髄の年輪のモノローグ 第7回 pre-school『(無題)』

 私は東京の西の端の山のほう、いわゆる「西多摩」と呼ばれるエリアで生まれ育った。祖父母の代のさらにその前のもっとその前、少なくとも数百年前からずっと西多摩で根を張ってきたらしい。親や自分の都合で一時的に離れたこともあったとはいえ、今までの人生の9割くらいは西多摩で暮らしているのではないかと思う。どこに行くにも遠いけれど(そして私の左半身がダメになってからはそれが如実にダメージとなり本当に困っているけれど)、それ以外はそんなに悪くはない。

 西多摩の四季は厳しい。夏は都心より2〜3℃くらい暑く、冬は都心より2〜3℃くらい寒い。真夏に40℃を超えてマスコミが来たこともあれば、真冬に大雪が降って自衛隊が来たこともある。都心は晴れているのに、西多摩だけ豪雨だったりすることはしょっちゅうだ。他のエリアと繋がっているはずなのに、断絶されているような気もする、不思議な土地だと思う。

 私は西多摩の冬が好きだ。特に、夜。湿度が低く、寒さが頬に刺さり、星がとてもよく見える。人があまり出歩いていないのも良い。用もないのに深夜に外出したくなる。ライブハウス帰りの夜道は(防犯のことさえ考えなければ)至福だ。それは今にはじまったことではなく、物心ついた頃には既に地元の冬が好きだった。中学2年生の終わりまでは放課後に水泳教室に通っていたので、泳ぎ終わった後は冬の夜の空気を存分に楽しんでから帰宅していた。

 そんな14歳の冬のこと。pre-schoolのメジャー2ndアルバムがリリースされた。タイトルはない。無題。ジャケットも真っ黒な上からオレンジ色の「p」マークのステッカーが貼ってあるだけ。初回限定盤は縦長の箱に入っていたけれど、やっぱり真っ黒。ファンとしては「らしい」と思ったけれど、当時の音楽誌やメディア側は困惑していたようで、特集記事やインタビューでもその様子がありありと見えていた。なんとなく似ているように思えたのか、ビートルズのホワイトアルバムになぞらえた質問が出ていることもあった。ので、個人的には未だに「ブラックアルバム」と呼んでいる。

 ブラックアルバムは海外でレコーディングされたと聞いた。現に収録曲のMVに海外の光景が出てくる。曲と詞とアレンジ面は前作『peace pact』を継承して増幅したような趣だが、音の感触が全く違う。カラカラに乾いて、キンキンに冷えた、真っ黒で孤独な空気に包まれているようなサウンドに仕上がっている。そう、日本の冬、具体的には西多摩の冬によく似ている。真夏の日中に聴こうとも、春や秋の室内であっても、あの冬の空気が味わえる。聴き手が実際に目にしている環境に音が負けていない。
 彼らは元々、皮肉と毒を甘くポップにデコレーションしたようなバンドだ。前作で出会い、その毒にやられて、私は彼らのファンになった。その点はブラックアルバムでもあまり変わっていない。スルスル聴かせて耳から挿れていくタイプの毒は健在だ。しかし、ゴテゴテしていた部分は削ぎ落とされ、幾分スタイリッシュになった。宣材写真も、前作の時はオシャレでポップなイメージだったけれど、今作のそれは飾りすぎず、少々クールな雰囲気だ。ファーのついたフード付きコートを纏って、そこに立っているだけ。そこもまた、なんとなく、冬らしさがある。

 冬の夜空のような黒いジャケットのCD。それを聴きながら西多摩の冬を満喫する私。その後の春も夏も秋も、また次の冬も、ずぶずぶ沈むように聴き続けた。ある種の現実逃避だったのかもしれないけれど、それはそれで悪くないと思う。
 ちなみに、彼らがこの次に出したアルバムのジャケットは、正反対の白ベースだった。その話はまた別の機会に。


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掲載日:2019年11月24日
発売日:1999年1月20日
(20年10ヶ月4日前)
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髄の年輪のモノローグ 目次:
https://note.mu/qeeree/n/n0d0ad25d0ab4

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