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ugomekiart
ありきたりな女
Twitterで、椎名林檎のインタビュー動画が流れてきた。椎名林檎のアルバムには、昔から「曲間」がない。それはなぜなのかを問われていたところだった。女史はこう答える。
「女の子たちの人生のサントラだから。」
女性たちのせわしなくて複雑な日々に寄り添う音楽なのだから、ハッピーエンド。ピリオド。とはならないわけだ。
この動画を見て私は、「ああ、やっぱり!」と思わず声をあげた。
約4年前のライブ「不惑の余裕」を観に行ったときの、あの感慨はやはりそこから来ていたのだ、と。
せっかくなので、その時に人知れず書いた日記を成仏させておきたい。
2018年11月30日
椎名林檎のライブ「不惑の余裕」 に行ってきた。1つ前のライブから印象が変わってきたというか、最近林檎女史を見ていると、自分自身の生きよう、つまりこれからの人生を、仕事を、女としてどう在るかということを、考えずにはいられなくなる。
今回のライブ、女史は不調かトラブルか、すこし苦しそうな様子だった。でもどこか必死で、なりふりかまわず訴えかけてくるような、そんなふうにも見えたのだ。間違いなく、今までで一番の感動を味わった。
やっと気づいた。林檎さんは、母なのだ。以前は母としてというより、女としてのいろんな面を見せてきたのだと思う。女はあるときまでは、好きなものを食べ、着飾り、好きなようにお金を使って、恋をする。その自由と引き換えに傷つけられ、痛み、苦しむこともある。酸いも甘いもひっくるめて、すべてが自分のためにある。自分を守るために。それが若い女だ。
けれども、きっとあるとき女の世界は変わるのだ。守るべきものは、もう自分ではない。女史の歌は子を守るためにあり、その母性は私たちをも包みこんでくれる。
今日の椎名林檎はたまらなく美しく、格好よく、可憐だった。強かった。私にもいつか、くるだろうか。そうなれる時が。
ありきたりな女になりたい。
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