弘治3年(1557)1月15日は松平元信(徳川家康)と今川一門の築山殿(瀬名)との婚儀が行われた日。同じ頃元信から元康に改名したという。築山殿は元康より年上とも同年ともいわれる。母は今川義元の妹とも伯母ともいわれ元康は今川一門に準じる扱いとなった。後に嫡男信康と亀姫が誕生する。
天正7年(1579)8月29日は家康が岡崎から浜松へ移送中の正室・築山殿(瀬名)を家臣に殺害させた日。殺害ではなく輿の中で自害したともいわれる。嫡男信康とともに武田氏に内通して謀反を企てたことが理由とされるが真相は判明していない。また二俣城へ移された信康もこの半月後に自害する。
元亀2年(1571)8月26日は家康が浜松城で嫡男信康の元服を祝うための能を興行した日。信康は信長の娘五徳と結婚し家康が浜松城へ移ると岡崎城主となる。天正元年(1573)には初陣を果たし天正3年の長篠設楽原の戦いにも参加している。この祝いの8年後に遠江二俣城にて21歳で自刃した。