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インド思想で非常に大きな位置を占めるのがヴェーダンタの考え方です。 変わりゆく政治経…

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インド思想で非常に大きな位置を占めるのがヴェーダンタの考え方です。 変わりゆく政治経済社会に行き当たりばったりやその場しのぎの巧妙な生き方ではない人生を真に願うならば、確固不動なる存在を求めこの世の変化に惑わされないような強固な生き方をご一緒に学びましょう。 東京都墨田区在住

マガジン

  • ヴェーダンダ哲学の解説を試みる

    この世の中の全体的な流れからして、変わりゆくような政治・経済や社会そして気候の状態というものを、変動が極めて激しい現代の中で、私たちがどのようにしてそのまっただ中を生き抜いてゆくかという時に ただただ行き当たりばったりだとか、そのときに応じた巧妙な生き方ということだけではない、確固不動なる信念を心に抱いてこの世の中を生きていきたいという人物にとって、まさに確固不動たる存在をどこに求めるのか?という時にこそ このヴェーダンタ哲学が提供するものを私たちが見出し日々の生活において活かすならば、重要な支えになるものだと思います。

  • 保守本流のヨーガについて

    保守本流のヨーガの系統に属するデーラナンダ・ヨーギが古くからインドに伝わる教授法であるシュラヴァナ(聴聞)・マナナ(熟考)・ニディディヤーサナ(瞑想)にて得たヨーガの技術とヴェーダンタ哲学の智慧を分かち合います。

最近の記事

混迷に陥る変幻自在な世界を作り出すマーヤー(幻力)から自由になるとき

まずはじめにヴェーダーンダ哲学を語る上で欠かせない初代シャンカラ(アーディ・シャンカラ・アーチャーリヤ)が書いたとされる(学者さん方の間では真作であることに疑いはない)『ウパデーシャ・サーハスリーUPADESASAHASRI』から引用して、「マーヤー(幻力)」が作り出す「現象世界」の中においても寂静でいることの意味について、ご一緒に考えてみたいと思います。 シャンカラ師についてシャンカラ師(700年 - 750年)は、不二一元論ヴェーダーンタ哲学を唱えたインド最大の哲学者

    • 神に恋する神人が観るヴィジョンとは?

      まずはじめにここのところ、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師がヴィデハ国ジャナカ王との謁見での対話をご紹介させていただいておりますが 今回は、私たちの内奥に潜む神人(=プルシャ=アートマン=真我)について、熟眠状態と夢眠状態そして覚醒状態のそれぞれを教説した後に触れる一節について引用します。 そして、ヤージナヴァルキァ師の二人目の妻であるマイトレイーに真我(アートマン)について言及する教説を引用し、「神に恋する神人が観る世界とは?」どのような

      • パラマハンサ・ヴィシュワナンダ師とのダルシャン体験

        パラマハンサとは?PARAMAHAMSA(パラマハンサ)とは、サンスクリット語で「至高の白鳥」という意味となり、白鳥が水とミルクを飲み分けるということから、世間のただ中にあって、真理を実現した覚者のことを古くからインドにおいて使われてきた言葉だそうです。 また、難しく言うならば、霊的識別力の象徴としてパラマハンサを意味していて、神との霊的交歓という最高の状態を達成した人に与えられる称号だと言われています。 パラマハンサと聞くと、私にとっては『あるヨギの自叙伝』で知られる

        • 罪とは無縁の聖者について

          まずはじめにジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」でブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師がヴィデハ国ジャナカ王との謁見での対話をご紹介いたしましたが、再びその一部を引用し、聖者についてご一緒に考えてみたいと思います。 罪な行為と善き行為に心惑わされない理由!■聖者というものは… 下記にてヤージナヴァルキァ師の教説を引用します。 この教説は、前の「真我の外形たる人は、行う通りに成り、行為の通りに成る」と言った後で、例えとして、「善い行いを

