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大河ドラマ「どうする家康」第20回雑感 ~寝返りとは自分をいかに高く売るか?ということ~

元亀以来の武田の遠江三河侵攻により、徳川は領国の三分の一以上を失ったという。

徳川にとっては非常に危機的な状況であり、こうなるとお決まりの内部分裂の動きが出てくる。

こんな危機的状況であっても、前回ストーリー同様、「どうする家康」と言いながら、松本家康は全く何もしないという、家康の活躍を期待する人にとっては安定のクソつまらないストーリーであった。


まあ、ドラマへの文句はさておき、信玄死後も戦いで勢いに乗る武田は、動揺する徳川家中、配下国衆、家臣に調略をかける。

武田に着くか?徳川に着くか?
この判断はあくまでも、自家存続のための利害関係による。
忠義や忠誠などの概念は、朱子学が浸透する江戸時代以降の話であり、この時の主従関係は比較的ドライな関係である。

徳川家臣にとって、徳川が滅び自分に危機が及べば元も子もない話。
大岡弥四郎のように徳川の泥舟から抜け出すという考えは、ごくごく普通であろう。

大岡曰く「先の見えない戦いに疲れた。どうせなら早く終わらせてくれそうな武田につこうぜ」「恩義や忠義というのは我らを死に向かわせるまやかしの言葉だ」

大岡は、裏切りの理由をあれこれ声高に訴えていたが、結局のところは、徳川は必ず負ける、武田が必ず勝つ、だから勝ち馬に乗りたいということが裏切りの根本だろう。

ただ泥舟の徳川を裏切り、武田という勝ち馬に乗るだけでは、武田からは高く評価されない。
足元を見られるだけである。
それでは、それこそ武田に一生こき使われた無間地獄になる。

いかに自分を高く売ることができるか?

そこで、大岡は自分自身を高く売るため、徳川から裏切るタイミング、事後の条件などを考えていたのだろうと思う。

武田勝頼の三河侵攻に連動した、信康、築山殿の暗殺と岡崎の乗っ取り、そして勝頼を三河に手引きするというがその答えであったのである。

結局、大岡の企みは失敗したが、もし成功していたなら、この裏切りのタイミングなら勝頼は大いに評価し、事後然るべき処遇を約束しただろう。

後に武田滅亡の際の木曽、穴山と小山田の裏切りを見て解るように、裏切りはタイミングが重要であると感じた回であった。

それにしても、「どうする」という重要局面での家康の存在感の薄さが最近際立つ。
いっそのこと「どうする家康」というタイトルから「家康」をはずしたらと思う次第である。

単に裏切るだけでは不十分、いかに自分を高く売るか?

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