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「個我がブラーフマンではないのは非論理的だからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.16)


はじめに

『タイッテリーヤ・ウパニシャッド』は、 紀元前800年頃に成立したとされていて、「パンチャ・マーヤー・コーシャ(人間五蔵説)」 という考え方でよく知られています。

「パンチャ」は「五」、「マ ーヤー」は「幻」、「コーシャ」は「鞘」という意味となります。私たちの体はえんどう豆の鞘のように、五つの鞘で包み込まれているという考えになります。

五つの鞘は、外側から食物鞘、生気鞘、意思鞘、理智鞘、歓喜鞘と呼ばれ、内側になるほどに精妙な鞘(体)となっています。食物鞘がもっとも粗大な鞘となり、歓喜鞘はもっとも精妙な鞘となります。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章十六節

16節 他のものは至高の自己ではない、なぜなら、それは非論理的だからである。

この追加の理由から、至福なるものは、他のもではなく、至高の自己でなければならない。「他のもの」とは、神とは異なる輪廻する存在、すなわち個々の魂のことである。至福なるものという用語が意味するのは、個々の魂ではない。

なぜですか?

非論理的だからだ。至福なるものについて、ウパニシャッドには次のように述べられている。「彼は“私を多くにさせてください、私に生まれさせてください”と願いました。彼は熟考を始め熟考の末、彼は存在するものすべてを創造された」(Tai. II. vi. 1)肉体などを創造する前の熟考、創造されたものと創造主と差異がないこと、そしてこのテキストで言及されているすべての変更(modifications)の創造は、至高の自己以外には正当化できない。

最後に

ごく短くまとめれば、今回の十六節は

「他のもの(個我)は絶対者ブラーフマンではない。そうだとすれば筋が通らないからである」

ということになります。

自分を多くのものにさせよう、自分を生まれさせよう。このように絶対者ブラーフマンは願うと、熟考を重ねた後に、世界に存在する万物を創造された

『タイッテリヤー・ウパニシャッド』Ⅱ.6.1

ここでの「他のもの」とは、ジヴァートマンと呼ばれているものですが、アートマンではない「他のもの」、つまり、個別化した輪廻転生を繰り返す魂であって、個別化しているので「私」と「あなた」とは差別化があるので絶対者ブラーフマンではないという考え方です。

「私」は「私」そして「あなた」は「あなた」という差別化した思想や考え方が出てきたとすれば、唯一無二である絶対者ブラーフマンと同じだとするのは、筋が通らないと述べられています。

そして、『タイッテリヤー・ウパニシャッド』で述べられている、なぜ神様(絶対者ブラーフマン)はそのように願ったのか?に対して、ヴェーダーンタ哲学は何も答えられていません。

ここの『タイッテリヤー・ウパニシャッド』についての記述は、私はそうではないと反論しますが、ここでは詳しく言及しません。

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