        混迷に陥る変幻自在な世界を作り出すマーヤー(幻力)から自由になるとき

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        • ヴェーダンダ哲学の解説を試みる
          18本
        • 保守本流のヨーガについて
          19本

        記事

          神人とは愛する妻に抱擁されている男が...と同じく...一切を認識しない状態

          まずはじめに今回もブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドよりヤージナヴァルキァ師とジャナカ王との対話による教説を引用して、真我についてご一緒に考えてみたいと思います。 ヤージナヴァルキァ師には、マイトレイーとカーティヤーヤニーの二人の妻がいて、マイトレイーの方は、いつも絶対者ブラーフマンについて夫と議論するような妻で、カーティヤーヤニーの方は家事をする普通の妻であったようです。 ヤージナヴァルキァ師がジャナカ王からいただいた財産を置いて遊行に出る前のマイトレイーが食い下

          神人とは愛する妻に抱擁されている男が...と同じく...一切を認識しない状態

          貴方の人生における「その仮説の実証」はやすらぎをもたらすものですか?

          まずはじめに前回は、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想となる【これではない、これではない】として、つまり、「ネイティ・ネイティ・ブラーフマン」として、「真我(ブラーフマン)」ではないとの「否定の道」を説くジャナカ王への教説をご紹介しました。 そこで、「真我が知覚する世界」と「諸々の欲望に支配されている私たちが知覚する世界」は、まったく異なることについて少し触れました。 今回は、「知覚」=「解釈」ということに注目してみたいと思います。といい

          貴方の人生における「その仮説の実証」はやすらぎをもたらすものですか?

          ジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」

          まずはじめに前回に引き続き、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想についてご一緒に考えてみたいと思います。 前回に学びましたように真我とは客体化されないので言語にて説明することができません。ヤージナヴァルキァ師の独自思想ではなく他の思想家や哲学または神秘家と同様に「否定の道」のみが「それ(真我)」を表す方法であると考えたので、そのことを中心に引用してみたいと思います。 ネイティ・ネイティ・ブラーフマン■ジャナカ王に授けた教説 ヴィデハ国ジャ

          ジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」

          貴方の内奥に住まう観照者こそ内制者であり真我である

          まずはじめに今回は、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想である内制者(アンタルヤーミン)についてを引用して、相対的智慧(ヴィジュナーナ)にて認識する主体であるアートマン(真我)についてご一緒に学んでみたいと思います。 ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド■ヤージナヴァルキァ師について ヤージナヴァルキァ師は、インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人であり、「聖仙」とも称される古代インドの哲人となります。およそ紀元前750~前700年の

          貴方の内奥に住まう観照者こそ内制者であり真我である

          ヨーガは体と心を識別し心が霊を自認しながら生活を営む技術

          まずはじめに前回は、チャーンドギヤ・ウパニシャッドの中に記述されているウッダーラカの思想をご紹介し、続いてブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージニャヴァルキヤの思想について触れる予定でしたが、その間に、保守本流のヨーガにてヨーガの技術についてのおさらいの意味でヨーガの技術に書いてみたいと思います。 1.身体と心を識別する為の観察■アーサナ アーサナとは、ヨーガの技術の中での座位と立位であり、アーサナが実習の中心となるヨーガのスタイルはインドの「伝統」にはなく20

          ヨーガは体と心を識別し心が霊を自認しながら生活を営む技術

          It's In Every One Of Us.

          まずはじめに今回は、ヴェーダーンダ哲学において代表されるような「サット・ティヤム」というチャーンドギヤ・ウパニシャッドの中に記述されているウッダーラカの思想をご紹介します。 自己の内奥にそれを見出す■ウッダーラカについて ウッダーラカ・アールニは、クル・パンチャーラ属のバラモン(婆羅門)でガウタマ家系に属し、父はアルナ・アウパヴェーシであった。クル・パンチャーラ属は中国地方すなわちガンガー河とヤムナー河の中間の平原地帯に居住していて、当時は、最も強大で文化的にも最も進んで

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          汝自身を知れ以外に求めるものは無いのだが...

