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汝自身を知れ以外に求めるものは無いのだが...

すべては自分 だとしても "自分"に向き合い続けることによってしか "自分"は超えられない

5か月前

考え方の大事。。

わたしが人間であり、個我であるのは、他の個我の苦しみを理解するためであり、私が理性的な意識であるのは、それぞれ別の個我の苦しみの中に、苦しみの共通の原因たる迷いを見て、自分と他の人々のうちにあるその原因を根絶することができるためにほかならない。 トルストイ『人生論』第三十五章

トルストイ『人生論』、読んでいます。3(終)

トルストイ『人生論』、読んでいます。2

トルストイ『人生論』、読んでいます。1

理性とは、人間の動物的個我が幸福のために従わねばならぬ法則である。愛とは、人間の唯一の理性的な活動である。動物的個我は幸福にひかれる。そこで理性が個人的な幸福の欺瞞性を人間に教えて、ひとつの道を残しておいてくれるのだ。この道での活動が愛である。 トルストイ『人生論』第二十二章

滅ぶべきもの、たえまなく滅びつつあるものを使い惜しんではいけない、いずれ滅びるもの、滅ぶべきもの、すなわち、われわれの動物的個我を否定することによってはじめて、われわれは、滅びることのない、又滅びるはずのない真の生命を手に入れられるということである。 トルストイ『人生論』第十六章

こうした選り好みのあらわれのはげしさは、動物的個我のエネルギーを示しているだけである。ある人々を他よりも好む情熱のはげしさは、誤って愛とよばれてはいるが、そんなものは、真の愛をその上につぎ木して実を結ばせることのできる、野生の若木でしかない。 トルストイ『人生論』第二十三章

他の人々の幸福のために個我を否定して生きるならば、そういう人はこの地上の、この生活の中で、すでに世界に対する新しい関係に踏み込んでいるのであり、その関係にとって死は存在しないし、その関係の確立こそがあらゆる人々にとって、その生命の仕事なのである。 トルストイ『人生論』第三十一章

動植物や物質の存在を支配する法則の研究は、人間の生命の法則を解明するのに有益であるばかりか、必要ですらあるが、ただしそれは、その研究が人間の認識の主要な対象である、理性の法則の解明を目的としている場合に限るのである。 トルストイ『人生論』第十一章

人に理性的な意識が与えられているのは、その理性的な意識の啓示してくれる幸福の中に生命をおくためにである。その幸福の中に生命をおいた者は、生命を持つ。ところが、そこに生命をおかず、動物的個我の幸福のうちに生命をおく者は……生命を失うのである。 トルストイ『人生論』第十七章

個我を否定するのではなく、個我の幸福を否定して、個我を生命と認めるのをやめること――これこそ、統一に立ち戻るために、そしてまた、それへの志向が生命となっている幸福を、手に入るものとするために、人間がやりとげねばならぬことなのだ。 トルストイ『人生論』第二十一章

真の愛は常にその根底に個我の否定と、そこから生ずるあらゆる人に対する好意を有しているものだ。この全般的な好意の上にのみ、……真の愛が育ちうるのである。……こういう愛だけが、生命に真の幸福をもたらし、動物的意識と理性的意志との外見上の矛盾を解決する。 トルストイ『人生論』第二十四章

個人的な幸福がこれほどはっきり粉砕されてしまった以上、個人的な生存をつづけてゆくことは不可能であり、その人間の内部には動物的なものと理性的な意識との新しい関係が確立しはじめる。その人間は真の人間的な生命に向かって誕生しはじめるのである。 トルストイ『人生論』第九章

人間にとって個我とは、生存の一段階でしかなく、個我の幸福と合致しない生命の真の幸福はそこから開けるのである。人間にとって個我の意識とは生命ではなく、そこから生命が始まる境界線であり、その生命とは……幸福をますます大きく達成してゆくことにあるのだ。 トルストイ『人生論』第十五章

人が自分の生命とよんでいるもの、すなわち誕生以来の生存は、決してその人の生命ではなかったのだ。生まれて以来現在の瞬間までずっと生き続けてきたという観念は、意識の欺瞞であり、……理性的な意識がめざめる際に過去の生命についての観念が作りあげられたのである。 トルストイ『人生論』第七章

人間の真の生命、すなわち、人が他のあらゆる生命についての概念を作りあげるもととなる生命は、理性の法則におのれの個我を従わせることによって得られる、幸福への志向にほかならない。……人間の真の生命は時間と空間にかかわりなく流れているのである。 トルストイ『人生論』第十四章

人間の生命を誕生から死までの動物的生存とする誤った教えのみが、理性的な意識のあらわれに際して人々が踏み込む、あの苦しい分裂の状態をもたらすのである。この迷いにおちこんでいる人には、自分の生命が分裂してゆくように思われる。 トルストイ『人生論』第八章