけてくれない?」
 にっこりした笑顔を見せながら言ってきた。
「お断りします」
「えええぇ? やだぁハチ公あっさりしすぎぃ」
「まずヘルメットは持っていますか」
「ヘルメットォ? 無くたって乗れんじゃないの?」
「乗れません。法律で禁止されています」
「法律なんか、気にしなくたっていけるでしょ。平気平気ぃ」
「万が一にでも転んで運が悪ければ、死にます」
 ロングコートの下はひらひらのロングスカートに、飾り紐が長いブーツだ。
「貴方の今の服装も、二人乗りには適していない。同乗者を、危険にさらすような真似は出来ませんし、したくありません。そのための法律です」
 少し離れるよう身振りで示し、壁に寄った事を確かめてからレブルにまたがる。会話の間に出しておいたヘルメットを、かぶろうと持ち上げたその時に、
「……あのさっ」
 言ってきたのでつい手を止めてしまった。
「はい?」
 思いっきり目があった顔が、見ている間に少しずつ、赤くなっていく。何か、とても言いたい事がある様子だが、どの方面からどんな言葉に変えていいものかが分からなくて、まとめ切れずに向こうでも困っている様子なので、ここは焦らせないように、こちら側も聞く姿勢に入ろうと、改めて見やった目の奥に、文字に変えるなら
「あ。よし。これで行こう」
 みたいなひらめくものを感じた。
「蜂須賀さんっ……、好きでぇっす! 付き合って下さぁい!」
 地下の駐車場全体に、響き渡ってこだままで返ってきた。ごく軽めだがしっかりと絶望を感じながら腕を組み、じっと黙って目を閉じたまま、反響が収まった頃合いで言い渡す。
「無理です」
「ああぁん! ねぇハチ公ぅ!」
「そのあだ名を呼び続けている限り僕の方は不愉快に思い続けます」
 気を取り直してヘルメットをかぶり、グローブをはめる合間に説明する。
「僕には今、好きな人がいて、貴方にも、ルミちゃん、でしたっけ大切に、思い始めている人がいる。嘘でなければ」
 サイドスタンドを跳ね上げて、ハンドルロックを外し、エンジン、をかける流れは止めた。
「仮に嘘であったとしたなら、今日の指導時間は嘘の話で大半が潰れてしまった事になり、ますます不愉快です。貴方と付き合っても構わないと、僕が思える可能性はありません」
 言い聞かせている間に向けられていた顔からは、赤みが落ち着いて、最後あたりはむしろ呆れた様子でため息までついてきた。
「蜂須賀さんってなんだ実は相当変わってんねぇ」
「貴方に言われたくはありません」
「うん。でもちょっと、安心した」
 エンジンをかけ振動を感じている左側から、かろうじての声量で聞こえてくる。
「あの子と付き合えてるわけだ」
「もう、行っていいですか?」
 にっこり笑ってひらひらと、ロングコートの袖からはみ出した、手の先だけを振ってくる。それを見届けた上で一つ頷いてから、スロットルを開けた。
 向こうの側からはっきりと言葉にしてこない限りは、お客様の個人情報に、こちらの側から首を突っ込むわけにもいかないが、
 見た目もやはり似ている上に、「絶対に呼ぶな」と要望されている彼の名前は、「白井シンジ」だ。奇行が過ぎた事で実家からは追い出されたと聞かされている、みるさんの、双子の兄だ、と思う。きっと。

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