髄の年輪のモノローグ

髄の年輪のモノローグ 第18回 Hermann H.&The Pacemakers『SIX PACKS』

 まだスマートフォンがこの世に存在せず、インターネットも今ほどは浸透も活用もされていなかった頃、出かけた先で音楽を掘ろうとした時の手軽な情報源といえばCDショップのPOPだった。何かのついでにCDショップに行ってPOPを見て試聴して他のPOPを見て試聴して他のPOPを……という無限ループに勤しむことは数知れず、店内滞在時間も自然と長くなっていた。気に入ったものはちゃんと買って帰っていたので許してほ

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髄の年輪のモノローグ 第17回 the band apart『K. AND HIS BIKE』

 東京は西多摩に生まれ育ち西多摩に暮らす私にも、違う土地に住んでいた経験はある。当時の親の転勤の都合で、生まれてすぐに横須賀に、その次は室蘭に、そして西多摩ではない都下エリアに。まだ幼稚園にすら入っていない年齢だったので、そのあたりまでのことは覚えていない。で、幼稚園からは西多摩で、その後もしばらく西多摩で、西多摩の中で引っ越したことはあれど、ずっと西多摩だった。
 そして、大学生になり、一人暮ら

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髄の年輪のモノローグ 第16回 KAN『愛は勝つ』

 私が幼少時に蓄えた記憶のフォーマットはほとんどがJPEGで、消えかける度に複製して保存するという行為の繰り返しで劣化しているし、間に合わなくて消えてしまったものもたくさんあるし、そもそもそれらが本当に自分で見聞きしたものなのかどうかもよくわからない。後から写真を見せられたりして得たものかもしれないし、もしかしたら想像がそのままこびりついてしまったものなのかもしれない。
 ただし、ひとつだけ、動画

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髄の年輪のモノローグ 第15回 SAKEROCK『慰安旅行』

 高円寺に「円盤」というお店がある。ものすごくざっくり言うと「イベントも喫茶もできる、自主制作盤をメインに取り扱うインディペンデントなCD屋さん」ということになるんだろうけれども、それだけではとてもとても表現しきれないので、実際に足を運んでみるのがいちばん良いと思う。
 その円盤が主催する「円盤ジャンボリー」というイベントがあった。会場は渋谷O-nestで、毎回だいたい3days(1日だけの時もあ

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髄の年輪のモノローグ 第14回 pre-school『this album』

 義務教育は国と保護者の義務なので、小学校も中学校も(私立や一部例外を除いては)あっさり入れるけれど、高校は選んで受験して合格しなければ入れない。義務教育期間をごくごく普通の公立の小中学校で過ごしてきた世間の大多数の人にとって、高校受験がはじめての「その後を左右する受験」になる。私もそうだった。
 自分の学力と相談して、とある都立の高校を受けることにした。先に滑り止めの私立の試験があって、受かって

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髄の年輪のモノローグ 第13回 Small Circle of Friends『CIRCLE』

 東京の西の端、西多摩の山沿いでもテレビ神奈川が受信できる。そのことを知ったのは、小学生の頃だった。その頃の私はまだテレビっ子で、自分専用のテレビデオを与えられていた。それを部屋でずっとつけていたので、東京都民の思う「普通のチャンネル」(当時は1・3・4・6・8・10・12)以外のものが見られることに気付くまでには、そう時間はかからなかった。そして、「普通のチャンネル」とは少し違う独特な雰囲気に惹

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髄の年輪のモノローグ 第12回 EXTRUDERS『neuter』

 18歳の春に音楽ライターになり、ほぼ同時にライブハウスに通いはじめた。音楽の勉強のつもりでも、ライターとしての使命感でもなく、「もっとたくさんの音楽に触れたい/観たい/聴きたい」という純粋な欲求からきた、ある意味かなり本能的な行動だった。それが未だに(頻度こそ下がったものの)続いているのだから、恐ろしい。
 都内を中心に、時々他の県にも侵入し、色々な街の色々なライブハウスに足を踏み入れた。1,0

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髄の年輪のモノローグ 第11回 ウルフルズ『バンザイ』

 今の「小学校」という場所がどんなもので、どんな雰囲気なのかは知らない。ので、現在の実際のそれとは剥離しているかもしれない。けれど、これは、20年以上前に西多摩のとある小学校で実際にあったことなのだ。

 義務教育を受けていた間、特に小学校時代には良い思い出がない。とはいえ、学校でいじめられていたわけでもなく(生まれつきの変わり者であるが故、あまりにも浮きすぎていて、いじる対象にすらなっていなかっ

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髄の年輪のモノローグ 第10回 YELLOW MAGIC ORCHESTRA『SOLID STATE SURVIVOR』

 私には叔父がいる。母の弟。物心ついた時からずっと、祖父母宅の2階に住んでいる。

 私は一人っ子で、親は共働きだったので、小学校を卒業するくらいまでは祖父母宅に預けられることが多かった。平日は学童保育、学童がない時は祖父母宅、という流れ。
 祖父母宅の1階には大きな書庫がある。かなり大きく、もはや気軽に「本棚」と呼べる規模ではない。そこに叔父の所有物がぎっちり詰まっている。ハードカバーの本が8割

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髄の年輪のモノローグ 第9回 フジファブリック『アラモルト』

 音楽ライターになってから2年ほどの間は下北沢にいることが多かった。ハイラインレコーズが撒いた種が見事に花を咲かせて、「下北系」と呼ばれるシーンが活気付いていた、というのが大きな理由。お仕事のお相手も、観たいアーティストも、聴きたい音源も、下北沢に集まっていた。(ちなみに、次点は新宿、僅差で渋谷、といった状況だった。そのあたりの話はまた追って)

 当時の下北沢では、ライブハウスにひとりでいる

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