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【小説】『規格外カルテット』6/10のa

 ついに回の内でも分割するカオス。曲亭馬琴方式。

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(10回中6回目のa:約3300文字)


6 ビタールビーマーブル


 白井シンジから直接言われた時には、それほどとも思っていなかったが、それこそ彼の昨夜の駐車場での一件について話していると、確かに自分は周りとは、相当変わっているように思えてきた。
 他人がどんな格好をしていようがどんなしゃべり方をしてこようが、特に気にしないし、どうとも思わない。そうした表面的な事柄で、内面まで正確に推し測れるとも考えない。
 時々のあだ名は不愉快で、無駄に思える雑談も多いが、そうした一、二点を除けば予約された間はただずっと誉められているか頼まれているし、やると決めて教わったメニューはしっかりこなしてくる。要するに自分にとっては、それほど困らされる利用者でもない。
 しかし自分以外のインストラクターからの評判が、確か直接指導した事は無かったはずの者であっても、随分と良くない。この問題を機にどうにか利用禁止の方向へ持って行けないか、といった空気が濃厚に見える。
「彼の、本心ではなかったように思います」
「本心じゃなきゃ何だ。嫌がらせか」
「そこまでは僕にも分かりません」
 自分にも、確実に分かる範囲の事しか答え切れない。もう少し、上手い言い方にエピソードが、見つけられそうな気もするが。
「ただ、彼があの発言をするまでには、かなりの間があったんです。言いたい事があるけれどどう言って良いか分からない、ような」
「そりゃためらうだろう同性に告白するんだから」
 そう言ってくる笑みにはいやにネバついた感じがある。
「僕の印象ではそういった事よりも、言い間違い、というか、本来の意図から離れた言い方を、選んでしまったように受け止めました」
「そんな言い間違いする奴がいるかぁ?」
「有り得ますよ」
 重鈍くニヤけた空気が、さっと切り替わる感じがした。
「彼、外国生活が長かったみたいですから」
 昨夜はあの後咲谷さんが対処した、という事で、会議にも参加してくれている。
「昨日ちょっとだけ話して分かった程度ですけど、日本とのやり取りも女性の親族や知人が主だったようで、同世代の男子とはほとんど、話せていません。日本国内での男性らしく聞こえる表現を、習得できなかった可能性があります」
「外国ではごく普通の兄ちゃんか」
 付き合いが長いから分かるピリッとした怒りが、咲谷さんのこめかみに走ったけれど、
「ええ。ごく普通の兄ちゃんです」
 笑顔でそう返してみせるのを見て、上手い、と思った。
「そう言えば」
 ふっと出た呟きに気付いて、咲谷さんが話を回してくれる。
「蜂須賀何か、思い当たる事あった?」
「説明を聞くよりも実演を見たがる、とか、質問も、指示語くらいで身振りの方が多い、とか……、実際に、動き出してからはしゃべらない、ですね。前半はしゃべりも身ぶりも騒がしいけれど、後半は静かです」
「熱心ってこと?」
 聞き直されてやっぱり、上手いな、と思う。
「ええ。集中しています」
「単純に感謝、とか、『お友達になりたい』、とか言いたかったって事は考えられない?」
 あ、と思わずうなだれてしまった頭頂部に、視線が集まるのを感じた。
「そうだとすると必要以上にキツい言い方をし過ぎたかもしれません」
「何蜂須賀、あんたの方でもお友達になりたかった?」
「そういう意味では無く。わりとはっきり理由も言って断ったんですけど、向こうの反応は呆れ顔で、どういう事だろうと」
「あんたのド勘違いだった可能性もあるよね」
 そこでちょっとした笑いが起きたが、傷付かない。自分では勘違いのつもりは無いけれど、気になった言い回しをつい場の空気も読まずに訂正してしまうクセがあるから、社内では多少天然に思われている。
「まぁあんな言い方飛び出してきたら、何もあんたばかりを笑えないけど。みんなも慌ててたし。私も駆けつけたし」
 悪い印象を残さないように持たせないように、徐々に良い印象に切り替えていく様子は、性差別みたいに受け止められると困るけれど、男性しかいない会議ではそれほど上手くいっているところを見かけない。
 最終的には咲谷さんがまとめにかかっている。
「何も彼一人に限らなくても、利用者さんに接していてついつい感情的になりそうな事態が起きた際に、もしかしたらその場にあった言い方を選ぶ事が苦手なだけ、かもしれないといった事は、ちょっと頭の隅に残しておいて損は無いと思いますよ」
 午前中の予約は入っていなかったから、せっかくだと自分は次の段階に向かった。
「所長。ちょっと、調べたいサイトがあるんですが……」

