最近の記事
「神が多くのものに生まれようとウパニシャッドに記されてもプラダーナを原因だと頼れない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.18)
はじめに シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章十八節18節 願望(についての言及)があるからといって、(プラダーナに到達するという)推論に頼ることはできません。 その上、至福なるものの文脈では、「神は“たくさんにさせてください、私を生まれさせてください”と願った」(Tai. II. vi. 1)という願望がテキストの中で言及されている。それゆえ、推論によってサーンキヤ学派が空想した感覚のないプラダーナは、至福なるもの、あるいは宇宙の原因のいずれを表すものと
「ブラーフマンは真理・智慧・無限なりとヴェーダ聖典の梵書中にも記されている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.15)
はじめに今回の節で「ブラーフマナ」というヴェーダ聖典の中でシュルティ(天啓聖典)と呼ばれているもののひとつになります。サンスクリット語よりも古いヴェーダ語でおよそ紀元前900年から紀元前500年の間に成立した文書群であるとして、祭儀書や梵書とも呼ばれています。 シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章十五節15節 そして、マントラで語られるブラーフマンそのものが、ブラーフマナ(マントラを説明する部分)で宣言されている。 至福なるものは、この追加の理由から至高の自
マガジン
記事
「至福なるもの(アーナンダマヤ)とは多様性を表す意味のmayatが含まれるのでブラーフマンではないとする反論」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.13)
はじめにインド各地を旅行し、講話と他の哲学者との議論を通して自身の教えを伝達したとするシャンカラ師だと伝え聞いておりますが 『ブラフマ・スートラ』の中でよく見られるような言葉遊び、たとえば、サンスクリット語の単語を分解して、接尾語の意味がこうだからこうだとするとか文法的になんたらというのは、当時の哲学議論で中心的な話題になっていたのかも知れません。 シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章十三節13節 もし、(至福なるものは)変化(modification)を表