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《 自己紹介 》 あの日僕はブラック院から1人逃げ出した


 

僕は自己紹介なんてするほどの
人間ではないかもしれない。
 

そう思ったのは、

自分の見た目が
どんどん歳を重ねて、

これを書いている時点で
もう28歳になるのに。

その皮の中にいる“じぶん”
まだ20歳だと感じるからです。


ただ、大好きな勉強を、
興味の赴くままやっていただけなのに、

専門学校では
いつのまにか首席になってしまって。

会社ではいつのまにか
“若手のホープ”みたいになってしまって。

いつのまにか院長を任され。
いつのまにかエリアマネージャーを任され。

いつのまにかSNSでも、
僕の発言がたくさんの人に
読まれるようになってしまいました。

自分の中にいる“じぶん”は
好奇心で勉強するだけの20歳なのに、

どの集団にいても、
どの環境に行っても、
分不相応な“中心らしいこと”を任されてしまう。

だから僕は、
自己紹介なんてするほどの
人間ではないと本当は思っていますし、

いまでも常に
居心地の悪い感じがしています。


だからこそ、
僕はもっと頑張らないといけません。


SNSやセミナーで知り合った先生方の、
僕の脳ミソからは到底出てきそうにない
深いお考えや言葉に触れると、

“じぶん”をもっと成長させなければと、
危機感さえ抱かされる毎日です。

ですから、
そのプロセスをここに刻むことで、

“じぶん”が前に進んでいるんだ
ということを確かめるために、

noteでの記事執筆を継続しています。



名前を、

花田 隼人(はなだ・はやと)といいます。


この記事では、
僕の経歴や考えを、

「ちょっとだけ長ったらしく」書きますので、

ご興味をもっていただけたましたら、
今後もお付き合いいただけると嬉しいです。


どうぞ、よろしくお願いします。




 
 

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たまにいる医学部に行けばいい奴


専門学校では、そのほとんどを成績トップとして過ごしてきました。

“医療”という責任の大きい学門。「何一つ疎かにできない」という先入観が入学前からあり、それが高いモチベーションに繋がっていました。

在学中は柔道整復師とは関係のない、専門外の医学知識も学び、スポーツや栄養の資格を独学しました。アナトミートレインを読破したのもこの時です。

当時いちばん嫌いだった言葉が「それ、勉強して何の役に立つの?」です。柔道整復師のカリキュラムには無い分野も好き勝手に勉強して、「知識欲」を楽しんで満たしていた僕によく向けられた言葉でした。

3年間で40冊近くノートを埋めた「書く派」の勉強をしつつ、国家試験前には仲の良いクラスメイトを教室に集めて、「進研ゼミ花田講座」なる勉強会を立ち上げて講師をするなど、ちょっと変わった学生時代を過ごしていました。





興味を制限されるような新卒時代


「総合診療」という考え方が好きでした。

腰痛を訴えていても、その背景には別の疾患が隠れているかもしれない。これを見極めるために、問診と診察を武器にする。これから自分がする仕事は、多かれ少なかれ「頭も働かせる仕事」だと思っていました。

しかし新卒で勤めた整骨院は、
そんな理想像とは全く別の世界
でした。

とにかく短時間高単価。
カルテは見るな。
納得させて帰すのが仕事。
教科書なんかクソ喰らえ。
検査や説明は要らない。
すべての症状を仙腸関節の歪みで説明しろ。

…そんな世界でした。

それでも「何かは成し遂げたい」と思い、石の上にも3年と言い聞かせて働きました。

しかし結論、僕はどうしても、そこの長と上手くやっていくことができませんでした

学生の頃から誰よりも練習してきたテーピングは、「そんなものしないでも治せ」と禁じられ。自分が自己研鑽として勉強したことは、「そんな難しい知識は何の役にも立たない。外で勉強してくるなんて、ウチの治療に不満があるのか。」と目の敵にされます。個人院にありがちな「俺様の治療こそ正義でヨソは偽物」というスタンスです。

