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スターゲイザー

 私の気分は、とても沈んでいる。原因は親友の奈々と喧嘩したことだ。喧嘩になった理由は、私が進学希望の大学を変更したから。

元々私は、奈々と同じ大学に進学するつもりだった。でも模試が上手くいかなかったことと、私が最近興味を持った経済学がその大学では勉強できないことが重なり、私は志望校を変更した。

それを奈々に伝えると「同じ大学に行く約束だったでしょ」としつこかったので、私は頭にきて言い返した。そして口論になって、今でも仲直りが出来ていない。今考えると本当にくだらないことで喧嘩をしてしまった。心がもやもやして、学校帰りに行った塾の授業も全く身が入らなかった。

塾が終わって家に帰りつくと、私は「ご飯食べる?」という母の問いに「食べたからいい」と嘘をつき、二階にある自分の部屋に直行した。

通学カバンから携帯電話を取り出し、カバンを近くに放り投げる。何となくベッドに腰掛け、携帯電話を確認する。メールは一通も届いておらず、電話の着信も無かった。思わず笑ってしまった。何も面白くないのに。

時間は午後十時七分。何もする気が起らず、ただぼんやりと窓から外を見る。夜空には満天の星が、今にも降ってきそうなくらいに輝いている。きらきらと輝く星がなぜか私を憂鬱にさせる。私の心の中は土砂降りになりそうな厚い雲が覆っているのに、この空は悩みなんてないと言いたげなくらいに星が輝いている。

吸い込まれそうなくらいに綺麗な星たちを眺めていると、突然私に目が開けられないくらいの眩しい光が襲いかかってきた。

光が消え、おそるおそる目を開けると、私の視界にはあまり大きな規模ではない見慣れない遊園地が映っていた。光を輝かせながら回るメリーゴーラウンド。虹色にライトアップされた観覧車。人は数える程度しかいない。

私は地べたに座り込んだままだということに気付き、急いで立ち上がった。制服の汚れをはたいて周りを見回す。

「ここ……どこ?」

 まったく見たことが無い風景に、私は呆然として立ち尽くすことしかできない。

「いらっしゃいませ」

 突然の声に心臓がドキッとした。声が聞こえた方へ体を向けると、白いタキシードを着ている端正な顔立ちの若い男性が立っていた。彼の出で立ちは、貴公子という言葉を連想させた。

「ようこそ。星の遊園地、『エトワールフィラント』へ」

「へ……? エ、エト・・・…何ですか?」

 私は自分が置かれている状況が全く理解できなかった。この人は一体何者? ここはどこ? そんなことばかりが頭に浮かぶ。

「あなたはここに招待されたのですよ。ほら、あなたは満天の星空を眺めたでしょう? 心のどこかで悩みを抱えた人は、ここに招待されるのです。ここで遊んでいる彼らもあなたと同じなのです」

 彼は柔らかな微笑みを浮かべながら丁寧な口調で話した。

「あ、あの……あなたは?」私は失礼を承知で聞いた。

「あっ、これは失礼いたしました。私は『エトワールフィラント』の支配人、藤堂夢生(とうどうむう)と申します」

 彼は私に一礼をし、あなたのお名前を教えていただけませんか? と続けた。

「私は、櫻木(さくらぎ)くるみです。あの……エトワールフィラントってどういう意味ですか?」

「それは、フランス語で『流れ星』って意味よ」

 そう言って、黒いパンツスーツを着ている綺麗な女性が夢生さんの隣に歩いてきた。年齢は二十代半ばといったところだろう。

「彼女はここの副支配人の森村(もりむら)ルカです」

 夢生さんが紹介すると、ルカさんは自分の名前を言って頭を下げた。二人とも見た目は若いのにとても落ち着いていて、大人の余裕というものを感じる。私は感心してしまった。

「どうぞ、ここでお好きに遊んでください」

「お好きにって……いきなり言われても。それに私、お金持ってないし……」

 アトラクションに乗るためのお金が無い、そんな私に何をしろというのだろうか。混乱している私に、夢生さんはそっと語りかける。

「ご安心ください。ここにあるアトラクションはすべて無料です」

「えっ? でもそんなことしたら、採算が取れないんじゃ……」

 そんなことを言っていると、ルカさんはくすっと笑った。

「心配しないで。ここはお金を取らなくても、採算が取れるようになっているのよ」

「どういうことですか?」

 彼女は直に分かるわ、と言ってまたにっこりと笑顔を見せた。

 

 私は何となく、近くにあるメリーゴーラウンドに乗ることにした。アトラクションに乗るのは全く乗り気では無かったが、せっかく来たのだから適当に何か乗ろう、と考えたのだ。

入口に行くと、係員の女性がチケットの提示を指示することなく、すんなりと中に入れてくれた。

 座席には誰も座っておらず、寂しい印象を受けた。入口付近にもここに来そうな客はいない。

 私は白馬の乗り物にまたがった。どうやったら家に帰れるのだろう。そんなことを考えていると、始まりを告げるブザーが鳴り、哀愁が漂うピアノ音楽とともに、ゆっくりとメリーゴーラウンドは回り始めた。

