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短編集

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過去に書いた短編が中心です。
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暴君ちゃん

暴君ちゃん

 俺は夏姫(なつき)のことを心の中で『暴君ちゃん』と呼んでいる。夏姫は優秀で完璧な漫画家だ。絵が雑誌で一番上手でストーリーも最高に面白い。美人でとにかく愛想が良い。編集部の評価は最高だ。俺はその最高の評価を得ている美人漫画家の担当編集者になったと聞き、天にも昇るような気持ちで彼女の職場に言ったものだった。しかし、その淡くてふわふわした期待は、ハンマーでガラスを叩き割るように簡単に崩れた。「これから

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雲

 私は子供の頃、クモを食べてみたいと考えていた。足が八本あるあの蜘蛛ではない。空に浮かんでいる、あの雲だ。少年の頃の純粋な夢は、今まさに果たされようとしている。

 あの夢を追いかけて数十年。遂に、私は雲を固める薬品を完成させた。これまでの道のりは平坦なものでは無かった。誰も私の研究を理解しようとせず、他の研究者から鼻で笑われる日々だった。私の助手たちは次々に辞めていき、資金援助を約束してくれた協

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スターゲイザー

スターゲイザー

 私の気分は、とても沈んでいる。原因は親友の奈々と喧嘩したことだ。喧嘩になった理由は、私が進学希望の大学を変更したから。

元々私は、奈々と同じ大学に進学するつもりだった。でも模試が上手くいかなかったことと、私が最近興味を持った経済学がその大学では勉強できないことが重なり、私は志望校を変更した。

それを奈々に伝えると「同じ大学に行く約束だったでしょ」としつこかったので、私は頭にきて言い返した。そ

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打ち上げ花火が上がる夜に

打ち上げ花火が上がる夜に

 夏休み真っ只中の八月、僕は久しぶりに東京から実家に帰ってきた。両親や祖父母は「よく帰ってきたね」と社交辞令とも取れる言葉で僕を出迎えた。

実家というものは、本当に落ち着く。蝉の鳴き声はけたたましいが、慣れてくると夏の風情と懐かしさが感じられて心地よく聞こえる。当たり前のことだが、じめじめとした暑さは東京と同じだ。でも、こっちの方が、空気が澄んでいるのでまだ快適だ。

 今日は町内の夏祭りがある

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つばめ

つばめ

歩道にあるのは、つばめ一羽の死体である。

歩道に倒れているつばめの死体を見て、通り過ぎる人々は様々な反応を見せる。ちらっと視線を落しただけで、平然と去っていく者。恐ろしさのあまり、何も見なかったふりをする者。まじまじと見つめる者。面白がって死体を何度も踏みつける者。

なんと無慈悲な光景だろうか。そこに命があった動物の亡き骸があるというのに、なぜ彼らはこのような対応を行うのだろうか。人間の命と同

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夢遊病

夢遊病

 嫌な夢から目が覚めた。夢の中で僕は顔の分からない人間を殴りつけていた。何度も何度も「やめて」と懇願する赤の他人を、容赦なく力を込めて殴り続けた。理由は分からない。誰かを殴る理由など恐ろしくて考えたくもない。

 ベッドから体を起こしリビングへ向かう。リビングでは妻が朝食をテーブルに置いているところだった。食パンにスクランブルエッグ、そしてコーンスープ。いつもの朝食がそこに並んでいた。僕は妻と顔を

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