昭和4年創業。「中の写真も撮るか」と声をかけて下さる気さくな主人は三代目。八幡市の中で唯一残っている銭湯。昔ながらのボイラーで湯を沸かしている。ライフスタイルが…
ヤヲリキは大正14年に建てられた洋食店。元々はカフェーでウェイトレスがいた。所々にある柱は、二階がタイルばりで多くの支えが必要であったため。 現在は重さに耐えきれ…
玄関を入るとレトロなタイルが広がる。正面の大きなツボに入った花は奥さんご自慢のもの。 左手にある戸は、立派な絵が描かれているが掃除の際水拭きをしたら色が剥げてし…
昭和10年に建築された家。 料理屋を営んでいたが、遊廓が栄えたことによって、建物を遊廓営業者に貸し、奥の家に住むようになる。 当時の化粧台などは全て処分したそうだ…
今でも営業されている多津美旅館。たくさんの色を使っていて鮮やかである。 地面は色違いの柄のあるタイルで敷き詰められている。残念なことに、今は色褪せてしまっている…
あまり手入れをされておらず、当時のままの状態。外の欄間や玄関と、松の柄が目立つ。牡丹の絵が描かれてある戸は特に美しい。 以前撮影で建物を貸した際、スタッフに「こ…
波と鳥の欄間 松竹梅の欄間 小金川地蔵尊 ここにはお地蔵様が祀られている。この地蔵さんは不思議な地蔵さんなのだ。 明治時代、辻本家の旦那の夢枕に地蔵さんが立ち…
そびえ立つ恵比寿さん 恵比寿さんと同じ建物 鐘馗さんと鯉の欄間
窓にテープが貼られている 大正九年に建てられた 格子がカーブしている
空き家なのか少しほこりっぽい 格子から緑が生い茂って美しい タイル装飾の防火用水
スナックダイトク 鯉が舞泳ぐ欄間 ガレージの地面はタイル
今も残る橋本遊郭の町並みの名残。取り壊されてしまったものも多いが、今でも独特の雰囲気を醸し出している。 ここではスケッチと写真で紹介していく。気候のよい時期は、…
津田電線 橋本にはかつて津田電線の工場があった。 大正元年(1912年)に津田電線合名会社八幡工場が操業を開始した。当時は従業員132人(男23名、女109名)、昭和34年…
幕末の橋本もとい橋本町は、鳥羽伏見の戦いで焼け野原になってしまう。 明治維新以来、近代化政策に乗り遅れ、賑わいを失ってしまった。賑わいを取り戻す一番手っ取り早い…
橋本にはいくつか道しるべが残っている。主に渡し船、石清水八幡宮に関するものが多い。昔、橋本が栄えていた証である。 道しるべは「道」だけでなく、「歴史」をも導いて…
なぜ橋本という地に遊郭ができたのだろう。 橋本は古くから二つの顔を持った町として発展してきた。 一つは京・大坂を結ぶ河川通行の中継地・津としての商業的な顔があり…
モトハシ
2023年10月9日 15:36
昭和4年創業。「中の写真も撮るか」と声をかけて下さる気さくな主人は三代目。八幡市の中で唯一残っている銭湯。昔ながらのボイラーで湯を沸かしている。ライフスタイルが変化してしまい、客は減少し、採算が合わないと苦い顔で語られた。昔は、渡し船でたくさん人がやってきた。当時は水道が通ってなかったので繁盛していた。遊女もここの銭湯を使用していた。橋本にはもう一件銭湯があったが現在は空き地になっている。
2023年10月9日 15:19
ヤヲリキは大正14年に建てられた洋食店。元々はカフェーでウェイトレスがいた。所々にある柱は、二階がタイルばりで多くの支えが必要であったため。現在は重さに耐えきれないということでタイルは全て除いた。玄関も改装されていて、昔は玄関先で野菜を売っていた。玄関のタイルの色が違うので、訪問の際は足元にも注目を。今回頂いた食事は特別メニュー「お弁当」。手作りソース、炭入りお冷やなどメニューにこだりを感
2023年10月9日 15:02
玄関を入るとレトロなタイルが広がる。正面の大きなツボに入った花は奥さんご自慢のもの。左手にある戸は、立派な絵が描かれているが掃除の際水拭きをしたら色が剥げてしまった。奥へ入るとステンドグラスもある。一階窓や扉にはステンドグラスが使用され、和と洋が綺麗に混ざっている。窓からは中庭が見れる。二階ほとんど改装されているが階段周辺は面影が残っている。電気のスイッチが現在のものと違うことに
2023年10月9日 15:01
昭和10年に建築された家。料理屋を営んでいたが、遊廓が栄えたことによって、建物を遊廓営業者に貸し、奥の家に住むようになる。当時の化粧台などは全て処分したそうだ。これは遊女の悲しみが残っているようで、家の中にあまり置いておきたくなかったそうだ。遊女は非情に描かれる場合が多いが、奥さんから見た橋本遊廓はそこまで酷くなかった。ヤクザも絡んでいないと仰っていた。外へ出ると男の人ばかりで向こうに渡
