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打ち上げ花火が上がる夜に

 夏休み真っ只中の八月、僕は久しぶりに東京から実家に帰ってきた。両親や祖父母は「よく帰ってきたね」と社交辞令とも取れる言葉で僕を出迎えた。

実家というものは、本当に落ち着く。蝉の鳴き声はけたたましいが、慣れてくると夏の風情と懐かしさが感じられて心地よく聞こえる。当たり前のことだが、じめじめとした暑さは東京と同じだ。でも、こっちの方が、空気が澄んでいるのでまだ快適だ。

 今日は町内の夏祭りがある日だ。だが、僕自身夏祭りに行くことは無い。高校時代の友達に会えるかもしれないが、夏祭りが行われる町営公園はとにかく人が混んでいて非常に不快だ。友達に会うなら、直接家に出向いた方がマシに思える。

 だからと言って、ずっと家に閉じこもっているわけでは無い。僕には僕なりの楽しみがある。それは、神社の裏山から花火を見るということだ。神社の裏山は、打ちあがる花火がとても綺麗に見える。それに、誰もここで花火を見ようなんていう人間はいない。つまり、神社の裏山は僕だけの特等席なのだ。小学三年生の時に偶然見つけてから、高校を卒業する夏まで毎年通い続けた最高の場所だ。土に胡座(あぐら)をかきながら見る花火は格別だ。

 夜の八時半、両親に出かけると言って僕は裏山へ向かう。去年は忙しくて花火を見ることが出来なかったから、二年ぶりに裏山へ行くことになる。僕は帰省する前から、これを一番楽しみにしてきた。

期待に胸を膨らませながら裏山に上っていると、妙な違和感を覚える出来事に遭遇した。誰もいないはずの裏山に、小さな人影が見えたのだ。僕が警戒しながらその人影に近づいていくと、土に座っている一人の少年の姿が目に飛び込んだ。二人とも大きく驚きの声を上げて、僕は尻もちをつき、少年は後ろに倒れこんだ。

少年は小学校高学年くらいに見えた。白と青のボーダーのTシャツに黒いジャージ姿だった。少年は目を丸くしながら凝視する。

「何の用ですか?」

 少年はそう聞いてくる。あまりにも予想外の展開に、ひどく動揺しているようだった。無論、それは僕も同じことだ。特等席を取られたような気がして、高揚していたテンションは急降下した。

「花火、見に来たんだ。ここ、十年前から俺の特等席なんだよ」

 僕が動揺を隠しながら言うと、少年は

「そうですか。僕も去年ここを見つけてから、特等席にしようと思ったんですよ。花火、とても綺麗だし」

 と言った。どうやら、どちらかが退くということは無さそうだ。僕は仕方なく、妥協することにした。

「じゃあ、花火、一緒に見ようぜ」

 僕の提案に少年は大きく頷いた。

「名前、何ていうの? 俺は生駒(いこま)真(しん)悟(ご)。東京の大学に通ってて、この前帰省してきたんだ」

「僕は高石(たかいし)すばる。あそこにあるK小学校の六年生です」

 すばるは右の方に見える、西洋風の洒落た校舎を指差す。K小学校というと、地元では有名な私立小学校だ。すばるは結構頭が良いらしい。K小学校に行くという選択肢が最初から無かった僕は、大人げないけれど少し劣等感を覚えた。

「K小学校か。すごいな。じゃあ卒業したら、そのままK中学に行くんだろ?」

「いいえ。K中学校には行きません」

 僕はすばるに「どうして?」と聞いた。K中学校に入ったら、高校まではエスカレーター式に進学できる。誰もが羨むエリートコースだ。それを放棄する理由が見当たらなくて、腑に落ちない。

「僕、明後日愛知に引っ越すんです。だから、中学校は愛知の中学校に行きます」

 すばるはどこか寂しそうだ。折角できた友達と別れるのだから、無理もない。

 僕は携帯電話で時間を確認する。時間は八時五十分。花火は九時に打ちあがる予定だから、あと十分で花火が見られる。あまり重いことを考えたくないので、早く花火が上がってくれと思った。

「あの、生駒さんって……」

「真悟で良いよ」

「真悟さんって、何でここを見つけたんですか?」

 僕は少し戸惑った。どう答えれば良いのだろうか、僕は頭の中で何通りも答えるパターンを考える。

「小学校に行くのが嫌な時があって、一人になりたいと思って探したら、偶然見つけた所なんだ。ここはすごく落ち着くからな。見える花火も最高だし」

 結局、一番オーソドックスな答えに落ち着いた。こういう時は、ストレートに言った方が良かったりするからだ。

「そうだったんですか。変なことを聞いて、ごめんなさい」

「良いよ。別に気にしないし。じゃあ、すばるは何でここを見つけたんだ?」

「僕は、ただ落ち着いて考え事をしたいって思って、ここを見つけたんです」

 すばるの答えは、とても平凡に聞こえた。それなりの理由を期待していたから、少しがっかりした。

 僕が何も喋らないでいると、すばるは「もうすぐですね」と声をかけてきた。再び携帯電話を見る。時間は九時の一分前。もうすぐだ。もうすぐ、花火が打ち上がる。

「ここで見る花火、しっかりと目に焼き付けておきます」

 すばるは夜空をまじまじと見つめる。これがすばるにとって、ここでの最後の思い出だ。だから、僕はとびきり綺麗な花火を期待した。

 ひゅるひゅるという音とともに、花火玉が上空に打ち上がり、破裂する。破裂すると、大きな花が星のない夜空に咲き、音は遅れて聞こえてくる。すばるは目を輝かせて、食い入るように夜空を見る。今年の花火は、いつも以上に綺麗に見えた。

色とりどりの様々な花が、田舎の夏の夜空に咲き乱れた。

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