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どうする家康 第25話 余談「はるかに遠い夢」を継いだ者

とうとう瀬名と信康が逝ってしまいました。このドラマの設定ですと、ある意味自業自得ということもできますが、ドラマの主要メンバーの退場は寂しいものがあります。

信康の残虐なエピソード

私個人としては松平信康は好きな人物で、もっと長生きしてほしかったと思っています。このドラマも信康をもうちょっと格好良く演出してほしいと常々思っていました。ドラマ上、精神を病んで救いを求める信康を描くことが必要だったようで仕方ありませんが残念です。

信康には残虐なエピソードがありますが、私は信憑性に欠けると考えています。

その理由は、歴史的に粛正された人物には残虐なエピソードがついてしまうパターンがあるからです。武田信虎しかり豊臣秀次しかりです。粛正した側がその正当性を主張するためのもののような気がします。

信康冤罪の状況証拠

信康の冤罪の状況証拠は信康の死後の扱いです。

信康は小松原長安院に葬られましたが、その翌年、父の家康が長安院に位牌堂を建立し、さらにその翌年に再訪した家康は、清水の湧き出るのを見て清瀧寺と改めさせました。

家康には信康の粛正について後悔している雰囲気が漂っているんですよね。

後の関ヶ原合戦当日、家康は「さてさて歳老いて骨の折るる事かな。倅が居たらば、これ程にはあるまじ」と愚痴をこぼし、それを聞いた家臣が遅刻している秀忠の事だと思い「もうすぐ着かれるでしょう」と言うと、家康は「あやつではないわ」と吐き捨て、20年も前に死んだ信康を偲んだとか。

このように家康の言動から信康が武田と内通して粛正されたというのは冤罪だったのではないかと思えてなりません。

そして状況証拠の二つ目は、信康と徳姫の子孫です。まさに華麗なる一族と呼ぶに相応しい。信康と徳姫の遺児である二人の姫は家康と信長の血をひいているわけで、徳川宗家としても一目置く存在だったと思います。

信康が徳川を裏切ったなら、その子孫たちはこれ程優遇されなかったのではないでしょうか。

登久姫

長女の登久姫の血をひく家系には、

現在の天皇家
豊前小倉藩(小笠原家)
三河吉田藩(小笠原家)
豊後高田藩(松平家)
阿波徳島藩(蜂須賀家)
肥後熊本藩(細川家)
があります。

熊姫

次女の熊姫は本多忠勝の息子の本多忠政に嫁ぎます。その長男の本多忠刻(ただとき)は家康の孫(秀忠の長女)の千姫を後に妻に迎えています。この2人の間に生まれた勝姫(かつひめ)の子孫は、なんと徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜にたどりつくんですよね。

夢を継ぐ者

私は以前の記事で武家による覇道は徳川慶喜が終わらせたと書きましたが、慶喜は家康と瀬名、そして、信長の子孫なんですね。

このドラマ「どうする家康」のテーマは、家康の成長を通して、覇道から王道へ、言い換えると、武力による政治から徳による政治の実現なのですが、それを実現したのが慶喜だったというのが何とも不思議でなりません。

慶喜は水戸徳川家の出身ですが、水戸徳川家は御三家の中でも最も家格が低く徳川将軍家から遠いとされてきた家柄なんですね。

その慶喜が徳川宗家の養子になり将軍職を受け継ぎ大政を奉還したわけです。覇道を極めようとした信長、覇道を完遂した家康、その途中で夢破れた家康の嫡男の信康、彼らの子孫が慶喜だったというところに歴史の重みと趣きを感じてしまいます。

このドラマでの瀬名と信康の「はるかに遠い夢」は彼らの「はるかに遠い子孫」の慶喜によって叶えられるのですね。

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