勉強することが好きなじぶんにとって、「興味と工夫」を抑え込もうとされるのは、ただただ苦しかったです。

それでも同期の中で一番デキる方ではありました。だからこそ成長させようと、発破をかけられていたのは分かっていました。しかし、僕一人にかかる負担と仕事量がどんどん増えていくと、心身ともに乱れていきました。

心身ともに限界のときに買った

早朝出勤&深夜退勤のキツさ。パワハラと紙一重の厳しい叱責から、心身共に限界を迎えた1年目のクリスマス。「来年はリーダーをやってもらう」と、重たい役職を貰ってしまう見通しを聞かされたことで、退職を決意しました。(p.s.僕がいち早く辞めたので、他の同期が辞めにくい状況を作ってしまいました)

ちなみに、春に入社して、冬に退職すると言ってから、ようやく年明けに雇用契約書を書きました。入社後何度か催促しても一向に出てこなかったように、労務関係は非常に雑さがありました。

健康診断は「院内で経絡治療をすればいい」と言われる始末で、(そういうもんかぁ…)と、じぶんを納得させるしかありませんでした。

そんなこんなで退職するハメになったわけですが、国家試験という難しい課題を乗り越えたように。自分のことを「頑張れる人間」と思っているじぶんにとって、大誤算のキャリアスタートでした。





現職場に拾われる奇跡


ドラッグストアにテナント展開する、整骨院グループにアポを取り、面接を受けました。

当時の僕の中では手応えを得ていた、2回目リピート率「85%」をアピールポイントとして用意しました。院長にバレないよう、こっそり数日にわたって、少しずつ手計算したのを覚えています。

そして、学生時代から人に教える活動をしていたこと、将来は会社の後進育成に携わりたいこと、専科教員になる夢があることを伝えて、自分なりに「会社に貢献できる」というアピールしました。程度は低いかもしれませんが、当時の僕にできる限りの売り込みでした。

「志の高さを買った」と理由を添えて、採用を通知されたとき僕は泣きました。何者でもない“じぶん”を拾ってもらえたことに、今でも変わらず、心の底から感謝しています。

転職後は、働く中で良いことも、悪いことも、もちろんありましたが、何が起こったとしても「前の環境よりは断然マシ」と思うことができました。グループに所属する、さまざまなタイプの上司の下で働くことによって、自分の中の引き出しや気づきが増えていきました。

そして次第に「痛みとは何なのか?」「原因とは何なのか?」「その真理はいったい何なのか?」という方向に、自分の探究心が向かうことになります。

今も勤め続けているこの会社は、「自由な社風」をアイデンティティとして持っており、会社の考え方と異なるような勉強をしても怒られず、自分が身につけた技術は自由に発揮してもよい風土がありました。

勝手に課題を見つけて、勝手に興味が湧いて、勝手に勉強する自分にとって、生き心地のいい環境でした。

いまは会社の中で、「北海道全体の店舗管理」を任せてもらいながら。自分もいち施術者として、経営という目を背けることのできない現実と、医学的正しさの体現の両立に、頭と体と心をフル回転させています。





出来上がっていくフィロソフィー


経験値が増え、仕事が増え、
役職を任されて責任が増える過程で、

僕は2つの考え方を
自分で組み立てることができました。

内容を突き詰めれば
とても当たり前なことですが、
以下に紹介させていただきます。


▶︎健康に対する自信と不安の最適化


個人院時代は「治ると断言して、患者を安心させましょう」という指導されていました。安心させる言葉かけによって、期待を強く抱かせようという狙いもあるものです。

しかしグループ院に所属すると、ある種の「不安商売」の風味を帯びてきます。通わないデメリットを提示することで人を動かす、という別の持っていき方を学ぶことになります。

しかし、どちらを狙ったとしても、リピートに繋がらないことや、患者の心境と不一致な対応になってしまうことがあります。

これについて僕は、
「人によって取るべき対応が変わる」
と結論づけて考えるに至りました。

あえて不安にさせることで、健康意識が高まる人もいます。不安にさせてしまうことで、生涯の懸念事項になってしまう人もいます。

安心させることで、落ち着きを得られる人もいます。安心させてしまうことで、本来は受けるべき施術や治療段階から離脱してしまい、患者が無自覚にリスクを負ってしまうこともあります。

