彼と美術館に行くことになった朝。
私は支度をしていた。
彼の何倍も支度に時間がかかる私は
急いで支度しながら彼がベッドから出てくるのを
確認していた。
彼はベッドから出発まで5分もかからない。
彼は美術館へのルートを念入りに確認していた。
なぜなら先月も同じ美術館に私たちは行ったのだけど、その時の先導が私だったために大幅に道を間違え迷子になってしまったからだ。
今日は彼の先導なので間違えないと私た
美術館デート
それを肩書きにしてから1年が経ちました
少なくとも1年
では
美術館デートの恩恵を実感したのはいつなのか
国立近代美術館の
「endless 山田正亮の絵画」展です
とあるキレイなお姉さんと行きました
3年は経ちました
ここだけの話、ご結婚されている方だったので、都合良く名前は忘れました
僕の脳はターゲットではない人の名前は忘れる様にできているのだと、今、実感しました
ちな
僕は自分を
「こういう人です」
と定めたくないです
その結果、人に自分を認識されなくても
自分さえ自分を認識していればイイと思います
それと
自分を
「こういう人です」
って言う人が嫌いなんだろうな
とはいえ
何でもアリって訳じゃない
もういくつ寝ると梅雨
雨が降ったら相合傘
「濡れちゃうから」と肩を寄せ合う大義名分
コレはcool japan
日本万歳イイなのでは
そう思い
探してます
だから会えたとき、嬉しいです
僕はどこだろう
たぶん美術館の前にいて
あなたを待ってます
生きるだけなら
歩くだけなら
足もあるし
ひとりでできるもん
でも美術館には
僕がしたい「美術館」体験には
あなたが必要だ
僕とあなたの片翼同士が必要だ
その先に
やっぱりカフェがあって
僕はカフェオレを頼む
白でも黒でもないカフェオレ
ミルクでもブラックでもない優しさ
そういう調和
美術館デートがしたいんだと思いました
正解探しはもうたくさんです
どこにも間違いなんかなくて
全ては正解なんだけど
小学校6年
中学校3年で
○と×を刷り込まれ
個性は叩かれ続けると
「自分の意見」なんて
持つのもリスクに感じて
潜在意識レベルで生まれなくなるんだろうな
それでも僕はあきらめません
何でかな
僕が個性的でしかいられなかったからかな
社会(クラス)の中で
入りたくもな