第十二回「この旅が、誰かを救う」
◆1993年 9月函館駅より
「さあ、北海道に上陸だ」とふざけて笑いながら僕は言う。R女史はきょとんとしながらも、いつもとは違う表情を見せた。
「どうした?ここが函館だよ」
「ふふ分かってる。弘樹くんわたし異世界に来ちゃった気分なのよ、いま」
彼女の茶色い眼が、まるで初めてみる世界と出会うかのように光っているのが見えた。何だか嬉しそうにも窺えるからそれはまあいいんだけれど、足元が覚束ずにふらふらはしているのが気にはなった。
「ねえ、ここが本当に函館なの?私たちは、J君のいる北海道に遂に到着ってわけよね?」
「まあそういうことになるね。Jがいるのは釧路だから、まだ遥か彼方ではあるけれど」
「ふうん、そうなんだぁ」
もしかして彼女は実感が湧かないのかもしれない。さっきは「上陸だ」と彼女に威勢よく言ってはみたものの、青函トンネルと云う一種異様な地底空間を潜り、無人の駅をいくつか通り過ぎて、僕らはここに辿り着いた。暗く深い闇をすり抜けて来たといってもいい。連絡船で、海峡を渡ってやってくるあの函館と本当に同じ場所かどうかの確信なんてあるわけもなかった。もしかして黙っていれば普通に到着すると思い込んでいた僕の方が危ういのかもしれないのだ。僕は一先ず落ち着こうと彼女の手を引き、駅近くにある喫茶店へと入った。
「珈琲ふたっつ、あとモーニングお願い出来ますか?」
常連以外来ていないであろう、メニューも特にない昔ながらの喫茶店。函館にはそういう店が多い。でもそういうところが何か素敵でハイカラなイメージが漂うこの街が僕は好きなのだ。
「ねえ、これからどうするの?」と彼女が聞いてくる台詞はいつも通りで、違っているのはロケーションだけである。
「立待岬には連れていきたい、かな。あとは知っている人がいるお店があるから、後でそこには寄ろうと思うんだけど…」
「へぇー弘樹くん、函館にも知り合いいるんだ。さすが高校時代に遊んできただけのことはある」
知り合いがいると目的が生まれる。僕は特に観光に熱心な訳でもないから、知り合いをつくることで「自分の今の座標軸」が自然と定まっていく感じがある。実際函館に来たことは三回しかないんだけれど、初めて来たR女史に僕は得意気に語り始める。
「昔々の話なんだけどね、ここは砂で出来た小さな島だった筈なんだ。啄木の詩によるとなんだけどね。そしてそれを感じられる場所が立待岬なんだ。だからさ、これから荷物を預けて、市電に乗ってそれを確認しに行く」
「シデン?」
「うん、チンチン電車」
「あぁ!なんかいい、いいねそれ」
R女史は普段の調子を取り戻した様で、残っていた珈琲を一気に飲み干した。
「あっごめん。珈琲大丈夫だった?」
「うんっ!ブラックが一番だって弘樹くんいつも言ってたから。私も慣れてみた」
彼女がいつも紅茶にたっぷりミルクを入れて飲むことをすっかり忘れていたことに気づく。
「私もこうして少しずつ大人になるのだ!」
上野の駅を出てからずっと彼女の機嫌は良好だった。そして僕らの息も少しずつあっていっているような気がする。旅の予定は2週間程度。別に期限をしっかり決めている訳ではないのだけれど、仲良く行けるのにこしたことはない。
「まずは十字街へ行くよ」
「はいっ、弘樹先生。で、どんなところなのかは行けば分かるさ!でしょ?」
「そそ」
ゆっくりと路面電車は町を進んでいく。旅行者の為ではなく、生活のために学生や主婦がどんどん乗り降りして過ぎ去っていく。窓から時折入り込んでくる潮の香が僕に旅の非日常感を与えてくれる。こういうところで暮らしている人もいるんだよなと当たり前のことを考える。そして自分の人生も本当は色々な可能性があるのだと頭では分かっている。そういうことをぼんやりと考える。
思えば僕にもこの半年はいろんなことがあった。自分の人生という船がいきなり動き出したことに戸惑ったところもある。憧れの映画づくりの仲間にも入れてもらえたりして、本当にこのままやりたいことに直観で進んでいいものなのかと、心のどこかで後ろめたさを感じていたりもした。時間があると色々考えちゃうし足がとまるのが怖かった。だから空いた時間はJと繰り返し行われる手紙のやりとり以外は全てバイトに費やしてきたように思う。(結果としてそれは僕が考えていたペースよりハイピッチで通帳の金額は一桁増やすことに繋がったのだが)
Jよ、今きみはどうしているんだろうか。あの高校最後の冬の旅とは違って、今回君に会いに行くことはあくまできっかけであり目的ではない。今僕はこうしてR女史とふらふら目的もなく移動することが心地が良いんだ。ただ…直近の君からの二通の手紙は何かささくれだっているような内容だったから気になってはいる。失恋して落ち込んでいるくらいだったら別に構いはしないのだが…。大学が休みに入ったら、君は阿寒の中川の家(アイヌコタン)にいくらしいじゃないか。僕らも阿寒にも行くつもりだからわざわざ釧路に戻らんでそのままゆっくりしていればいいと思うよ。(中川家は面倒見もいいし、何の気兼ねもなくのんびりできるお宅なのである)
