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どうする家康 浜松にある悲劇の舞台をご紹介 築山御前 松平信康 お田鶴の方

5か月前

【神社巡り】愛知県岡崎市・若宮八幡宮

どうする家康の物語を構造から読み解くと

4か月前

「時代の流れを汲み取っていきたい」

【幻想紀行】二俣城から清瀧寺へ

弘治3年(1557)1月15日は松平元信(徳川家康)と今川一門の築山殿(瀬名)との婚儀が行われた日。同じ頃元信から元康に改名したという。築山殿は元康より年上とも同年ともいわれる。母は今川義元の妹とも伯母ともいわれ元康は今川一門に準じる扱いとなった。後に嫡男信康と亀姫が誕生する。

『どうする家康』の評価に思う。

9か月前

織田五徳の憂鬱

【どうする家康・家臣列伝2】息子2人の後見を託された誠実な側近・平岩七之助

「築山事件」「信康事件」関連動画集

伊藤大輔監督『反逆児』(東映時代劇)

【どうする家康・家臣列伝4】「鬼」と呼ばれた武将は伊賀忍びの頭領? 服部半蔵

「築山事件」「信康事件」の真相に迫る!

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第25回「はるかに遠い夢」(復習)

PR: 信康事件:NHK大河ドラマとのギャップ

どうする家康 第25話 余談「はるかに遠い夢」を継いだ者

10か月前

第26回「ぶらり富士遊覧」(予習)

天正7年(1579)8月29日は家康が岡崎から浜松へ移送中の正室・築山殿(瀬名)を家臣に殺害させた日。殺害ではなく輿の中で自害したともいわれる。嫡男信康とともに武田氏に内通して謀反を企てたことが理由とされるが真相は判明していない。また二俣城へ移された信康もこの半月後に自害する。

元亀2年(1571)8月26日は家康が浜松城で嫡男信康の元服を祝うための能を興行した日。信康は信長の娘五徳と結婚し家康が浜松城へ移ると岡崎城主となる。天正元年(1573)には初陣を果たし天正3年の長篠設楽原の戦いにも参加している。この祝いの8年後に遠江二俣城にて21歳で自刃した。

徳川家康さま☘️をたどる#33☘️長篠の戦・前編

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