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会社辞めて、地元北陸でフリーライターになります。

ついに決意表明。どきどき。

今年9月からnote連続1か月投稿をした後、ほとんどの記事公開を中止していました。その理由は、冒頭にある通り、会社を辞めてフリーライターになる準備をしていたからです。

詳しい自己紹介ややりたい仕事については、また別途書くとして。とりあえず、私がフリーライターになる決意をした経緯を語ります。考え込んでいたら、子供時代にまでさかのぼってしまった。めちゃ長いやん。

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高校時代:地元を離れることを決意

私が生まれ育ったのは、富山の片田舎。自然が豊かで、夏には蛙の合唱が聞こえる、THE 田舎。 大好きな家族に囲まれて、すごく幸せに暮らしていた。

あたりまえのように高校に進学して、大学受験の時期になった。でも、家から通えるような範囲に大学はなくて。車で通学できないこともないけど、時間がかかるし、朝が苦手だから早起きはだるい。どうせ一人暮らしするなら、遠くに行きたい。だから私は、地元を出る決意をした。親に説得するのに北陸の大学と同レベルだと反論されると思い、京大を志望したのはここだけの話。受かったからいいけど、我ながら軽い気持ちである。

大学時代:地方から若者が出ていくのは仕方ない?

そんなこんなで、大学生活が幕を開ける。新しい場所で、たくさんの新しい経験をした。私の人生を変えることになったのは、地域活性化に関するゼミ。詳しい地名は避けるけど、京都の過疎地域でフィールドワークを行った。そこで私は、地方を取り巻く課題を学んだ。

「仕事も大学もないから、若者が出ていくのは仕方がない」

フィールドワークの中でそんな言葉を聞いて、苦しくなった。私自身が、出ていった側の人間だったから。

世の中には当たり前のように、生まれた場所の近くで、自分がやりたい仕事をできる人がいて。なのに私やその地域で生まれた若者らは、どうしてそれができないんだろう。もし私が東京に生まれていたら、こんな悩みはしなかったはずなのに。なんだか不公平だ。

でもこの不公平を悲観しているだけでは、私の地元もその地域も衰退していくだけ。動けることは、きっとある。

「地域間の不公平を無くす」

私には夢ができた。だから就職活動では、地元の大手企業を志望した。地元に貢献するためには、大きな母体の組織にいた方がいいと考えたからだ。

社会人1年目:即退職し、まさかの実家暮らし再開

しかし思わぬ誤算があった。東京に配属されたことだ。

東京勤務に落ち込みながらも、とりあえず頑張ろうと決心した私。でもすぐに大きな壁にぶち当たった。満員電車だ。息が出来なくて、立っていられない。何度も途中下車をした。次第に週5日8時間勤務する体力は無くなって、私は仕事をやめざるをえなくなった。不本意な形で、地元に戻ることになった。

社会人1年目後半:在宅でWEBライターに

そんな私を家族は温かく迎えてくれた。とはいえ、私は居心地が悪くて。なんとかしてお金を稼がねばならないと思った。フルタイムで仕事をするのは体調的に無理だから、在宅でできる仕事をググりまくった。そこで、「ライター」に出会った。

「書くことくらいなら、私でもできるんじゃない?」

今から思うと甘ったれだけど、そのときの正直な感想。そんなこんなで私はライティングの仕事をするようになった。

みるみるうちに私はライターの世界に魅了された。でもクラウドソーシングのライティングは、SEOを重視するゆえに中身のない文章を依頼されることも多くて、ちょっと物足りなさも感じていた。

「もっとやりがいのある仕事がしたい!」

そこで出会ったのが、これから辞める予定である企業広報専門の制作会社である。金沢に事務所があったのもちょうどよかった。

社会人2年目:企業広報のライティングの奥深さに引き込まれて

私が就職したのは、企業広報を担当するBtoBの制作会社。社内報や採用HP、統合報告書など幅広い媒体を制作している。

仕事をしてみると、すごく楽しかった。私がやりたかったライティングはこれだ!と思った。企業のことを深く知り、お客様のためを考えたライティング。編集やデザインにも触れられる。知的好奇心が刺激されて、どんどんはまり込んでいった。

そのうち、取材もさせてもらえるようになった。めちゃくちゃ緊張するけど、やっぱり生の声を聞けるのは全然違う。自分が取材して、自分が書いた原稿が、多くの人に読まれる。なんて壮大で、なんて怖いことなんだろう。自分がしている仕事の規模の大きさに、めまいがしそうになりながら、ものすごいほどのやりがいを感じた。もっと心が揺さぶられるような文章を生み出したい。もっとお客様に信頼されたい。そんな成長欲がどんどん溢れるようになった。

社会人3年目:自らの成長のために、地元を再度離れる

でも、問題があった。金沢では、ほとんど取材案件がないのだ。当時の私は、週1でどこか出張している生活。やる気に体調が追い付かず、東京時代の二の舞になりかねていた。

これではまずい。でも、今の仕事をやめたくない。もっともっと、成長したい。

東京暮らしは怖いけど、大学時代を暮らした京都なら大丈夫なはず。京都なら関西の取材案件が十分受けられる。地元に貢献したいけど、まずは成長のために経験が必要だ。そう思って、私は1年前、京都への移動を希望した。

それから1年、全力でライターとして仕事に励んだ。お客さまから褒められることもあれば、クレームをもらって落ち込むこともあって。後輩のライターの育成をしたこともあった。たった1年だけど、本当に密度の濃い一年だった。

そして2021年1月、私は今の会社を退職して、独立することにした。

現在:やっぱり、地元のために働きたい

辞める理由はいろいろあるけど、一番大きなきっかけはコロナ。私は金沢にいたとき、取材に行けないことが悩みのタネで、だからこそ関西に近い京都に引っ越した。でも今は、ほとんどがオンライン取材に置き換わっている。私が地元に帰れない理由は、もうない。

だから私は、独立する。そして大学時代に描いた「地域間の不公平を無くす」という夢を、ライターとして追い求めていく。

正直、ちょっと怖い。自分が本当にライターで生きていけるのか、自信なんてない。夢だって豪語しているけど、難しいのは百も承知だ。社会人として仕事をする中で、大学生時代よりももっと、地方で生きることの難しさは理解したと思う。

まあ一度きりの人生。自分がやりたいと思った道を進むために、まずは頑張ってみるつもり。ダメだったらこれまでのキャリア捨てて、新しいことをやればいい。それくらいのかる~い覚悟で、私らしく頑張っていきます。

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とりあえず今回は決意表明でした。ここまで長く書いといてあれだけど、端折った部分も多いので、詳しい話はまた書いていきたい。

やりたい仕事とかはまた後日、書いていきます。





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