 これに乗っているのは私一人。白馬は私を乗せて、体を上下に動かす。乗っている間は奈々との喧嘩のことばかりを考え、特に楽しいともつまらないとも感じないどっちつかずな感情に襲われた。

 係員の終わりを告げるアナウンスが聞こえ、メリーゴーラウンドの回転が少しずつゆっくりになっていき、止まった。

 私は係員の指示通りに白馬から降りて、アトラクションの中から出る。アトラクションを出てから、何か不思議な感覚を覚えた。心が軽くなったような感覚。一体何なのだろう、と私は疑問に思いながら次に乗るアトラクションを探し始めた。

 メリーゴーラウンドに乗った後、私は様々なアトラクションに乗った。観覧車、ジェットコースター、ウェーブスインガー等々。その度に、少しずつ心が軽くなっていく感じがした。私は、いつのまにか時間を忘れて楽しんでいた。

「どうですか。楽しんでいますか」

 遊び疲れて、虹色の観覧車が間近で見られるベンチに座っている私に、夢生さんは穏やかな口調で話しかけた。

「はい、とても楽しいですよ。何か不思議な感覚がありますけど」

「そうですか。それは良かったです」

 夢生さんは少しはにかんだような表情を見せる。

「あの……私、そろそろ帰らないと。明日も学校に行かないといけないので」

「そうですか。でしたら、最後に青い鳥をご覧になられてはいかがでしょう」

「青い鳥……ですか? そんな鳥、存在しないですよね?」

 青い鳥。私はこの言葉を聞いても、メーテルリンクの童話に登場する幸福の象徴しか思い浮かばなかった。もちろん、青い鳥なんて想像上の生き物は存在するわけがない。私は彼が何を言いたいのか分からなかった。

「櫻木様。『悪魔の証明』という言葉をご存知ですか?」

「悪魔の証明……ですか?」

 彼が発した謎の言葉に、私の頭の中にはさらに疑問符が増えた。

「例えば、『アイルランドに蛇はいる』ということを証明したければ、アイルランドで蛇を一匹捕まえてくればいいのですが、『アイルランドに蛇はいない』ということを証明したければ、アイルランド全土を隈なく探さなくてはなりません。お分かりの通り、これは非常に困難なことです」

「は、はあ……」

「つまり、存在しないことを証明することは不可能に等しい。それならば、信じてみる価値はあるのではないでしょうか?」

 夢生さんの言葉には、なぜか言葉では言い表せない不思議な説得力があった。

私は半信半疑になりながらも、彼が案内する方向へとついていくことにした。

夢生さんに案内されてたどり着いた場所は、赤と黄色のストライプが入った小さなサーカステントだった。テントの前にはルカさんが辺りを見回しながら立っている。

「あっ、くるみちゃん。青い鳥を見に来たの?」

「はい、そうですけど。ルカさん、青い鳥って本当にいるんですか? あまり信じられないんですけど」

 私は疑問をぶつけてみた。すると、ルカさんは上品な笑みを浮かべて、「いるわよ。今から見せてあげるね」と言った。

 二人と一緒にテントの中に入り、最前列のパイプ椅子へ横に三人並んで座る。私たち以外には、サラリーマン風の中年男性と白髪のおじいさんと厚化粧の中年女性の三人が、ばらばらに座っているだけだった。優に百はある座席はがらがらだ。

 しばらくすると、テントの電気が消えた。夢生さんが「始まりますよ」と小声で言うと、学芸会で使われそうなチープな照明がステージに当てられた。

赤・青・黄・緑の四色の照明が照らされたステージの中心に、舞台袖から鮮やかな赤地に白い水玉模様というステレオタイプな格好のピエロが颯爽と登場し、そして勢いあまってこけた。 

 私は彼に悪いと思って必死に笑いをこらえていたのだが、私の五列後ろに座る白髪のおじいさんが大きな声で笑い出した。その声はテント中に響き渡り、心なしかステージ上のピエロがしゅんとしているように見える。大きな声で笑うな。誰も笑ってないだろ、私は心の中でおじいさんにそう毒づいた。

 そんな時、サーカスで流れそうな陽気な音楽が突然流れ始めると、俯いていたピエロが観客席をじっと見つめ、両方のポケットからテニスボールほどの大きさのボールを三つ取り出し、ジャグリングを始めた。

 トランペットの音に乗せて、ピエロはジャグリングをしながらステージ上を右へ左へと動く。時々コミカルな動きで観客を楽しませるところは、さすがピエロと言ったところだ。

 その後も、ピエロはパントマイムをしたり、バルーンアートを作って観客席に投げたりとコミカルなショーを展開した。

 青い鳥だけを見て早く帰りたい私が内心いらつきながらショーを見ていると、ピエロはステージの奥の方へ向かい、そこにある台の上に置いてあるスケッチブックを取り出し、マジックで何かをすらすらと書き始めた。

