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~ゴールドプラザ鑑定士が勝手に判断!大河ドラマにしてほしい日本のすげぇ偉人Top3~

この設定で、これからどうする家康?

天文18年(1549)11月9日は松平竹千代(家康)が信長の兄・信広との人質交換で一時的に岡崎へ帰った日。元々は今川氏の駿府へ送られるはずが味方の裏切りで織田氏の人質に。今川義元の家臣・太原雪斎が安祥城を攻め信広を生け捕りにして交換が実現した。竹千代は駿府へ送られ10年を過ごす。

家康ラップ③ ~今川家で学問す~

太原雪斎さんは 竹千代こと家康公の養育係を自ら志願したんじゃないだろうか? 今川義元公の養育係もなされていたわけだから 当然それぞれの違いも分かる 果たして自分の意志を託すのは? と言ったような感じで・・・ どうだろう?

天文17年(1548)3月19日は太原雪斎率いる今川軍が織田信秀を第二次小豆坂合戦で破った日。この勢いで翌年織田方の安祥城を攻略し織田信広と人質交換で竹千代(家康)を取り戻し西三河の掌握から尾張侵攻へ繋がっていく。後になってわかるものでしょうが転換点となる勝負だったのでしょうね。

臨済寺(静岡県静岡市清水区) 『どうする家康』に出なかった史跡④

天文18年(1549)11月23日は太原雪斎が三河・上野城を攻略した日。この月、安祥城攻略し信長の兄・信広を捕らえ人質交換で松平竹千代(家康)を取り戻した。雪斎により次々と西三河の織田方勢力が今川氏へ下った。内政、外交、軍事に頼りになるNo.2の存在が大きすぎるのも後が怖いもの

ゆかりの地から連想した優秀すぎるNo.2がいなくなった影響。太原雪斎

徳川家康さま☘️をたどる#6☘️松平広忠さま2回目の身内との敵対

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罰当たり偉人伝

徳川家康さま☘️をたどる#4☘️大原雪斎さんと竹千代君

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日本史が好きです

大衆の欲望に敏感になる事で大勢を把握し機先を制する事ができる

天文18年(1549)11月23日は今川義元の家臣・太原雪斎が三河・上野城を攻略した日。上野城の酒井忠尚は今川氏傘下の松平氏から織田氏に乗り換えていた。この月、雪斎が安祥城攻略し信長の兄・信広を捕らえ人質交換で松平竹千代(家康)を取り戻すなど西三河での今川氏勢力が強まっていった。

天文5年(1536)6月10日は今川義元が玄広恵探との家督争いである花倉の乱を制した日。当主の氏輝と弟の彦五郎が同日急死する異様な事態により二人の弟である栴岳承芳(義元)派と玄広恵探派に分かれて争った。母寿桂尼と教育係で俗に軍師といわれる太原雪斎の補佐により義元が当主の座に就く。

小和田哲男先生:真実の徳川家康とは?その凄さに迫る