Samの英語、古川ブログ再投稿_001

2005年10月

告白すれば、私は英語がヘタです。それは、私の英語を耳にしたり、私の書いた 英語のメールを見たりした人には、全てバレバレのことで「おサルの尻は赤い」 というくらい自明の理なのです。
前にも書いたことがあるけれど、中学以来の英語の成績はいつもクラスでビリか ら1位か2位を争う状態でした。大学入試の時、英語の偏差値が45とかで、とに かく英語の成績が悪くてどの大学も受験に失敗した経験の持ち主であります。中学高校の同窓でも、口の悪い連中は同学年に古川という苗字を持った者が二人い たために、ニックネームとして私のことを「バカ古」つまり馬鹿な方の古川と呼 んでいるものも居ました。まぁ、学年300人のうち90人が東大へ、120人以上 が早稲田と慶應にという学校ですから、お互いの人格を認め合う心の広さはあっ ても成績の悪い人間には「バカ古」と呼ぶくらいの辛辣さは持ち合わせているのがいかにも麻布流かな、とも思いますが..
そんなに英語の成績が悪かった私が何故、外資系の企業に勤めビルゲイツのみな らず米国本社のMBAでの敏腕マネージャーたちと渡りあえたのか、という背景 と秘技を今日は伝授しようと思います。
その1.英語を使えるってことにほのかな、憧れを持っていたこと。
母方の祖父は1900年生まれの根っからの仕事人でした。戦後に思うところがあ って、数人の社員で商社を経営し 90歳を越えるまで現役で働いていました。 仕事の内容は国連、ユニセフなどへの国家支援をお金で送るのではなく、物の調 達、輸出許可証の申請、シッピングなどを全て行う商社機能なのです。巨大な商 社は彼の地にダムを建設する、石油コンビナートを作る、港を整備する、トラク タや船、自動車を輸出するという総合的な力を発揮していますが、祖父の会社は 最初から最後まで社員は三人、浜松町の木造建てのパン屋の2階にギシギシいう 階段を上がったところでテレックス一台に電動タイプライタが 1台、手動のタイ プライタが2台で全てのビジネスをやっていたのです。 当然担当する地域は取 り扱う商品の内容は大きな商社と違うので、ネパールに向けてスーパーカブ(昔 からお蕎麦屋さんや商店で使っていた 50ccバイク)を一台一台木箱に梱包し て、一台あたり10種類を超える輸出許可証(チベット、その他は共産圏ですか ら)を申請するために、大蔵省、外務省、通産省に歩いて出向き書類を整備して いたのです。 その輸出にかかる手間は50ccのバイクを1台輸出するのも、大き なトラクタや船を輸出するのも手間は全く同じであろうと思うのですが、祖父は

「ワシのところから送るモノを待っていてくれる人が各国に沢山いるのでのぅ」 と言いながら朝8時から夜9時まで(たいてい夕方4時から7時ごろまでは、毎日 碁を打ちにでかけてしまうのですが)90歳を過ぎるまでそのような仕事ぶりで した。
その祖父は1年に1度、当時は1ドル=360円の固定相場制、海外には外貨の持ち 出しが500ドルまでしか許されていない、という時代に羽田から飛行機に乗って 国連のあるニューヨークとユニセフや他の機関のあったスイスへ渡航していたの でした。私が小学校の頃から祖父の出国する日と帰国する日は親戚中の一同が羽 田に集結して身内で壮行会と帰国のお祝いをしたものです。その時集まる孫たち はいつも5人くらいいたと思うのですが、祖父が帰国して通関を出たロビーでス ーツケースをみんなで開けて、見たこともない種類のチョコレートやパーカーの ボールペン、異国の匂いがするオモチャをキャーキャー言いながら山分けしたも のです。
祖父のオフィスは遊びに行くと、いつもタイプライタを叩くパタパタっという音 がしていました。祖父は官僚でも、国連職員でもなかったのですが、外交官特権 のパスポートを持っていて帰国の時も通関でフリーパスの状態で颯爽と税関から 出てくる姿(なおかつ、いつもハンフリーボガードみたいな帽子を被っていたの で)、かっこいいなぁ、いつかはあんな風になりたいな、といつも憧れていまし た。 もう既に長文になってしまって、いつも論旨を追いかけるのが大変でしょ うが、その1.の結論に近づきますと...英語に対する興味は英語という学問や成 績ではなく、「かっこよい」自分もタイプライタが叩けるようになりたい、英語で仕事をしてみたいという興味のみしかありませんでした。その結果、英語の成績は最悪、ところが中一の時に買ってもらったオリベッティのタイプライター (レッテラ・ブラックとか赤いものと同じメカを使った普及品、形は事務機)を 練習して英語の授業に全く関係無い、英語の歌詞ばかりタイプの練習をしていま した。私の母も大正15年生まれですが、横浜で育ち戦前には近くに住む外人家庭でケーキの焼き方を英語で教わっていたなんて背景があるものですから、タイ ピングのスピードは毎分 30ワード以上の実力の持ち主であったので、まぁ自分 もそのようなスキルにチャレンジしていた、というわけなのです。
そして、 20歳前後には最新の音楽情報に触れたくていつも聴いていたラジオ がFEN(いわゆる米軍の極東放送)でした、そのせいで英語を聴き取るスピード とキーボードを叩くスピードだけは誰にも負けない、というスキルを身につけまし た。 いわゆるブラインドタッチはできるものの、どの指をどのキーに使うから いう作法はデタラメです。日本の教育はその手の作法にこだわってばかりです が、あのビルゲイツですら今でもキーボードの入力は両手の人差し指のみ、親指 はスペースキーを押すだけ ...でも入力はメチャクチャに早いですけれど..
その2.英語を単語や文法を習うという学問として捉えたことが一度も無い、私 なのです。それよりも中身(コンテキスト)の方が大事なんだと割り切ってしま うこと。
私にとって英語とは2つの目的を実現するための道具にしか過ぎず、英語そのもののスキルアップに精進するなんて気が最初から無かったという点でしょうか? その2つとは、コンピュータに関する情報と趣味の鉄道関連の情報を収集すると いう目的でありました。ですから、その2つを満たすために必要な言語がイタリ ア語やフランス語であったなら、やはり文法はメチャクチャでも何とか人とコミ ュニケーションできるレベルの英語以外の言語を身につける努力をしていただろう、と思います。