このどれかが絶対的に正しいというものではなく、その人が上手くやっていける「適性範囲」があり、そこに向けて誘導するように言葉を選んで説明するのが、我々の仕事だと思います。

そうして自分の体について、自信や不安の度合いを「最適化」することが、健康になるために必要なことの一つではないかと、僕は考えています。




▶︎治療家は患者の未来に触れている


学生時代の友人に、「摂食障害」という病気を抱えた女の子がいました。体型を友人から指摘されて以来、食事が喉を通らなくなったそうです。

痩せても痩せても「まだ痩せたい」と思うようになり、突然襲ってくる食欲によって食べたあとは、自発的に嘔吐し、入退院を繰り返していました。

治療家という仕事に就いて、骨盤矯正という施術に触れるようになると、どうしても「体の外観的な形態異常」を指摘することになります。

その指摘に端を発して、不安を抱くようになってしまった患者さんを、少なくない人数見てきました。

骨盤の歪みを指摘されることによって、自分の体に不安を感じるようになってしまう。これは摂食障害の発症機転と似ています。どちらも「他者から言われた言葉によって、自分の身体イメージが傷ついてしまう」という共通点があります。

そんな臨床経験が重なっていくなかで。僕は学生時代に受講したサッカーコーチの講習会で、教わった「ある言葉」を思い出しました。

アンディ・ロクスブルグ氏

「指導者は選手の未来に触れている。」

これはUEFAの技術指導を担っていたアンディ・ロクスブルグ氏の言葉です。サッカー指導者が選手に与える指示や言葉、そして関わり方は、その選手の未来を変えてしまう力があること伝えています。

我々のような治療家が、これと同じマインドをもって仕事にあたるとすれば、「治療家は患者の未来に触れている」ということになります。

花田の名刺にも書いている

「筋肉が硬い」にしても、「骨盤が歪んでいる」にしても。その言葉を伝えることによって、相手が何を感じ、将来どうなっていくのか?まで預かるつもりで、伝え方を最大限吟味しなければならないと、僕は考えるに至りました。

これらの考え方は、今でも、この先も自分の中で軸として存在しつづけると思います。





SNSを中心に社外活動を始める


そんな考え方が、
業界内の誰かに届いてほしい
と思い、

世の中に発信を始めたのが、
僕が25歳の2021年秋頃です。

この自己紹介を書いている時点で
あれから2年が経過しました。

この2年間で、
Xのポストは10,000を超え、
noteは80作品以上リリースしました。

その中のいくつかに共感してくださり、
DMなどで声をかけていただいた
嬉しい体験も何度かありました。


たくさんのコンテンツを
世に出してきましたが、
まだまだ物足りないと感じています。

「SNSで発信をしている」というだけで、
業界でも社内でもどちらかといえば
僕は“変わり者”サイドにいる
ことになります。

学生時代からそうですが、
僕はどこに行ったとしても
「普通でいることが難しい」人間です。

そんな「普通」ではない花田の発信を、
今後もチェックしてもらえると嬉しいです。

「最後」なんてものはありませんが、
どうか最後まで見届けてください。



ここまで最初から読んでくださった方、
お付き合いありがとうございました。


花田隼人(はなだ・はやと)


1996年2月16日生
北海道札幌市出身
柔道整復師
日本体育協会公認スポーツリーダー
食生活アドバイザー3級

日本サッカー協会公認D級コーチ※更新辞退済
'23 医療オリンピック医識王


●Facebookグループ
「北海道若手治療家コミュニティ」代表
●札幌市内整骨院グループ
エリアマネージャー


●花田式・国家試験対策
●柔整国試対策マガジン
●柔整国試対策「記述式問題集」
●治療家のための「薬」の知識武装
●治療家のための文化人類学
●整体における頭痛臨床
ほか

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花田は新患対応で何を見ているか?

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