雨粒の立てる音にアコースティックギター。 この二つの音は、意外にも調和する。そんなことを感じた。 音の調和。 雨はまだ止まず、規則的な雨音は永遠に続くかのように響きつづけていた。アコースティックギターの響きを伴奏にして。 https://note.com/hisataroh358/n/ndc560f53d495
花言葉や各国の言葉に共通するのは、ひまわりが太陽を向くという性質。 ひまわりがラブソングにおいて、大切な人を見守る自分自身や、愛する人の情熱の比喩に使われるのは、納得性があります。 https://note.com/hisataroh358/n/n11fb43529f7a
中学の時の先生の座右の銘は「人生は感動なり」。彼は登山家で、ある日の夜更に、ふとテントをでて、空を見上げたら、、。まさに今にも降ってきそうな星空が広がっていて、あまりの感動と衝撃に、しばらく言葉を忘れていたそうです。 https://note.com/hisataroh358/n/n4e354c0ee82c
ラジオが人生の友だった時代 ~ 「壊れかけのラジオ」 徳永英明 1970年代〜1990年代。10代の青年が自室で楽しんでいたのはラジオでした。 インターネットがない時代、この媒体に双方向性をもたらしていたのは、葉書の投稿と、、 https://note.com/hisataroh358/n/n940fba38dca6
天を流れる光・天の川 足元を照らすほのかな光・蛍 眼前に立ち上り、天にまで届くかのように燃え上がる篝火 光に包まれた祭りの風景は、自分たちの心情も包み込んで、すべてが霞んでいく。そして、やがてその光も終わるときがくる。 https://note.com/hisataroh358/n/n1e3a441993df
未来は我々の前にある。川の流れに例えると水は流れて海にたどり着く。時間的には未来が海。過去は川上。地球は未来へとまわる。海の方へ。太古の昔、人類の祖先は海から陸に上がってきた。海が人類の故郷。地球は、海の方へ回る。人類の生命の源へ https://note.com/hisataroh358/n/n9cf89df5b954
なんて事のない日常にも、仲間や家族の営みがあって。 何気ない日常。記憶に鮮明に残っているわけではない日常。 特別なことなんてあまりなかった日常。 そんな日常も、色彩のブルースに包まれていたんですね。 https://note.com/hisataroh358/n/n522431042ec7
世が移ろい、新たな流行が生まれ、とめどなく周りの環境が変化していく現代社会。 そんな中でも変わらないもの。 それは、誰かを大切に思う気持ち。 それが永遠に不変の真実。 あなたに逢いたくて。 https://note.com/hisataroh358/n/n72fb4c59aa9a
他者比較よりも、絶対的な自分の事を見つめたほうが良いですね。 そして、ありのままの自分を愛していく https://note.com/hisataroh358/n/n69f82ce43f39
今は遠く離れたところにいるけれど。 今は同じ夜空を見上げている。 今は同じ星を見つめている。 今は遠く離れたところにいるけれど。 夜空に浮かぶ星でぼくたちはつながっている。 そんな夜さ今夜は。 https://note.com/hisataroh358/n/n2e2f23a354bf
目的地に到達した先に、思っていたのとは違う形の雲や、色が違う空があったとしても。そんな時に意味を持つのは、そこに到達しようともがいたそのプロセスなのではないかと思います。 https://note.com/hisataroh358/n/na345f9a0c989
自分が何故ここにいるのか。結局、今自分はここにいて、周りに大切な人たちがいて、知らない人たちとの関係性で皆が生きているという、当たり前の事実にかえってくる。今ここにいる事ができている事実に、奇跡に感謝を。たぶん、それがひとつの真実。 https://note.com/hisataroh358/n/n04702bfd9b39
こんな二人はどこにでも居そうで、こんな二人のやりとりもどこにでもありそうで、こんな彼女の思いもまたそう。つまりは、時代がいくら過ぎ行こうとも、その時の世代の共感を呼び、愛されて行く楽曲なのだと思います。 https://note.com/hisataroh358/n/nf73b5fb482db
人と人の関係は平坦な道のりではなく、時に激しく、時に優しく起伏する。でもその関係性の先には。迷い悩んだ計算式の先にはきっと答えが待っている。 https://note.com/hisataroh358/n/n06c48580e295