 書き終えたピエロは、スケッチブックを私たちに見せる。そこには、「残念ながら楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので」と書かれてあり、その紙をめくり「次がラストとなってしまいました」としょんぼりとした表情を見せた。

さらに紙をめくり、「最後に皆さんに青い鳥をお見せします」と見せると、途端に笑顔になった。そして「それではお楽しみください」と書かれてある紙をめくった。どれもぎりぎり読めるくらいの雑な字で書かれていて、読むのにとても苦労した。

 私は内心ほっとした。早く家に帰らないと、寝坊して学校に遅刻してしまう。大学入試を控える受験生にとって、授業に遅れることは致命傷だ。それだけは何としても避けたかった。

 ピエロはスケッチブックを舞台袖に放り投げ、頭にかぶっている赤いハットを左手に取る。そして、彼が三・二・一と右の指でカウントダウンすると、ハットから一羽の鳩の姿をした全身が真っ青の鳥が姿を現した。

 これを見て、三人の観客がどよめく。私も目の前に現れた青い鳥に目を丸くするしかなかった。

「本当にいたんだ……青い鳥」

 思わず漏れた言葉に、左に座っている夢生さんが「驚くのはこれからですよ」と反応するように呟く。

 青い鳥を肩に乗せたピエロは、ハットを大きく横に振った。すると、ハットの中から青い鳥が五羽出てきて、ピエロの肩に乗っていた鳥を合わせた六羽が大きく翼を広げて、ピエロの頭の上をぐるぐると旋回した後、入口へ向かって飛び立っていった。そしてピエロは、飛び立っていったのを見届けた後、静かに舞台袖に消えていった。

 青い鳥が飛び立っていった後、私はまた心が軽くなるあの感覚を感じた。しかも、これまで以上に軽くなっていく感覚を。

 私以外の三人の観客も同様に、この感覚に戸惑っているようだ。サラリーマン風の男性は辺りを見回し、厚化粧の女性は呆然としたまま座っている。白髪のおじいさんは声を上げて驚いている。

「夢生さん、ルカさん、何なんですか。この心が軽くなるような感覚は」

「それは、あなたのお悩みが飛んで行ったということですよ」

 夢生さんは優しくそう言った。

「どういうことですか?」

「お忘れですか? ここは悩みを抱えた人が招待される遊園地。ここで楽しんでいかれると、少しずつ悩みが解消されていくのです。悩みは、アトラクションで遊んで頂いたお礼として我々が頂きます。これがすべてのアトラクションが無料でお客様に遊んで頂ける理由です」

「そうですか。ちょっと信じられない話ですね」

 あまりにも魔法みたいな話でよく分からなかった。

「まあ、信じられないのは無理もないですね。ですが、あなたは今、今まで感じていた悩みが無くなっているのではないでしょうか?」

「確かに……」

 ここに来る前は、奈々と喧嘩したことを引きずっていて、気分が鉛のように重かった。学校に行って、奈々と会うことも気まずかった。でも、今は奈々と仲直りしたいと考えている。自分でも驚くほどの心境の変化だ。これは全部、この「エトワールフィラント」という遊園地のおかげなのかもしれない。

「くるみちゃん、ここに来た時よりも表情が明るくなったよ」

「そうですか?」

 ルカさんの言葉に、思わず笑みがこぼれた。さっきまでは、笑う気分でも無かったのに、今は自然と笑っている。

「夢生さん、ルカさん。今日はありがとうございました」

 私は椅子から立ち、頭を下げる。

「いえいえ、悩みを抱えている方々に次の日を前向きに生きていただくようにすることが、我々の使命ですから」

「また悩みが出来たら、今日のように星空を眺めてね。またここに来るのを待ってるわ」

 二人は微笑みかけながら私に言った。

「本当にありがとうございました」

 私が二人の「ありがとうございました。またお越しください」という言葉を聞くのと同時に、あの眩しい光がまた襲ってきた。あまりの眩しさに、私はまた目を閉じた。

 目を開けると、そこは私の部屋だった。机の上にある時計を見ると、針は午後十時十分を指していた。何時間も遊んだ気がしたのに、たった三分しか時間が進んでいない。私は不思議でならなかった。

「夢……だったのかな」

 私はベッドに腰を下ろし、転がっている携帯電話に手を伸ばす。今からでも遅くない。奈々に謝ろう。そう思ってメールを打つ。

 文章を打ち終わり、あとは送信するだけ。だけど、私はそのメールを消した。明日、奈々に直接謝ろう。そっちの方が良いと思ったから。

 明日を前向きに生きる、明日はそれが出来る気がする。ベッドに寝転がり、首を左に向ける。青い鳥の羽が一枚、そこに落ちていた。

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