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命は平等か【コロナと戦争と障害者】

コロナのようなニュースが世界的に報道されるようになって、その裏で報じるべきニュースも埋もれてしまうことはよくある。

コロナの感染より多くの人にとってみては、経済的損失のほうが身近と言える。やたら飲食や映画館を取り締まっているものの、実際にクラスターが起こっているのはそれらだけではない。飲食やカラオケなどの企業にとっては、なんで自分達ばかり…という感覚だろう。

一蘭のように、一人ひとり間仕切りをしたり、入店客数を20分くらいずつ管理して、整理券を配ったりスマホで予約すれば、どうにか営業はできそうなものだが、なんか配慮がないというか、かわいそうな感じもする。

コロナの感染者が増えているものの、明らかに重傷者の数が少ないことから、コロナウイルスの人体への影響力が当初より弱まっているんじゃないか、という説もある。

昨日NHKのドキュメンタリーを見ると、カルロス・ゴーンさんの逃亡先であるレバノンがデフォルトしたことで、コロナウイルスも重なって大変なことになっていた。

シリアからの難民キャンプもあり、政府は彼らのケアをする余裕もなく、難民キャンプがクラスターになるとのことから、レバノン人の襲撃に合ったり、デフォルトで職を失った人たちが、シリア人達を逆恨みして襲撃するなどの被害があるらしい。

中では難民の子どもたちが誘拐されて、臓器売買の為に身体を裁かれてゴミ捨て場に捨てられるなど、日本では考えられない事件が起こっている。

日本人の感覚からすると、いくら貧乏でも何でそんなことすんねん。という感覚だが、経済が崩壊したり、自治が崩壊したり、教育が不十分だとそういう事になると知っておくべきだろう。

この時代にまだ戦争している国があるのに、平和な国もある。1日ハウスキーパーとして働いて500円にもならない金額のお金で、キャンプで生きる大家族が同じ時代に生きている人間の姿が当然のものとして、不平等があたかも自然のような感覚になっている。

日本で生きていると基本は自己責任論が付きまとう。日本人目線で語らせてもらえば、「子供育てられる見込みがないのに、なんでそんなに産んだんだ」とか、「難民として不法入国してるんだから、他国政府がケアしてくれるわけないだろう」とか、そんな感じだろう。

確かにそれらは正しいが、戦争が起こるのは彼らのせいではないだろうし、爆弾や銃弾が当たり前に飛び交っている中で自国で暮らしていくというのも難しい。勇猛果敢に「戦争をやめろ!」などと叫んでも殺されておしまいである。

彼らに人間としての能力がないからそんなことになったのか、というとそれもまた別の話だと思う。学力が優秀でも、経済的に恵まれていなければお金を稼ぐために仕方なく犯罪行為に手を染めることは人間のなかでは十分ありえることだ。

日本でもコロナ禍での水商売の人達や風俗嬢について物議を醸すことがあったが、彼らはやりたくてその仕事をやっているわけじゃない、というのが基本的なスタンスだと思う。

お金を手っ取り早く稼ぐためにやって、何らかの経済的事情を抱えているので、仕方なく高給な仕事といえば水商売という思考回路によるものだろう。

少し残念なのは、金を稼ぐために安直に水商売に行ってしまうような視野の狭さだが、私達の中でもドラマや何かのバイアスなのか、「人生が行き詰まったら水商売に流れる」という思考回路がなんとなく埋め込まれている。仕方のないことだと諦めている節もある。

私は売春は嫌なので、金を払って行きたくないのだが、よく行く人達から言わせると、行かないと彼女達が失業するし、それで経済を回しているんだからいいだろう。というものである。

確かに理屈は正しいが、モラルとしては微妙なところではある。そもそも前提として、経済を回すには別に「買う」必要はない。経済を回すために行っているんだと言う人達の頭の中には、苦しんでいる人を救う為の「寄付」という概念はない。「俺が稼いだ金」という自己責任論のベースの考え方に近いかもしれない。

日本では努力していない人間が将来的に年金が足りずに生活できないようになっても仕方ないというような論調がある。コロナの失業を機に人生が上手く行かなくなれば、彼らは努力が足りなかったということなんだろうか。自営業は年金が少ないことは自明だし、何らかの改善策が必要だろう。

現代では、いろんな稼ぎ方があり、必ずしも優秀な人間ほど経済的な便益を得られる世界とは言い難い。

そうなると風俗嬢として大金を稼ぐことを彼女達の努力とみなすのかは、微妙なところだろう。シリア難民でも日本の大企業のオジサンより遥かに優秀な人もいるだろうが、収入は100倍以上違うかもしれない。そこにはもう人間としての質であったり能力による対価とは別の次元の話になっている。

