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トルストイ『人生論』、読んでいます。3(終)

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。

 今回は、第二十五章から最後(補足3)までをまとめました。

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第二十五章
 愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである。人が他人に自分の時間や自分の力を捧げるだけでなく、愛する対象のために自分の肉体を酷使し、自分の生命を捧げさえする時、始めて、われわれはそれを愛と認め、そのような愛のうちにのみ幸福を、愛の報酬を見出す。

第二十六章
 生命を理解せぬ人々の活動は、その生存のあいだを通じて、自己の生存のためのたたかいや、快楽の獲得や、苦悩を逃れることや、避けがたい死を遠ざけることに向けられている。だが快楽の増大は、たたかいの緊張度と、苦悩に対する感受性とを増大させ、死を近づける。

第二十七章
 人が肉体的な死についての考えを恐れるのは、死とともに生命が終わりはせぬかと心配するからではなく、肉体的な死が、人々の持たぬ真の生命の必要性を明白に示すからである。……理性的意識の要求するのとは異なる生き方をしているのを認めるにひとしいのである。

第二十八章
 これは好きだがあれは嫌いだという、まさにそれが自我なのである。なぜ人によって好き嫌いがあるのか、しかし、まさしくそれが、各人の生命の基本をなすものであり、まさにそれが、各個人の、時間的にさまざまなあらゆる意識の状態を一つに結びつけるものにほかならない。

第二十九章
 人が真の生命を持つためには、時間と空間の中にあらわれるちっぽけな一部分ではなく、生命全体をつかむことが必要である。生命全体をつかむ者は、さらに付け加えられ、生命の一部をつかむ者は、現に持っているものまで取りあげられてしまうだろう。

第三十章 
 わが身にてらしてわかる肉体的生存の避けがたい消滅は、われわれが世界に対して現在取っている関係が恒常的なものではなく、別の関係を確立せざるを得ないことを、示してくれる。この新しい関係の確立、すなわち、生命の運動が、死の観念を消滅させてもくれるのだ。

第三十一章
 他の人々の幸福のために個我を否定して生きるならば、そういう人はこの地上の、この生活の中で、すでに世界に対する新しい関係に踏み込んでいるのであり、その関係にとって死は存在しないし、その関係の確立こそがあらゆる人々にとって、その生命の仕事なのである。

第三十二章
 人は、自分が決して生まれてきたのではなく、常に存在していたのであり、現在も未来もずっと存在しつづけるということを認識するときにはじめて、……自分の生命が……永遠の運動であることを理解するときにはじめて、人は自己の不死を信ずるようになるだろう。

第三十三章
 私の肉体的生存は、長かろうと短かろうと、私がこの人生に持ち込んだ愛の増大のうちにすぎるのであるから、私は誕生前も生きていたと疑うことなく結論できるし、……肉体的な死の以前、以後のあらゆる他の瞬間のあとも生きつづけるだろうと結論することができる。

第三十四章
 どの人の生命も半分は苦しみのうちに過ぎてゆくものであるが、その苦しみを人は耐えがたいものと認めず気にしないばかりか幸福とさえみなしている。なぜなら、それらの苦しみは迷いの結果として、また愛する人たちの苦しみを軽くする手段としてになわれるからである。

第三十五章
 わたしが人間であり、個我であるのは、他の個我の苦しみを理解するためであり、私が理性的な意識であるのは、それぞれ別の個我の苦しみの中に、苦しみの共通の原因たる迷いを見て、自分と他の人々のうちにあるその原因を根絶することができるためにほかならない。

結び・補足1
 人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。(結び)
 幸福に対する志向としての生命の定義をぬきにしては、生命を観察することはおろか、生命を見ることもできないのである。(補足1)

補足2・補足3
 生命に付随するさまざまの現象を研究しながら、生命そのものを研究していると思いこみ、その想定で生命の概念をゆがめている。(補足2)
 個人的な幸福と欺瞞的な義務とを訴えかける声よりもこの(理性の)声の方が強くひびく時がやがて来るし、すでにもう来たのである。(補足3)

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「つぶやき」は要約でもあらすじでもない「抜き書き」でしたが、このようにひとつにつなげてみることで、論旨をつかみやすくなると思いました。

 各章の中から一文を選択するときに、章によっては複数の候補を立てて迷いながら決めたこともなんどか。それもまた読書の楽しみといえるかも。

 ただ、本書『人生論』を河の流れにたとえたときに、ここに船を浮かべても、あそこに船を浮かべてもいずれいき先は同じ。そうわりきって好みと主観で選びました。トルストイからはお叱りを受けるかもしれませんが。

 本書を読んで、トルストイは、未来を信じて楽観していた節があるという印象を抱きました。あるいは、未来へ向けての希望のメッセージだったかもしれません。本書から百数十年以上たった今、現実はどうでしょうか……

 

 
 出典は、新潮文庫版『トルストイ 人生論 原卓也訳』です。最後までお読みいただきありがとうございました。


※塩川 雄也 さんの画像をお借りしました。

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