フランスやイタリアで修行をしてきた日本人のシェフたちときっと 思いは同じで、現地に行ってみて「何だ、日本で習ったフレーズや文法なんて誰 もこの時代に使っていないじゃないか」ということに気付くのです。私は、大 学2年の在学中(とは言っても、毎日秋葉原通いでほとんど休学状態ではあった のですが)一念発起してロスアンジェルへ渡航するも大学に編入するために事前 にTOEFLの試験を受けるということすらせずに、とにかくアメリカへそして現地 のESL(English as Second Language)のコースを2期受けて8ヶ月滞在したの ですが、そこで開眼してしまったのでありました。最初の米国の地を踏んだとき には、入国審査官に伝えようと記憶してきた「滞在期間は何ヶ月で、住む場所 は、通う学校のI-20は」とか準備していた言葉は、審査官が日本語で「かんこー ですか?」と聞かれた瞬間に何の言葉も発することができないという状態になっ て凍り付いてしまったのでした。通い始めてクラスの先生に「サム」(そうその 時に、教師のアイリーンが SUSUMUはアメリカ人に発音できないから、Samで良いのじゃないと名付けてくれたのだけど) 「貴方は20歳を越えているのだか ら、いまからLとRの発音やTHの発音を習得しようとしても無理、諦めなさい!!」 私はえっ、それってどういうことと眼を白黒させていたのだけど、「チャンとし た発音や正しい文法で喋ろうとすると、日本人はだんだん声が小さくなるの、だ から貴方は自分の喋ったことが相手に伝わらなかったら声を大きくするのよ」と いうとても本質を突いたテクニックを教えてもらいました。
たとえば、相手からYesかNoの返答を期待した質問ではなく、自分で論旨を組み 立て説明しなければならない質問を日本人が受けると黙りこんでしまうか、「え ーとっ」と言って相手を怪訝な顔にさせてしまいます。その当時の先生は「 How do you think ? 」と聞かれたら「Umh, How DO I think?」と言って、「どう思う の?」「そうね、僕ならどう思うかって言うとねぇ」というリズムで自分のコー トに打ち込まれたボールは一定のリズムで必ず打ち返すという感覚を身につけま した。
多くのアメリカ人は自分の発音が悪くて相手が聞き取れなくても、「ごめんもう一度 聞かせてよ」と言ってきますが ..ビルゲイツ君はとてもセッカチなので、自分の 喋ったことを2度同じことを繰り返し喋ることも嫌いますし、他のアメリカ人で は聞き取れないような私のメチャクチャな発音でも文法の過ちも関係無しに技術 のディープな話が沸騰することが何度もありました。それは、 FENの放送やロス アンジェルスの短い滞在で単語の数や文法よりも、コミュニケーションを成立さ せる時のリズムの大事さを学んだことが役立っています。正しい英語を喋ること より喋っている内容(コンテキスト)の興味を持つ相手であれば自分の意思が伝 わっていくのだという経験を詰むことができたそんな経験が、こんなに英語のヘ タな私でも何とかやっていけるという自信に繋がってきたのです。
もう10年ほど前に、マイクロソフト米国の本社でビルゲイツを含むアメリカ人 30人くらいと日本人が10人ほどでトコトン突き詰めた技術会議をしていたとき のことでした。白熱した議論は最後に私とビルゲイツ君の応酬となり、会議に参 加していた全員が観客としてビルゲイツ君と私のドッグファイトを見守っていま す。あまりにも激しい議論に皆が呆然として、議論の焦点を見失って単に聞いて いるだけの人間もいるように感じた瞬間に耳に飛び込んできた外野席の囁きは 「おい、ビルって日本語できたんだっけ?」、あまりにも早口でまくしたててい る私の会話は英語ではなく日本語に違いない、ビルはサムの喋っている日本語が理解できるのだろうと勘違いをしていたというお話なのだけど...重要なポイント は正しい英語を身につけるより、何を伝えたいのかというコンテキストが無い人 は、原稿を読むことしか出来ないんじゃないのかな?
でも、最近入社してくる若い子の英語スキルは素晴らしいレベルで惚れ惚れする と同時にオジサンはコンプレックス感じてしまいそうで、引退してから英語の参 考書とか買って改めて単語や文法のお勉強など、チョットしているんだけどね。
では、ふるかわでした

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古川 享こと俗称「サム」は、アスキーに8年、Microsoftに20年、慶應義塾大学大学院に14年間勤めて、2020/3で定年を迎える65歳。残り35年は、「明るい大人の悪巧み団」の結成を考えています!

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コメント (1)
えええ〜!?古川さん英語ペラペラじゃないですかっ!ヘタじゃないですよ!
あんなに喋れるの羨ましいです!
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