天正3年(1575)4月5日は家康が武田勝頼に内通した大岡(大賀)弥四郎を処刑した日。岡崎で家康の嫡男・信康に仕えていたが武田軍を引き入れる計画が露見し鋸挽きの刑に処された。翌月起きるのが長篠設楽原合戦と考える家康が信玄に続き勝頼からも相当な圧力を受けていたことが想像できますね。