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私の知っているビルゲイツ、その9

ビルゲイツの記憶力

ビルゲイツは彼が小学校に通う11歳で聖書のマタイ伝福音書「山上の垂訓」を暗誦して、先生からご褒美にスペースニードル(シアトルにあるタワー展望台)の回転レストランで、先生にお食事をご馳走になったそうです。 

私自身も彼の記憶力に度肝を抜いたことが何度かあります。2007年の6月に私の卒業式(退職記念のパーティ)を主催してくれたときのこと、オープニング・スピーチの前に控え室で10分ほど事前の打ち合わせをしておりました。

ビルゲイツ:「今日は、どんな方をお招きしているのかな?」

古川:「NECの渡辺和也さんでしょ...」

ビルゲイツ:「おう、Ted Watanabeさんね、PC-8001の話を最初にするためにアルバカーキの時代に訪問してくれたね、その当時はPC-8001の開発コードネームはPSXだったよね、それから誰が来てるの?」 …ビル君、当時日本から訪問さらたお客さんには、みなアメリカ流のニックネームを付けて呼んでいました。 当時のニックネームと苗字、製品のコードネームを今でも全部記憶してるの..です。

古川:「当時のPC-8001電子デバイス・グループからは後藤さん、土岐さん、かな? もちろん、PC-98の第二OAグループからは高山さん、戸坂さん、田岸さん、富田さん、皆さんいらしてるよ!」

ビルゲイツ:「それは凄いメンバーが皆さん参加されたね?」

古川:「それから、ロジック・システムズの..石田さん」

ビルゲイツ:「おう、カオル・イシダか、懐かしいなぁ。金丸さんは?
ソードの方はどうだ?」

古川:「椎名さんはいらしているかな、ちょっとわからないけれど」

ビルゲイツ:「アルバカーキに来てもらったのは、SATOさんだったな? そうそう、MSKKにソードからきたRyoji Watanabeは今何してるの? そうだ松下通信工業のJack Miyazakiは?」

古川:「Ryojiさんは,埼玉で仕事しているって聞いたけれど、そういえばYahoo BB Japanの社長も元ソードだよ」

ビルゲイツ:「Micro Software Associatesの社長だった、岡田さんと、もう一人名前が思い出せない」

古川:「それは、SAKAIさんでしょ?」

ビルゲイツ:「そうだ、SAKAIさんだ」

彼の口からは人の名前だけではなく当時の製品名、PC-8001や8801だけではなく、PC-6001の話や、Hitachi BASIC Master、BABCOM80、PC-100、if800、RICOM3000、MyBrain800、iBEXなんて話がドンドン飛び出してきます。

もうほとんど、カルトQの質問大会が始ってしまうのですが、どちらがどれだけ細かいことを記憶しているかというクイズを私と始めると、まぁムキになることなること、自分の方が記憶力が良いというところを見せつけて、「どうだい」という顔に浸っている、お子ちゃまなんだから大変です。 そこで、チェックメイト!!

ビルゲイツ:「エーアイ・エレクトロニクスはどうした」

古川:「それは、アイ電子のことだよね?でもウチとは契約してたっけ?」

そこでビルゲイツは勝ち誇ったように「もちろん、1977年に8ビットのFORTRANを契約しているさ」

パソコン黎明期の歴史、それも日本の会社名として「アイ電子」の名前まで覚えているアメリカ人は、ビルゲイツ君貴方だけでしょう!!! そのアイ電子さん現在は、パソコン関連だけではなく、こんな製品も https://www.ai-elec.co.jp 手がけておられるようですね!

企業の名前、CPUの名前、プログラミングの内容(ビルゲイツは自分が開発に関わったプロジェクトのソースコードにどのようなラベルを付けたか今でも覚えているぐらいですが)、その時に付き合った人々の名前、どの会議でどのような議論を交わしたか、を全て覚えています。 きっと10年後に前回アップした大居君に再び会うことがあれば、「やぁ大居君、その後UI(画面の操作方法)はどんな設計で完成したんだい?」と以前の質問の続きを始めるのでしょうね..

では、ふるかわでした


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