古川ブログ

マイクロソフトの採用面接、古川ブログ再投稿_002

マイクロソフトの採用試験は現在電子化されて広く応募要項はインターネットで 公開されており、20数人の新入社員合格者に対して応募倍率は2千数百分の1だ と聞いたことがあります。 いつも社内で話をしているのは、最終学歴が高卒の 私(Sam)ではきっと一次試験で落ちてしまって、今のマイクロソフトには採用して貰え ないだろうな、と思う私なのですが...過去、マイクロソフトの社員の採用にあた り、私自身で2

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Samの英語、古川ブログ再投稿_001

2005年10月

告白すれば、私は英語がヘタです。それは、私の英語を耳にしたり、私の書いた 英語のメールを見たりした人には、全てバレバレのことで「おサルの尻は赤い」 というくらい自明の理なのです。
前にも書いたことがあるけれど、中学以来の英語の成績はいつもクラスでビリか ら1位か2位を争う状態でした。大学入試の時、英語の偏差値が45とかで、とに かく英語の成績が悪くてどの大学も受験に失敗した経験

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私の知っているビルゲイツ、その18

1986年5月1日、いまから34年前のこと、マイクロソフトは8年間に及ぶ㈱アスキーとの代理店契約を解消して、日本法人マイクロソフト株式会社を設立しました。会社登記は、1986年の2月26日なのだけれど、実際のオフィス開設、会社としてのオペレーションを開始したのは5月1日で、私が初代の代表取締役社長に就任しました。(カルトQ的には、2月26日から4月31日までは、シアトル本社に勤務するロナルド(Ro

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私の知っているビルゲイツ、その17

飛び跳ねるって変なこと?

スヌーピーの世界をご存知の方なら、スヌーピーやそこに登場するキャラクターたちがジャンプしている姿をよくご存知のことと思います。横方向に走り抜ける時に、ジャンプやスキップをする姿以外に、何かとても嬉しいことがあるとその場で飛び上がって喜びを表現する姿..(時には、今日の晩御飯はラザニアだバンザイって飛び上がっているのだけど)こんな表現をすることは3歳の子供ならともかく、そ

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私の知っているビルゲイツ、その15

会社の金、個人の金…そのケジメについて...

マイクロソフトに入社した当時から会社のDNAとして感じていたことは、会社として個人として無駄な時間やお金は一切使わない、そしてそのルール適用に当たっては会社の職位や本社・子会社に関係無く、全てに対して厳しく管理徹底されていました。飛行機のフライトは米国では全員エコノミークラスで役職が付けば自動的にファーストクラスなんてルールはマイクロソフトにはありま

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テクノロ爺のネタバラし!

マイクロソフトに勤めていた頃、一流企業の役員さんに面談の機会を頂きたいとアプローチをした時の秘伝を伝授いたしましょう。

4月の第4水曜日(今年は4/22)は、昔は「秘書の日」現在はAdministrative Professionals Day と呼ばれています。ボスが自分を日頃から支えてくれてありがとうとアシスタントに花やケーキを送ったり、時にはディナーに誘ったりという日なのですが..., 日

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私の知っているビルゲイツ、その14

ビルゲイツは人と話をするのがとても好きです。そのスタイルもビルゲイツが一方的に喋るようなスタイルではなく、相手の話を引き出し自分の意見を述べ、一緒に考え相手が見つけた解に何か自分が協力できることはないかと提案するそんなスタイルで誰とでも会話をします。
マイクロソフトの日本法人ができた1986年から数年の間は年間に2回から3回ほどビルゲイツは日本を訪問していました。パソコンを生産されている企業訪問や

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私の知っているビルゲイツ、その13

マイクロソフト株式会社の社長を引き受けたのは1986年5月のこと、7月の誕生日前だったので当時の私は31歳、もちろん髪の毛は真っ黒でありました。社長の仕事として1年に一度とても厳しい立場に立たされるのが年度予算会議の席でありました。予算会議の中では1年間の事業報告と市場の動向、製品計画、マーケティング・プラン、売上・利益予測、採用計画、などなどあらゆる分野の資料を準備し事業計画をビルゲイツ、スティ

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私の知っているビルゲイツ、その12

ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ

1970年代の後半から1980年代の初頭においては、㈱アスキーがマイクロソフトの代理店として活動していた時代がありました。その頃は西和彦さんが次々と日本の会社へのアプローチを実現し、多くの日本人プログラマが日本だけではなく、アメリカに長期滞在して日本向けのBASIC言語その他の移植作業をしていました。1982年前後はIBMPCの出荷に併

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40年前に書いた、私のビジョン・ステートメント

コンビュータが超大型と超小型の二極分化をとげ,マイクロコンピュータはパーソナルコンピュータあるいは機器組み込み型といった形で加速度的な進展を見せた.
量産技術・システム技術と共に低廉化が進み産業形態,社会生活にまで少なからぬ影響を与えている.



マイクロコンピュータ開発当初は,コンピュー夕メーカー内部からも鼻つまみ者扱いされたと聞く.当然な帰結として大型機の集中化とは対照 的な実用化推進が成さ

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