人生を変えたバイト_キッチンとVIPルーム編

オゾン・スパイラルのバイトの業務内容紹介編のラスト、今回はキッチンとVIPルームについて書きたいと思う。

まずは、キッチンについて。

オープンの日の終日唐揚げ揚げ続けて鬼臭現象が起きた話の時に少ししたが、基本小さな換気扇しかなく、ドアも閉めっぱなしで2畳半くらいしかないキッチンだった。そこに忙しい時間には2〜3人入って、5つくらい入っているオーダーをこなす。揚げたりレンジでチンしたり盛ったりすれば良い軽食から、しっかり素材から調理しなくてはいけないごはんものまであったので、オーダーが入り続けている時は、空気も熱も篭った多忙な戦場だった。

キッチンはスパイラルの奥にあったので、基本的にスパイラルに入っているスタッフが担当していた。ホールをやっているスタッフがキッチンも兼務する。

キッチンには、ホリカワさんという主がいた。ホリカワさんはバイト歴が長く、他の業務においてもプロかったが、特にキッチンについては主化していた。出している料理のメニューもほぼホリカワさんが考えたもので、キッチンの事は全てホリカワさんに習った。そして、ホリカワさんの一番弟子となった私の1歳下のルナちゃんもたくさん教えてくれた。

2人はとにかく調理が早かった。私はキッチンに入る時は料理を教えてもらいつつ、溜まっていく皿を片付けつつ、まかないを作りつつ一緒に仕事した。2人に教えてもらいながら、何となく全メニュー作れるようになっていった。

キッチンは他の配置とは違って、担当の人以外が入ってくる事も基本なく、忙しくてもスタッフ同士でキャッキャできて、大体はずっと楽しい場所だった。キッチン下の醤油やみりんが置いてある場所に、友達のつまみ食いのお椀を見つけた時はびっくりして爆笑したし、味見という名のまかない早弁を食べながら、忙しいフードのオーダーもこなした。学校みたいだった。

今でもフードのごはんもののメニューは忘れていないし、豚しゃぶがのったサラダご飯は、今も自宅で作ったりする。オムライスの卵だって、キッチンに入ってから作れるようになったし、2升炊きのご飯を毎度炊飯器の機嫌を取りながら炊くので、失敗や成功を繰り返しながらご飯自体がいつでもうまく炊けるようになった。料理という人生で必要なものを、キッチン業務で学んだ。


次は、VIPルームだ。VIPルームは6Fにあるのだが、スパイラルとは切り離されており、基本オゾンで流れている音楽が聴こえ、上から5Fのオゾンのステージとダンスフロアが見下ろせるようになった構造だった。

週末は、別途VIP入場料金を払ったお客さんしか入れない場所になったり、箱貸しイベントの場合は、出演者や招待客に限って入れる場所になった。

私は、忙しい週末も箱貸しイベントもほぼVIPルーム担当だった。私のオゾン人生の7割はVIPルームだったと言っても過言ではない。

VIPルームは、ボックス席が7つほどとカウンターが10席くらいだったので、基本的にはバーに1人、ホールで1人の計2人のスタッフで回した。バーにオカくんという男の子、私はホールというのが定番だった。オカくんとVIPを回す事が多すぎて、営業中に限って相棒のような感じだった。

VIPに入場できるかどうかについては、エントランスで予約を確認して料金を徴収してくれたりゲストパスをつけてくれたりするので、基本はVIPでは腕についたパスだけ確認すれば良かったが、エントランスでそれをしない客やゲストもいたので、入り口で確認作業をした。俺様!って感じで無視して入ってくる奴をつまみ出したり場合によっては出さない判断をしたり、セキュリティに相談したりした。

週末に別途VIP入場料金を払って入ってくるお客さんというのは、主にバースデーパーティをするお客さんだった。基本は誕生日に日付の変わる時にカウントダウンをしに来ているお客さんが多く、席は基本2時間制なので、店のオープンは19時でも、忙しくなり始めるのは早くても21時頃だった。
週末は19時から21時頃までボディチェックを手伝って、21時頃からVIPルームという流れが多かった。

その頃の名古屋は姫ギャル全盛期で、お姫様のような格好をしたギャルがVIPルームに大挙した。頭がライオンみたいなスーツのギャル男の集団も大挙した。VIPルームの週末はいつも満卓で、一晩で入れ替えも含めて15組くらいの団体を迎えていた。

基本的にはオゾンのホールとする事は変わらない。ドリンクを下げたり、灰皿を替えたりする。ドリンクを聞きに行く事はVIPルームならではだったが、大して特別な事でもない。


それでは、バースデーパーティとは、何をするのか。

バースデーでVIPルームを予約したお客さんには、DJがバースデーのお客さんの名前を読んでフロア全体でお祝いしながら希望の曲をかけるサービスがあった。なので、VIPルームに来たお客さんにドリンクを聞きつつ、まず希望曲を聞いた。バースデーコール希望の30分前には聞いて、舞台袖に伝えにいかなくてはいけなかった。

VIPルームに来るお客さんはお金を持っている人が多かったので、飲む量もそもそもで多く、酔っ払ってコール曲をなかなか決めない人もいたので、どの席が何時にコール希望かも覚えて、せっつきに行った。

そして、バースデーコール時間になると、VIP料金に含まれたサービスでシャンパンをお客さん4人につき1本出していた。基本1ボックスに8人くらいいたので、1ボックスで最低2本出る。8人以上いる場合や、追加を希望される事も多く、1ボックスで平均3〜4本出た。バー内の冷蔵庫じゃ足りなかった。とにかくシャンパンが出続けるので、時間を見つけては、出る本数を多めに見積もって、裏の冷蔵庫にシャンパンを冷やしておくかも重要だった。毎週末、多めに見積もって冷やしてちょうど良かったくらいシャンパンが出た。

ほぼ毎週、22時くらいから0時半くらいまで、15分に1回はバースデーコールがあった。単純計算で、1日に約50本くらいシャンパンを開けていた。一気に10本くらい開けるのも容易い事だった。

今でも覚えているが、何年か前に銀座のクラブで働いていた友人の前でシャンパンを開けた時に「うちのボーイより全然早い」と言われた時は笑ってしまった。どのくらい早いのかと考えるが、1分あれば多分3本は急がずに開けられる。毎週末シャンパンを開け続けた腕は、なかなか鈍らないらしい。何かに役に立たないかと思うくらい鈍らない。

シャンパンを開け続ける以外にも、ホールは1人しかいないのでちんたら補充もできず、そんなにシャンパンが出れば自動的にずっと足りないシャンパングラスを下げては洗って拭いたり、机を片付けて次の客を間髪入れず入れたり、床が絨毯だったのでお客さんが溢した酒の染み込んだところをダスターで吸い取ったり、VIP内で起きたトラブルを処理したりセキュリティに連絡したりと、常に忙しかった。VIPルームに入った日の営業が終わる頃には、片付けに取りかかれない程、疲弊してボーッとする事もあった。片付けも大変だったので、ボーッともしていられずすぐに片付けに取り掛かるのだが。


キッチンとVIPルームはこんな感じ。VIPルームの出来事も、オゾンのホールエントランスやバーの時と同様、信じられない内容が多いと思うが、これも全盛期の名残があった良い時代ならではだと思う。

キッチンでは、料理という人生の基本で大事な事を学び、VIPルームでは、人生に必要かは分からないけど、シャンパン早開けという一発芸を得た。

今回も業務のみを書いたけれど、VIPルームで起きた様々な出来事はまた別で書きたいと思う。それによって、一発芸以外に得た大事な知識もたくさんあるからだ。


ハタノ







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