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病んだ精神障害者手帳持ちの中年男性が正社員として人並みのお給料をもらえるようになるまでの回顧録① 〜 自己紹介を兼ねて生い立ちなど 〜

自己紹介の前になぜこれを書こうと思ったか。

“長年病んで引きこもり期間も長かった人間が転職活動の末に遠方(関西→関東)で正社員になる”

これって貴重な体験なのでは?と思ったからだ。
そして病気の有無に関係なく共通する悩みを持つ方の一助になったり、世の中にはこんな人生もあるのかと面白がってもらえれば嬉しい。


簡単な生い立ちやら自己紹介やら。
身バレしないよう少々ぼかしてるのは許してください。

病みおじなんて名前を付けてみた通り、30代半ばの精神障害者手帳3級の中年男性である。
病名はうつ病、強迫性障害、社交不安障害、そしておそらく境界性パーソナリティ障害である(これだけはハッキリと言われてはいないので自己診断)

私は関西の田舎のとある業界では有名な家に長子として生まれた。
裕福であるが順応できない人間には地獄であろうと思う業界だ。別の業界でイメージをしてもらうと歌舞伎界が最もわかりやすく近いと思う。

私はもちろん順応できなかった側の人間である。

私の育った幼少期の環境は歪で不健全であったと思う。ただし下の兄妹は良き両親、恵まれた家庭と感じているだろうから私のとても主観的な目線ではである。
家庭内では祖母が全権を握り、父は親に逆らえず家が嫌で飲み歩く、毎日のような両親の夫婦喧嘩。
外では男女雇用機会均等法が成立しなかった世界線かというくらいの超男社会。長子で男であった私はなにかと厚遇された。
ただし、厚遇されることは私にとってはとても不快なものであった。その影響で平等や公平といったことには今でもこだわりが強い。

幼少期から私の目標はこの家から出て自立することであったが、皮肉なことにここから出たいという苦しさが精神を病んでいって自立とは正反対の生活をすることになる。


この辺の話が長くなっても意味がないのでこれくらいで。

そんなこんなで捻くれた私は小学生の頃、突然学校に行けなくなってしまった。
いじめられてたりはしない。むしろ友人に会いに行きたい。行きたいけどなぜか行けない。
今思うと寂しいだけで周囲に合わせることがストレスだったのかもしれないが...。
中学生になるとほぼ全期間、不登校であった。

この頃から対人恐怖がとても強く、学校以外にも外に出ることができず引きこもり状態であった。

そして高校へは進学せず、家に引きこもり続けることとなる。

卒業して最初の年の冬になろうかという時期に、なぜか汚れがとても気になりだす。強迫性障害の発症だ。

不潔恐怖は日に日に酷くなっていった。翌春、さすがに病院に行かなければまずいと思った私は、精神科をインターネットで調べ、ここだと思ったクリニックに連れていってほしいと親に言い、初めて精神科に通院することとなる。

ここの先生はとても気の許せる先生だったが、それでも合う薬も見つからず症状は更に悪化していく。
そして相乗効果で家族との関係も悪化していく。

この2つが爆発して17歳の頃、5ヶ月間精神科へ医療保護入院をさせられる。
この入院先の主治医が最悪であった。
そしてその主治医の意見を洗脳されていくかのように素直に聞く両親。

しかしこの5ヶ月間、自由がなくなったおかげか不潔恐怖はなんとか外に出られるくらいには回復する。
ちなみに残念ながら主治医の考えで意図的にそうなった訳ではない。

そして入院患者という社会に放り込まれ、久々に人と交流することになり、対人恐怖も少しだけましになる。

まじで主治医さえ違えばもう少し早く抜け出せたかもしれないのによお...と思っている。これは他者からの評価も同じく。


退院後、主治医の指示により作業所に通う。

詳しく書けないがストレスを溜めながら社会復帰への道を進み、最後はストレスが爆発してこの作業所をサヨナラする。

この時、18歳の冬。同級生は現役なら大学1回生。


さすがに高卒だけはないと生きるのにより一層困ると思った私は通信制高校へ入学する。
簡単だったし何より学費がとても安い。

レール踏み外し界隈にとってこれほどコスパの良いところはないだろう。


入学した私は人生を取り返さなければと焦っていた。
そして間もなく飲食店で人生初のアルバイトに就く。

手前味噌だが私はとにかく仕事ができた。今でも自他ともに認める最大の長所は仕事ができる(生産コストが低い)ことだ。

ただし病んでいるので継続はしない。
更に、この頃の私は断れない性格だった。


さて、この職場は全会話が悪口とパワハラで構成され、非正規には一切の福利厚生がないという会社だった。当時の飲食業界はどこも似たようなものだとは思うけど。

初めての仕事場なのでこれが一般的なものだと洗脳された私は必死に働いた。
来いと言われれば断れない。週3日だったのが気がつけば週6×12h、残りの1日は学校というような生活になる。

1年と少しが過ぎた頃、ついに限界が来てしまった。
行こうとしても体が動かず、パワハラ上司からの電話にブチ切れて辞める。

その半年後、なんとか働かないととまたアルバイトに就くが、この頃にはボロボロだったのか2週間で辞めてしまった。

高校のほうは2年間でかなりの単位を取れていたため、3年目もちょこちょこ這うように行き、なんとか3年で卒業する。

さて、ここからがどん底の引きこもり生活の始まりだった。
入院していた病院の主治医の影響で元々の人間不信が輪をかけて酷くなる。
精神保健福祉法を嫌悪し、精神科医を嫌悪し、通院も辞める。

完全無欠の引きこもりだ。

このままではいけないと思いつつも、この状況が20代後半まで続いた。



次回はここから社会復帰への道のりを書きたいと思います。

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