ぼくたちはなにでできているのか

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#374_もはや世界が自己との関係としてしか認識出来なくなってしまうことの気づきです

#373_ヨガによって得られる究極の静寂は、未来を生きないこと、いまを生きることを可能に。

#372_「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。

#368_正義の定義を「悪と戦うこと」にしてしまうと、悪がなくなったら正義はぶれ始めるわけです。

#361_食べものや仕事に手を伸ばす生活から自由になり、怒りや悲しみに手を伸ばす心の習慣から自由になるために、修行僧は出家します。

#371_「無」はさびしくてつらそうでいやですよね。

#370_実際に正しいからと、心に怒りがあるからの2種類です

#367_呼吸のじゃまをするものが一切残っていなくて、すべてから解放された呼吸が無限とも思える時間をかけてゆっくり流れます

#365_それもあるけど、好きとか嫌いとかって自我を守るための心の働きで、お坊さんは自我を守らないことが大切だから

#364_自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受け入れます。

#354_自分を形作っているものをひとつずつ、いらないことに気づいて捨てていって、なにもじゃまするものがなくなって、ゆっくり眼を開けるとそこにあるもの

#355_身体を使ったヨガでは、心身が静かな状態を大切にします。

#351_手に入れることがゴールではなく、いらなくなることがゴール。

#334_「ヨガのポーズが健康に良いのはなぜですか?」 「結果を急がないからです」

#345_ヨガや瞑想によってなにか神秘的なことが起こることはありません。

#336_かつての「神」や、現代の「愛」のように、合理的に実証出来ない概念ものを信じ切ることが出来る能力は、人間の社会性を育み、種としての優位性を支えてきましたが、わたしたちがその個々の生を洗練していく過程で、それらはその幻想性ゆえに消失します。

#329_起こっている出来ごとは、意識と身体の関係の変化であり、ヨギが行うべきことは、それをコントロールしようとすることではなく、観察すること

#353_深く安心して、いまから起こる出来ごとをすべて受け入れる準備が出来ている状態にあるひとがするような呼吸かどうか

#330_「わたしが、その知人を快く思わなくなることです」 「なぜですか?」 「いたずらに生きづらくなるからです」

#350_意識が身体を外部から観察しているという心と身体の関係は、意識が身体を内部から観察しているという心と身体の関係に変化します