 利用者の個人情報を、インストラクターが独自に検索する事は禁じられている。調査が必要と思われる場合は、まず担当者と所長の二人で確認し、全体に、周知すべきかどうかを判断する。
 社内規定だ。今時個人情報なんか調べようと思えばいくらでも探り出せる。建前のようなものだが無いよりはマシだろう。担当者が明確になり、「自分には関係が無い」と決まればまず多くの者は興味を失う。
「彼はパルクールの選手です。いえ、選手でした」
「ぱるくーる」
 所長の発音がただなぞっただけの平板だったので、知らないものと推察した。
「日本ではまだ比較的、マイナーなスポーツのようですが」
 障害物を並べた競技用のコース、と言うよりも、本来は人が走行すると考えられていない環境、例えばビルの屋上群や倉庫の中、工場の跡地といった所に、頭の中だけで通路を見出だし自らの、屈曲能力に跳躍力、平行感覚を駆使して踏破する。
「発祥はフランスです」
 白井神璽は十代の頃、海外の大会で数々の記録を打ち立てていた。なぜ心当たりがあったかと言えば、自分も追いかけていたからだ。同じ国の人間にはほとんど知られていないだろう、同じ世代の少年の活躍を、日本に届けられる映像なんか滅多に無かった中で。
「帰国した直後の、試合、と言うよりも興行で失敗し、負傷しています」
「なんだ。失敗したのか」
 所長は鼻で笑ってくるが、今更傷付かない。メジャーに思われていないスポーツに対する、年配の反応はそんなものだ。
「そこから選手としての行方は追えなくなっています」
「海外で、おかしな遊びばかり覚えてきたかな」
「口を、慎んで下さい。命に関わるほどの重態でした」
 生きているのか死んだのかさえ、当時はそう簡単に追い切れなかった。今だって公式のサイトには「無事退院した」とあるだけだ。独自に検索したところで他の情報は、きっと目に入れたくもないような嘲笑の羅列だろう。だけど、そんな事よりもゾッとしたのは、簡単に追いかける事が叶わない、となると、自分さえも彼を次第に忘れていった事だ。
「運が、悪かったと僕は思います。彼が帰国した頃は、と言うよりも、それに合わせて帰国させられたのかもしれない。ちょうどパルクールが映画などで取り上げられて、国内でもちょっとした、ブームが起きていた」
 決して良くはない事なんじゃないか、少なくとも彼本人は、きっと喜んでなんかいないんじゃないかと、頭のどこかでは分かっていたのに、自分も偶然湧いたブームに浮かれていた。前々から、他人よりちょっと知っていた程度のくせに、自分までがようやく正当に、評価されたみたいに。
「パルクールは本来自己鍛練の技術で、人に見せびらかすためのものではないんです。何よりも、精神力が重要になる。確か十代の後半、二十歳目前だったはずだ。周囲からの期待やプレッシャーに、好奇の視線に、それまで過ごしてきた海外と国内とのギャップに、そもそもの競技に対する無理解に、耐え切れなくなってもおかしくはないでしょう」
 チケットが取れなかった事を、にわかファンが増えたからなと毒づいたり、失敗したと聞かされても怪我の酷さを知るまでは、手を抜いていたのかな、それならかえって、見られなくて良かったな、なんて、その程度の情熱でしかなかったものを、認めようとせず言い訳ばかりしていた。
 自分もまだガキだったとは言え、恥ずべき態度だった。

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