          まずはじめに古代ギリシアの賢人の中で「汝自身を知れ」という格言がありますが、作者が誰であるのかは定かではないらしい。 意味としては、自分自身を理解するということは結局のところ他者をも理解するということであるから、この「汝自身を知れ」という格言は人間の行為・道徳・思考を理解するという理念を表すものと拡大解釈されることがあるとのこと。 ヴェーダーンタ哲学において、真の意味では汝自身とはアートマンつまり真我を指し、無知蒙昧にまみれて識別智を失っている個我ではない。 そこで、今

          汝自身を知れ以外に求めるものは無いのだが...

          神様との同置を上げるか?引き下げるか?

          まずはじめに前回の「ウパーサナについて」にて、ウパニシャッドにおいて、多用される同置の反論をしたのですが、書き終えて読み返した時のスッキリしない感じが残っていました。 伝えたかったことがスッキリと伝えることができていないモヤモヤ感であることがわかり、再度、同置に関して掘り下げたいと思います。 同置を引き下げると…たとえば、ブラーフマンをBとして、アートマンをAとすれば、B=Aであることは、たびたびと、ウパニシャッドにおいて言及されています。文字通りに、自らをAであると知れ

          神様との同置を上げるか?引き下げるか?

          ウパーサナについて

          まずはじめにウパニシャッドの中で「ウパスupas」という言葉が数多く見出されるのだが、この意味が学者さんの間でさまざまな訳となっている。 そこで、その意味について、学者さん方の意見を引用しながら今現在の私個人の認識を書きあらわしてみようと思います。 ウパースについて■ウパースによる同置 服部正明先生は、『古代インドの神秘思想』の中で以下のウパニシャッドから引用し、「AはBであると念想する(ウパース)」や「AをBとして念想する(ウパース)」という表現が数多く見出され、Aは

          ウパーサナについて

          心臓内の小さな空間に神様が鎮座する

          まずはじめに今回は、私が早朝に行われたヨーガの質疑応答の時間で、初めて先生に質問させていただいた「真我(アートマン)はどこにあるのか?」と同じ意味となる内容となっています。 ヴェーダーンタ哲学において、アートマン(真我)と絶対者ブラーフマン(神様)は同一であるとする梵我一如の思想となっているからです。 真我はどこにあるのか?■心臓内の小さな空間 マガジンにてまとめた「保守本流のヨーガ」にて記述している、聖音AUM(オーム)として捉える場所はどこなのか?についての表題とな

          心臓内の小さな空間に神様が鎮座する

          瞑想の目的はマインドフルネス?

          まずはじめに『ブラフマ・スートラ』という名称からして、どこからどこまでも「絶対者ブラーフマン」についての記述になるのですが 今回は、瞑想の対象は何か?について、つまり、瞑想の目的は何か?ということが主なテーマとなります。 万所として知られる存在者■父を訪ねて三千里? 『母を訪ねて三千里』というアニメをご存じでしょうか? イタリアの港町ジェノバに住む少年マルコは、両親と鉄道学校に通う兄とともに慎ましく暮らしていたが、生活は日増しに苦しくなり、とうとう母がアルゼンチンへと

          瞑想の目的はマインドフルネス?

          誰もが神様を内在している

          まずはじめに今回は、「誰もが神様を内在している」というテーマで解説するといういわば無謀とも言えるチャレンジでとなります。と言いますのは、なぜ、そのように知覚することができないのか?という疑問が生じることになるからです。 しかし、これこそが『ブラフマ・スートラ』を引用してシャンカラ師が教えたい内容でもあるので避けることができないのです。 因中有果論因中有果論について調べてみると、 原因の中から結果が生まれる 因中有果論は、古代インドのサーンキャ哲学派の特徴的な考え方となり、

          誰もが神様を内在している