のすけ
2020/04/29 17:47
先日、給付金なども含めて「他人のお金に頼るな。それは税金だから必ず将来の負担になる」という意味を込めたnoteを書いたが、今日は想定していなかった事態を知ることとなった。和歌山県にある高野町。人口は約3000人と少ないが、高野山真言宗を中心とし、多くの観光客が訪れる町である。その町長室から、こんなメッセージがフェイスブックで発信された。曰く、『国策である観光立国として外国人観光客(インバ
さくほのまさこさん
2019/08/03 08:45
7月最後の週末の金土で行われた高野町祇園祭。予備知識なく参加しての感想。一日半とにかく歩く!(つっかけで行ってしまって激しく後悔><)歩くし、その間ずっと大きな屋台を引いて、押して、そして、ずーっと唄って、叩いて、そして、御酒も飲み続けて・・・信州南佐久佐久穂は高野町の若衆たるや、相当の体力と酒の強さが求められるんだな〜っていう驚きもありながらも。一番の感想は…高野町祇
2019/07/31 16:54
去る7月26日(金)、27日(土)の2日間、佐久穂町では「高野町祇園祭」というお祭りがありました。なんと約400年弱も(諸説あり)続く歴史があるという伝統的なお祭りなんだそう。これは私が佐久穂に移住してきてたびたび感じる佐久穂あるあるなのですが、地元の人にとってはもはやただの風物詩的に当たり前にありすぎるものだからなのか?誰もそんなすごいお祭のことを全然アピールしていない…そもそも
綾
2019/06/24 23:45
この所、度々高野山の石造物について書いてきましたが、それも一段落。せっかくなので、石造物以外の高野山の諸々について紹介。壇上伽藍の金堂。壇上伽藍の中門。壇上伽藍の根本大塔。壇上伽藍の西塔。根本大塔から愛染堂、大会堂、東塔を望む。愛染堂(左)、大会堂(右)。壇上伽藍の不動堂(国宝)。壇上伽藍の東塔。東塔側がら根本大塔を望む。徳川家霊台(南院の北側)、秀忠廟
2019/06/23 23:24
名称:高野山奥の院宝篋印塔伝承など:なし所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山奥の院高野山奥の院の石塔群は、近世大名家の墓所が大半を占めることから近世の石塔が多く、町石塔婆や弘法大師廟所内の石塔を除けば、中世にまで遡る石塔は少ない。その少ない中世石塔のうちの一基が、奥の院の入口近くに建つ宝篋印塔である。南北朝時代の作と推定され、完形でありまた周囲に建つ墓石が戦後に建てられた新
2019/06/22 23:34
名称:高野山奥の院町石塔婆伝承など:安達泰盛造立、安達盛長、景盛供養塔所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山奥の院高野山の各地で、町石塔婆と呼ばれる石塔が見られるが、これは鎌倉中期に高野山金剛峰寺の金堂の壇場から奥の院の弘法大師廟まで、また金堂から麓の慈尊院までの道に一町ごとに立てられた道標であり、町石塔婆は高さ三メートルほどの石柱であり、上部が五輪塔の形をなしている。町石塔婆は
2019/06/18 23:29
名称:高野山奥の院の大名墓所五輪塔群伝承など:伊達政宗、崇源院(徳川秀忠夫人)、正清院(浅野長晟夫人)、 前田利長の墓所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山奥の院高野山奥の院に建ち並ぶ近世大名家の墓所群は、その大半が五輪塔で構成されているが、大身の大名家の墓石はその大きさから一際目を引かれる。墓石群の中で最も大型で、「一番石」と通称されているのが、徳川秀忠夫人の崇源院
2019/06/17 23:25
名称:高野山奥の院石田三成逆修塔伝承など:石田三成の逆修塔所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山奥の院高野山の奥の院に建ち並ぶ大名家や戦国大名の墓石は、大半が五輪塔であるため、例外的に奥の院の石塔だけは通常と異なり、被供養者の名前を名称としたい。まず最初に紹介するのが、石田三成の墓と称される五輪塔である。奥の院の標柱には墓所とあるが、厳密には逆修塔と呼ばれるもので、生前供養の
2019/06/16 23:31
名称:高野山奥の院松平家石廟伝承など:結城秀康・所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山奥の院高野山奥の院は弘法大師空海の廟所を中心に、戦国大名や近世の大名家の墓所が建ち並ぶ巨大な霊園と言うべき場所で、現在も大企業や著名人などの墓所が造立され続けている。その中にある越前藩松平家の墓域には、初代藩主結城秀康とその生母・長勝院の石廟が並んで建っている。向かって右側が秀康廟で、左のや
2019/06/09 23:55
名称:西室院五輪塔伝承など:源氏三代(源頼朝・源頼家・源実朝)供養塔所在地:和歌山県伊都郡高野町 高野山西室院空海が開いたさながら仏教都市と言うべき高野山には、金剛峯寺を中心に数多くの塔頭寺院が建ち並ぶが、その中でも西室院には高野山内でも最古と考えられる五輪塔がある。南海電鉄高野山ケーブル駅から高野山の中心部に向かい、女人堂を過ぎて間もなくの、高野山の「入り口」あたりに位置する