2023年10月9日 14:30
今でも営業されている多津美旅館。たくさんの色を使っていて鮮やかである。地面は色違いの柄のあるタイルで敷き詰められている。残念なことに、今は色褪せてしまっている。玄関の外にも、家の中の電灯にもツバメの巣があり、親鳥がよく飛び回っている。玄関右手には大きなアーチがそびえ立ち、鮮やかな装飾は、橋本一の派手さかもしれない。
2023年10月9日 14:12
あまり手入れをされておらず、当時のままの状態。外の欄間や玄関と、松の柄が目立つ。牡丹の絵が描かれてある戸は特に美しい。以前撮影で建物を貸した際、スタッフに「この戸を売って欲しい」と言われた。しかし当時健在だった大おばあさんは「値段がつけられないから売れない。」と断ったそうだ。美しい貴重なものが沢山残っているが、震度5の地震がきたら全壊は免れないらしい。地震が来ないことを願うばかりである。
2023年10月8日 17:51
波と鳥の欄間松竹梅の欄間小金川地蔵尊ここにはお地蔵様が祀られている。この地蔵さんは不思議な地蔵さんなのだ。明治時代、辻本家の旦那の夢枕に地蔵さんが立ち「ここの井戸から出してくれ」と告げた。井戸さらえをしたところ、夢に現れた地蔵さんが発見された。そしてその地蔵さんを祀ったことが始まりであった。以来、幾度も淀川の水害があったが、不思議と当地近辺には被害が及ばなかった。このことか
そびえ立つ恵比寿さん恵比寿さんと同じ建物鐘馗さんと鯉の欄間
2023年10月8日 17:50
窓にテープが貼られている大正九年に建てられた格子がカーブしている
2023年10月8日 17:49
空き家なのか少しほこりっぽい格子から緑が生い茂って美しいタイル装飾の防火用水
2023年10月8日 17:47
スナックダイトク鯉が舞泳ぐ欄間ガレージの地面はタイル
2023年10月8日 17:10
今も残る橋本遊郭の町並みの名残。取り壊されてしまったものも多いが、今でも独特の雰囲気を醸し出している。ここではスケッチと写真で紹介していく。気候のよい時期は、私の他にも様々な人がカメラ片手に散策していた。写真を撮る人、絵を描く人、毎年たくさんの人が訪れるという。新しい住宅、空き地になるところが年々増えていて、建物の老朽化も気になるところ。今も暮らしている家も、昔のままだと暮らしにくいと、
2023年10月6日 16:01
津田電線橋本にはかつて津田電線の工場があった。大正元年(1912年)に津田電線合名会社八幡工場が操業を開始した。当時は従業員132人(男23名、女109名)、昭和34年には200人を超えた。工場は、朝の七時半から夜の七時半まで運転され、就労年間335日、一日12時間というフル操業であった。昭和33年(1958年)までの46年間、存在した。大谷川橋本遊廓の裏には大谷川という小
2023年10月4日 19:07
幕末の橋本もとい橋本町は、鳥羽伏見の戦いで焼け野原になってしまう。明治維新以来、近代化政策に乗り遅れ、賑わいを失ってしまった。賑わいを取り戻す一番手っ取り早い方法、それは元遊廓地の復興であった。明治二〇年六月京都府知事の認可を受け、木津警察署の監督のもと、北之町、中之町、小金川に遊廓区域が設定された。その後、津田電線の工場の設立もあって近隣人口も増加した。京阪電車による交通の便、石清水八
2023年10月2日 21:14
橋本にはいくつか道しるべが残っている。主に渡し船、石清水八幡宮に関するものが多い。昔、橋本が栄えていた証である。道しるべは「道」だけでなく、「歴史」をも導いてくれる貴重な財産。今は住宅街の道端に、追いやられている。また寺院の道しるべもある。橋本には多くの寺院があるが、昔は「橋本寺」があった。元禄年中から寛保までの40年ほどの間に絶えたと考えられている。他に渡し船の対岸、大山崎の国鉄や寺院につ
2023年9月29日 17:26
なぜ橋本という地に遊郭ができたのだろう。橋本は古くから二つの顔を持った町として発展してきた。一つは京・大坂を結ぶ河川通行の中継地・津としての商業的な顔があり、もう一つは石清水八幡宮のお膝元として八幡宮の影響が色濃く現れた顔である。八幡山から橋本見れば 赤い女が出て招く「淀川船頭歌」にも歌われたほど有名な遊郭だったが、いつ頃できたのかはよく分かっていない。史料によると、江戸初期の慶安