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私の知っているビルゲイツ、その5

ビルゲイツがWindowsをやるぞ、と決心したその日、その瞬間に私はその場に居合わせたのでした。

それは、1983年5月16日のこと、目の前がディズニーランドというロスアンジェルスのアナハイムで、NCC(National Computer Conference)という展示会が開催されました。 その当時は、WCCF、Comdex、NCCがコンピュータの展示会として実績があり、マイクロソフトも初めてコンシューマ向けアプリケーションを提供して「マイクロソフト・マウス」「マルチプラン」そして「マルチツール・ワード」を主たる製品としてNCC83の展示に望みました。 コンピュータ業界のアプリ提供者としては新参者のマイクロソフトは展示会場の建物内にブースを構えることができず、急遽しつらえられた巨大な白いテント内にブースを構え後にブース内の気温が上がり、消防署の指示により展示を中断するという事態になりました。 マイクロソフトは、緑色のマウスをPCに繋ぐということはしても、テキストベースのワードやマルチプランでは、カーソル・セル移動やコマンドキー選択の代わりにマウスを使うというレベルのサポートがようやく実現できていた時期のことです。

会場の中を私は歩き回って月刊誌アスキーに掲載するネタを拾い、写真などを撮っていました。 その中で見つけたVisi Corp社のVisiONを見て、「ぐげっ、大変な統合ソフトがで出た、これは統合ソフトとしてだけではなく次世代の統合環境として一大変革をもたらすに違いない」と震えがきました。 会場に居たビルゲイツの袖を引っ張り、「ビル大変なモノが発表された、すぐに見に行こう」と声をかけて、一般公開前のブースでデモのリハーサルをビル君と一緒に見ていました。 私はデモ内容を一度見ているので、ビルゲイツの顔を見ていると確かに渋い顔をしています。 そこで、ナレーションの練習をしていたお嬢さんは、「ここにマイクロソフトのビルゲイツさんもいらしてますが、自分たちにはとても実現できないテクノロジーだと青い顔されてまーす」なんて話振りで大きな声で煽ってしまったのです。 その瞬間、ビルゲイツの顔は、恐ろしい形相に変貌し、「サム、ウチもやるぞ窓、窓だよ!!!」という話になりました。

その半年後に、試作版として将来のWindows環境として提言されたのが1983年末のComdexで展示され、ニューヨークで発表されたWinodwsの原型である「Interface Manager」なのです。 そこら辺りの話は、VisiONの歴史が記述されたページ(http://toastytech.com/guis/vision.html)に逸話として出ています。 そちらでは、1982年のComdexでビルゲイツが見たということになっているのだけど、それは1983年5月16日NCC83が事実!!! だって私はその瞬間に居合わせたのだもの。 

重要なポイントは、スティーブ・ジョブスさんは再三再四「WindowsはMacのマネっこだしぃ」と言うのだけど、Macが出荷されたのは1984年だという事実。 

1983年の後半においては、Macデビューのためにマイクロソフトのソフトウェアを開発するということはスタートしていたのかもしれません。

もちろんLisaは1983年1月に出荷していましたし、窓を活かした統合ソフトがロータスやいくつかの会社から出ていたり、XEROXからStarシステムも提供されたりしていました。 そのような状況の中でだれもが統合ソフト、統合環境として
GUI:グラフィカル・ユーザー・インターフェイスを意識していたのです。

1983年の11月10日にニューヨークのプラザホテルでWindwosの開発表明(関連記事)と1984年に出荷するとのアナウンスがありました。 結局、マイクロソフトが最初のWindwos1.0(日本では、1.21)を出荷するのは1985年のことですが、ビルゲイツが窓をやるぞ!! と意志を固めた日、それは1983年5月16日のことです。

では、ふるかわでした

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