◆ Jからの手紙 八月六日消印(これは旅に出る前の手紙である)
前略 弘樹殿
釧路には未だ夏が来ない。森高千里の「八月の恋」など口ずさんでいようものなら狙撃される。半袖を着て街を歩いていようものなら十字砲火を喰らわされる。この通り釧路は物騒な街だから気を付けた方がいい。防弾チョッキくらいは最低二組は揃えろよ。
おっと大事なことを言い忘れていた。キャシャーンを君は知っていただろうか。
男たちはナイフじゃない。胸の風穴に孤独を抱いてる。その両手は鋼じゃない。死にたいくらい優しさ求めてる。
どうだい。思い出したかい。まあ最低でも釧路に来るまでにはソラで歌えるようにはなっていて欲しい。あととっておきの料理を教えてやろう。
「キャベツのカレースープ」というやつだ。
①キャベツは千切りにし、ソーセージは厚さ三から五ミリの輪切りにする。
②耐熱ボールにソーセージ、キャベツを入れカレー粉を小さじ一振りかけて混ぜ合わせる。キャベツ四枚に対してソーセージ二本の運命の出逢い。
③スープ(秘伝)を一と三分の二カップ加え、ラップをして約十分レンジで加熱し、取り出して全体を混ぜ合わせ更に約五分加熱。塩コショウで味を調えたら完成
フランスの私のジャンという友人がいるのだが、そいつが来釧した時に夜中に作ってくれたものだ。なんでもブゾンソという田舎町に代々伝わる料理らしい。一度試してみてくれたまえ。(第一章終わり)
「君には最近魂と云うものが感じられない。大学に入った頃のあの意気込みはどこへ行ってしまったのだろう。このままだと本当につまらない男になってしまうよ。」
地域文化研究室の担当教官がいきなりそう言ってきた。感覚的には何となく理解できるような気がする。ずっと考え込んでいた時に弘樹から手紙が来た。それは更に重く感じられた。
そして一週間ほど考えた結果、一つの結論が出た。「釧路には勉強しに来たのであって遊びに来たのでは決してない。」そもそもここしか受験してないのだから、釧路に住んでいることを嘆いているのはマチガイではなかろうか…。他大学(札学・北大・旭教大など)にあるようなアイヌ民俗学の講義を受けても結局は物足りなく感じるのではないだろうか…。数々の自問自答、青臭い哲学的思考を繰り返しようやく高校時代の民族学に対する情熱を取り戻した。
しかしだ、遊びまわったつけは厳しく、出席で左右されるモノは全て切られた(切った)。前終テストは八月二から六日。前期の目標は一般四単位。必修七単位。、自由十単位くらいかな。テスト・レポートに全てをかけましょう。
弘樹とRちゃんが来る時には釧路にいることにする。ただしそれまでずっと釧路にいる訳じゃなくて学校が終わってから阿寒に行こうと思う。高校のハラサワやマッチ棒先生らが阿寒に来ているから会いに行こうと思っている。だから君らの北海道ツアーの日程を詳しく教えてほしい、と云うことだ。
最近どうも人間嫌いになってしまってね。一週間のうち三日くらいは一日中人に会わない日がある。夜八時頃になると誰か分からんが訪れてくるものがいるんだが出る気にもなれん。元来人付き合いは極端に悪い方だったんで、大学に入って無理に社交的になってしんまった反動かもしれん。正直な話、しばらく誰とも逢いたくない。困ったもんだ。そろそろ眠いんで寝るわ。ところで救援物資ありがとう。お礼に初の当たり馬券の同封といこう。ではさようなら。接吻します、恨みながら。親愛なる君へ Jより
十字街に近づいてくると次第に異国情緒あふれるレトロな建物などが目に入っくる。
「R子、そろそろ降りるよ」
「ねえ弘樹くん、十字街の十字ってキリスト教と関係あるのかしら」
「うーん、どうかな。北海道にはよくある地名だし、たぶん開拓の時に十字路だから付けた名前じゃないかな」
多くの人と共に市電を降りる。
「あのキノコみたいな塔かわいい」
R女史が指差すへんてこな塔は市電の切り替えポイントの名残りだと聞いたことがある。この十字街はかつて函館で一番の繁華街だったから古くて面白いものが多い。西洋風の建物や食堂。お洒落な喫茶店。歩いていると美しい坂道とも出会える。それは海まで続く道で、道々に点在する教会が実によく映えている。(別にやましいことは特にないのだけれど)何か救われるような気持ちになるから不思議なのだ。だから訳ありのカップルがデートで歩くにも良さそうだと思う。十六で初めて来たときに(男同士で来たから言わなかったけれど)「駆け落ちするなら函館かもしれないな」と云う思いに浸ったのもそれが所以である。