前にこの記事でも書いたが、重度障害者施設で多数の患者たちを殺傷した青年がいた。彼は「他人とコミュニケーションを取れず、排泄を自分で行えず、自分で食事をできなくなれば、それは人間ではない」というような思想の持ち主だった。

このニュースが報道されたあと、日本全体で多くの人にとって考察すべきニュースにならなかったことが私は残念に思った。

彼は死刑が確定したが、個人的には彼と同じような行動に出なかっただけで、思想としては共感しているような人間が日本には数多くいるんじゃないかと考えている。

私は介護の仕事はやったこと無いが、もし自分の祖母を自宅で介護しなければならないと考えると、おそらく私の家族は今とは全く別の姿になっていただろう。

EXITのりんたろーさんも、アベマのネット番組で、介護ヘルパーのアルバイトを振り返って、仕事として他人だからできるけど、自分の親の介護だとできるかわからない、というニュアンスの発言をしていた。

もちろん人殺しは絶対にしてはいけないことだし、そんなことは誰だって知っている。だが、この事件は誰でも殺人犯になりうることを自覚していないと、また同じような事件が起こると肝に銘じなければならない。

何が言いたいのかというと、人の命の価値というのは、その人の境遇や能力によって著しく変化すると世の中はみなしている、ということである。

人間の命の重さは平等ではないし、ある条件に当てはまった人間は、世間から捨てられても仕方ない命として烙印を押されることがあり得る。

前にトロッコ問題について記事を書いた。まだ読まれてない方は【トロッコ もやい】で検索すれば一番上に来る。

命は「数」なのか「質」なのか。ということを議論したが、日本政府のコロナ対応を見ると、明らかに人間は平等ではないと感じる。

残念ながら、自粛に当てはまった多くの人たちは、廃業や自主的に店を閉めているかもしれないが、一人の人生を終わらせるようなことと、感染拡大を食い止められる効果はどれほどなのか、微妙なバランスである。

感染拡大すれば、まず命の危機に脅かされるのは高齢者で間違いないと思う。そんな中でもGoToトラベルを実施したのは、ある意味高齢者層を日本の政治が初めて見限った瞬間かもしれない。

GoToトラベルは8月末まで実施されるようなので、感染爆発して政府が中断しない限り、それまで感染者は増加傾向になるかもしれない。

沖縄は本州から独立しているのに、感染者が急増してしまった。もちろん夏だし沖縄に行く人は多いだろうと誰でも予想できたが、現実のものとなった。

沖縄は若者の移住が多いが、高齢者の数もまだまだ多い。レジャー関連で売り出しているので、もしかすると国際的な新しい病院などもできているのかもしれないが、狭い島で感染が拡大すれば地元の人にまで感染するスピードは早いと思う。

深く勘ぐってしまうと、沖縄の辺野古問題などについて、コロナは政府が助けてやる代わりに基地に関しては大目に見ろよという取引をしかけそうだなと個人的に考えているが、まだ感染爆発してないので未来はわからない。

アメリカ軍基地がクラスターになっているとの報道もあったので、GoToトラベル以前に感染拡大していた可能性もあるが、どちらにせよ地方での医療崩壊は医師の数や設備面からも乗り切るのは容易ではない。

つい数ヶ月前まで私達は命が一番大事だと思っていた。みんなStayHomeなどと言って自粛を呼びかけたが、今は経済を優先させるための犠牲は仕方ないというムードになっている。人間の考えなど、これほどいい加減なものなので、犠牲になる人の身になってみればたまったもんじゃない。

私は経済優先でも問題ないと考えているが、やり方として人間が移動することが一番効率的なのか疑問ではある。普通に金だけ動かせば良いと思う。

そう考えていた矢先、農林水産省がコロナの被害を緩和するために、地方の特産品を通販で販売しますという発表をしていた。農林水産省はやたらYoutubeに力を入れたり、いろいろ頑張りが最近目立っている。

人生に行き詰まったら風俗で働くとか、観光地がさびれてるからコロナでも旅行しようとか、そういう安直な発想ではなく、もう一歩踏み込んで考えられないのかな。というのが私の申し上げたいところではある。

おそらくだが、政府は9月には国境を段階的に開く可能性がある。そうなると、より犠牲になるべき人達だと烙印を押される人が増えるかもしれない。

世の中に完全な平等は存在しない。誰もが認識しているから、平等な世の中にしようという発想も生まれにくいのかもしれない。








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