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研究関連のノート

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記事一覧

翻訳の(不)可能性をめぐって――谷崎潤一郎と九鬼周造

12年後からのまえがき ここに載せる文章は、大学三年のときゼミで出す論集に寄せたレポートです。当時ゼミでは谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を読んでいて、これを九鬼周造の『「いき」の構造』と比較検討するといった課題を先生に示唆され、こんなものを書いたのでした。以前やっていたブログに載せたこともあるのですが、ブログを消してしまったので、思い出したついでにここに載せる次第です。若書きですが、思い入れのあるものな

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日記(le 17 juillet 2021)

真方敬道について新たにわかったこと東北大で長年にわたり古代中世哲学を教え、自身は西洋中世哲学における個体論を軸に研究をしていた真方敬道(まがた・のりみち)という哲学者については、前にも少しメモを載せたことがありました。とにかく気になる人で、いつか時間とお金、それに世の中に余裕ができたらきちんと調べたいと思っています。
そんなわけで今回もメモへの付け足し程度でしかないのですが、真方について調べてみて

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日記(le 21 juin 2021)

(※2021.6.23. 16:30追記)
せっかくたくさんの「スキ」をいただいたところ申し訳ないのですが、エヴァの感想部分、書き足していたら長くなってしまったので別の記事に独立させました。本当にすみません。

防人の詩を聴いて泣くような人間であること昔やっていたブログで、当時使っていたiPod nanoの再生数上位ランキングを公開したら、かなり上の位置にさだまさし「防人の詩」があったことを後輩に

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フラグメント001

エクスタシスはabsence du moiであるが、それを語るに際して非人称の話法に訴えず、むしろ『無神学大全』期のバタイユは一人称単数代名詞の主語を多用していることからmais il y reste encore le jeということが言える。私=自我(moi)が名詞であるのに対して、jeのほうの「私」は空虚な指示詞である(バンヴェニストの代名詞論)。非人称によってmoiの不在を語ることは、とも

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フラグメント002

アフォリスム風に求道者であることと怠惰であることとは、たぶん両立する。自分では怠惰のゆえに退けているとばかり思っていた様々のことが、はたから見れば求道のために不要なものを切りつめていく態度でないとはいえない。苦行のなかに身を置いてじっと耐える求道者は、一日じゅう寝床を出ない無精者にも見えるだろう。

ジャン・ルーシュを読んで観測者(observateur)ないし観客(spectateur)であるこ

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初めてマラルメを読んだ頃

自己は確実な将=来たる〈死〉のための唯一の場所として在るがゆえに、〈わたし〉という将=来を蔵した個人的【ペルソネル】な存在となる。虚構【フィクション】とは恐らく将=来しないものの謂だ。そしてあらゆる方法【メトード】は論理や物語や韻律を追うために利用される、言語による虚構【フィクション】である。

方法【メトード】は全て個人的【ペルソネル】なもの(たとえば、デカルト)に始まり、それを突き詰める(たと

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矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』私的註釈

昔やっていたブログに、2017年のクリスマスイブを潰して書いた記事をここに再掲します。インターネット・アーカイヴで見付けてくださった白江さん、ありがとうございます。

ずっと読みたかった矢作俊彦の改変歴史SF大作『あ・じゃ・ぱん!』を読んだ。
第二次大戦の終結が史実とは異なったかたちになったため、ドイツや朝鮮半島のように東西に分裂してしまった二つの日本、西側の「大日本国」と東側の「日本人民民主主義

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博士論文目次(仮)

ジョルジュ・バタイユにおける〈演劇性〉の諸相──思想、主題、言語──

序論──否定態としての〈演劇性〉

第一部:演劇性の思想的側面
第一章:視覚と演劇性──デカルト
第二章:演劇化の概念──ドゥルーズ、バルト
第三章:観客的実存と俳優的実存──クロソウスキー
第四章:パロディ──演劇性の臨界点としての

第二部:演劇性の主題論的側面
第一章:文学言語における演劇的形象──「ドン・ジョヴァンニ」

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落合太郎メモ

京都帝大で仏文学・言語学の教授として研究と教育に当たったあと、旧制三高や奈良女子大学で名校長・名学長として知られた落合太郎の経歴について、Wikipedia含めweb上にはほとんど見られない色々のエピソードが集まってきたので、そのうちしっかり原典に当たり、出典を明らかにしてまとめて記事にしたいと思っている。これはそのための準備的なメモ。

黒岩涙香との関係印刷業を営んでいたものの零落した?父親が知

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落合太郎ノート

仏文学者・落合太郎についてのノートです。Web上にぜんぜん情報がないので書籍をあたって手に入れた情報を、主に引用というかたちでまとめていきます。

略年譜と補完的な文章まず落合太郎の略年譜を桑原武夫・生島遼一編『落合太郎著作集』(筑摩書房、1971年)から引用する(521-523頁)。編者の桑原・生島はともに京都帝大での落合の教え子。(ちなみにこの著作集にはいくつかのエッセイを桑原らの判断で収録し

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