「友達」っていう言葉が、いつからか、お互いを殺して縛りつける呪いみたいに思えていた。今この瞬間が楽しければ、その関係性を何と呼ぶかはどうでもいい。先の約束も、自分の未来さえ分からないからなくていい。ただ来年は「おめでとう」言えたらいいなって、カレンダーに誕生日を登録しておいた✍️
今…友達がいない理由がわかったの それは私から友達を欲しいと思い行動することがなかっの 今更気づくなんて おぉ… 過去に友達だと思った人は隣の席の子 向こうから話しかけてくれる子 私をグループの一員に入れたい子 今の友達は近所の子 職場の人とは仲良いが友達ではない
私が人と関わりたい理由は「感謝されたい」が大きい。あとは、趣味が合う人なら話していて楽しいとかつらいことを忘れられるから。 ただ、でも趣味について遠慮なく話せる人は珍しい。だから前者が主になるけど、その目的を果たすためには自虐や頑張りすぎを伴う。 結果、人と関わるのがつらくなる。
小5の頃、ヤンチャな友達に唆されて、ピンポンダッシュして遊んでた。悪い事と判りつつそのスリルを楽んでいた。 今の私のコミュニケーションはピンポンダッシュに少し似てる。自分から話しかけておいて、反応が返ってくる前に逃げ出す。意味不明な行動を説明するとしたら…結果を知るのが怖いから。
友達募集している人の大多数が「話相手になってくれる人」を求める人たちで、"自分の話を聞いてほしい願望"を持っている。愚痴をこぼして慰め合いたい気持ちはわかる。 でも、好きなこと楽しいことに目を向けて「楽しいね」って笑い合う"嘘のない時間"を共にする方が、寂しい心を癒せる気がする。
友達ができなくて悩む人がいる。 私も前までは友達が多い人が羨ましかったり、友達が多くなくて不安になったりした。 でも、今は上辺だけの関係より、本当に大事な人やまた会いたい人、話すと楽しい人が数人いる方が無駄に悩まないし、深い関係性が構築されることを学んでいる。