見出し画像

自分の居場所はどこにあるのか―堂場瞬一「ホーム」を読んだ

堂場瞬一が書いた熱血系野球小説「ホーム」を読みました。

この小説では「ホーム」がたくさんの意味を持つ単語として登場します。野球の本塁、故郷、居場所。これらの「ホーム」の意味が物語を引っ張っていきます。

物語は、日本生まれ・アメリカ国籍を持つ藤原雄大が、オリンピックの野球でアメリカ代表チームの監督に指名されることから始まります。

藤原はアメリカのメジャー球団で育成を担当しており、元々の監督が急逝したことにより白羽の矢が立ちました。藤原はアメリカ代表チームをオリンピックで優勝させようとしますが、打撃力の低さに悩みます。

それもそのはず、アメリカの代表選手は、メジャーのトップチームの選手がチーム事情から登録されず、日本で言うところの2軍選手が選出されるからです。(2023年のWBCではメジャーのトップチームの選手が多く参加し、話題になりました。2023年以前のアメリカ代表チームはトップチームから選手が登録されることは少なかったのです。)

チームの打撃力不足解消のため、藤原はアメリカと日本の二重国籍を持つ大学生芦田大介に目をつけました。芦田は六大学野球で通算ホームラン数を更新するのではないかと言われるほどの長打力の持ち主でした。アメリカ国籍も持っているため、アメリカ代表になる権利も持っています。藤原はさっそく芦田にオリンピック出場を打診しました。

しかし芦田は、自分が日本人なのかアメリカ人なのか、大学生という立場からオリンピックに出て通用するのか、アメリカ代表で出場して今後の日本でのキャリアに問題が出ないかなど、さまざまなことで思い悩みます。結局、アメリカ代表として出場することになりましたが、日本人でもあるため、チームの中でも浮いた存在になってしまいます。そんな状況の中で、芦田と藤原はオリンピックをどう戦うのか、そんな物語です。

この物語の中で、芦田は自分の故郷と居場所の2つの「ホーム」のことで思い悩みます。自分はアメリカ人なのか日本人なのか。アメリカ代表チームの中の居場所はどこか。この答えを探ろうとしてもがきます。

純ジャパの自分には故郷の悩みはわかりませんが、居場所がどこにあるのかという悩みには覚えがありました。それは自分が過去に休職していた時期のことです。当時は社会の中に居場所がないように感じていました。

休職中も家族はいるし、仲の良い友人もいて、まったく居場所がないわけではありませんでしたが、自分が社会の中のつながりが薄く、居場所がないように感じていたのは事実です。この居場所のなさは、自分の働きでお金がもらえるという社会のつながりの実感がなくなってしまったからだと思います。

お金・報酬をもらうということは、社会とのつながりを実感するひとつの指標になります。居場所は感謝されることから生まれるのです。感謝されるから、自己効力感を持つことができ、居場所があるという安心につながります。

現在、自分のように居場所がないと感じている人はどれくらいいるのでしょうか。自分の望んだように働けること、自分が社会の中での居場所を実感できること。これが今後、自分と社会に必要になってくることだろうと思います。

[書誌情報]堂場瞬一「ホーム」(2023.06,集英社文庫)

この記事が参加している募集

読書感想文

野球が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?