「まずは岬へ行こう。十字街散策はその後で。着いたらたちまち向かうべきなのが、立待岬なのだよR子くん」
彼女は僕のつまらない冗談に別段反応するわけでもなく黙って付いて来る。僕らは市電を乗り換えて谷地頭へ向かった。
「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる」
立待岬の近くにある啄木一族の墓にはこの詩が刻まれている。谷地頭からは結構遠く、二十分くらいは歩くだろうか。絶景というに相応しい場所ではあるのだけれど、いつ来ても風が強くあまりロマンティックだとは言えない。とはいえ文学というものはそういう眼前のリアルな風景を超え、人の心を動かす情感を呼び起こしているというのだからすごいもんだと思う。
「啄木はさ、二十六年の生涯の中で実際は四か月しか函館にいなかったらしいよ」
「えっそうなんだ。確かに東北だったよね。盛岡だっけ」
「啄木は四か月、夏目漱石にしたって松山には一年しか赴任していない。それなのにまるでそこの地に生き続けた人かのように愛されている。それってどういうことなんだろう」
僕は短歌や詩には詳しいわけではない。だから、彼の創作がどれだけその時代にインパクトや影響を及ぼしたのかは想像できない。この有名な(教科書で習った)短歌も、啄木が本当は小説がやりたくて出来なかった悔しさや(彼自身は短歌を文学と思っていなかった節がある)、愛する函館への思いを込めているらしいんだけれど、その解説を知ることなしにそこまでの情感を感じることは出来なかった。
「やっぱり時間は量じゃないのかもしれないね」
ポツリと彼女は言う。
「二十六才って私たちとそう変わらないよね。それを短いと思ったらそうかもしれないけれど、同じようにその四か月という時間も量じゃないとしたら…。」
時折強い風が吹いて彼女は帽子を押さえながら話さなければならなかった。
「弘樹くん、一緒にシャッター押してくれる?」
ん?二人で写るんじゃなくて、一緒に撮るとはどういうことなんだろう。僕が戸惑っていると、
「一緒に写らなくてもいいの。この風景と、この時間を切るのよ。あなた映画監督を目指しているんでしょ。だから万感の思いを込めてシャッターを切るのよ」
「うん」
「でも、せっかく一緒に来たんだから今回はさ。私も一緒にそれをやらせてよ。私には詩を詠むことは出来ないし、まだ大したものも書けてない。時代に何かを残すなんて大それたことは思ってないんだけど、ね!」
「そうか、ならやっぱり「量」だな、量でいこう」
「時間は量じゃあないって話してるのに?」
「うん、量は量でも「熱量」で!」
瞬間、彼女は異世界から帰ってきたように笑顔で応えてくれた。あっちの世界から彼女を取り戻せた気がして胸の真ん中あたりがジンジンしてきた。
「じゃあいくよ」
「うんっ」
僕は「ユウキヲ ハツドウセヨ」と心で三回唱えてから、モノ語りを始めた。
「函館、ここは元は本当に小島だったんだ。砂の体積で今は陸続きになっているんだけれど…。長い時間をかけて繋がった。自然のチカラともいえるけれどそこには人の思いもあった。出逢いがあって、子供も生まれた。それはそれは沢山の子供たちがここにやってきたんだ」
「……」
「家が連なり、まちが出来た。啄木はここ函館を小島になぞらえて歌ったかもしれないが、それは世界の東海にある日本という小さな小島の物語なのかもしれない」
「かもしれない…」
「啄木は貧しかったし、傲慢なところもあり、いろいろうまくいかないこともあったかもしれない。ことを成し遂げることも出来ず、悔しさに頬を濡らすこともあったと思う」
「なんかくやしいわね」
「そして心の故郷である函館に帰ることも出来ずに亡くなった」
「そうかぁ、でもそこには愛する人が住んでいて、親友もまた彼のことを忘れなかった」
「いいねいいね。彼の作品は時を超えて生き続けた。いやこれからも生き続けるのだ」
笑いながら、二人は眼前に広がる浜へ向けてシャッターを切った。彼女の手を覆うようにして僕が上からボタンをゆっくりと押す。それに呼吸を合わせるように崖下から吹き上げる風で彼女の帽子は吹き飛ばされてしまった。
「雨にも負けず、風にも負けず」
僕が呪文のように唱えると彼女は大いに笑った。
「弘樹くん、それって賢治だけどーー」
「ふふふ、我々は今時を超え、人を超えているからそんなことは関係ないのだー」
「我々って、なんか素敵ね。我々は北を目指すのであるとか古代を感じるわ」
ならばと、「我々はもう少しこのままの体制でいるべきなのである」と独り言風に言ってみた。
(二〇一八年 ヴェネチィア短編映画祭に続く)
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